穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

フォークナーの「響きと怒り」

2022-12-26 08:40:37 | 書評

 表題の小説は分かりにくいことでは定評がある。さて原題の「The Sound and The Fury」は古来(古来とはいつからじゃ)「響きと怒り」と訳されている。これがわからない。どうでもいいことかもしれないが、気になる。何しろフォークナーがノーベル文学賞を受賞した理由の大きな理由が本書であるというのだから考究(大げさな)の価値はある。
 ある評者は、シェイクスピアのマクベスの5-5の一節から来たという。マクベスでは「sound and fury」と定冠詞なし、小文字で始まっている。そこで福田恒存の訳をみると、ここは「がやがやわやわや」となっている。マクベスの前後の文から見ると、この訳のほうがいいようだ。
フォークナー自身が解題をしてはいないようだ。それでこの問題はちょっと脇に置いておく。

 さて、この小説のキャラ建てであるが、当然作者の意図を反映していると思われる。一般に南部の有力白人家族の没落過程を描いたというのが通説らしい。キャラの構成については他の見方もあるようだが、私は三十三歳のハクチ*ベンジーが一つの中心と見た。そのキャラを引き立たせるのが自己主張の激しい、後にあばずれ女になっていくキャデイと黒人の世話役ラスターであろう。ベンジーはトリックスターととれる。
 ベンジーは年がら年中喚き、うめき、うなり、泣き、鼻水をたらしている。小説の書き方からすると彼のうめきは何かに反応しているようにほのめかしている(作者が)ようにとれないか。
 キャディはゴルフのcaddyを連想させる。ベンジーは隣のゴルフ場の柵からゴルフ場をのぞくのが好きだ、そこは没落した一家のもとの所有地で手放したものである。ベンジーは柵にしがみついているときには泣きわめかない。家に帰ると四六時うなり、泣きわめく。なにかに感応しているように見える。よみすぎかな。

 


むせび泣くパイプオルガン

2022-12-25 08:10:35 | 小説みたいなもの

 築八十年を超える彼の家はあらしの夜は巨大なパイプオルガンとなって身をゆすって唸りだす。木造家屋で乾ききっていない木材を使ったのが長年にわたって乾燥して縮んだとかもしれないと彼は思った。いたるところに隙間が出来て風の通り道が出来た。風は入ってきて気ままに家の外に抜けていく。

 風の通路は無数にあるようだ。パイプオルガンの比ではない。実に様々な悲鳴、唸り声、すすり泣く声を発生する。大体において不快な音である。それにつれて家全体がきしんで、またそのギシギイガタガタする音が不協和音を出す。例えば風呂場のドアから入ってくる風は人声に似ている。幽霊がむせび泣くような音を出す。彼は泥棒が入ってきたのではないかといつも思った。子供のころは暴風の夜は怖くて風呂場のそばにある便所には一人で行けなかった。
あるいは、と彼は考えた。戦争中近くに米軍の直撃爆弾が落ちたと言うから、その時の衝撃振動で家全体のたがが緩んでしまっているのかもしれない。勝手に乾燥の充分でない材木を使ったなどと言いがかりをつけると大工が怒るかもしれない。

 もっとも日本では昔から草木も眠る丑三つ時には軒先が三寸下がると言うことばもあり、日本家屋も見ようによっては乙なものかもしれない。当今のコンクリートで固めた単純な独房スタイルのマンションではこのような情緒?は経験できない。


狂乱のルチア

2022-12-21 09:45:29 | 小説みたいなもの

 長年四海は感情の高揚を経験できなくなっていた。というよりも警戒していたというべきだった。理由は分からない。そのうちに高揚する能力が無くなったようである。感情の高揚というのは警戒しなければならないと個人的な経験から学んだらしい。
 唯一感情の扉を開けるのは部屋でドニゼッティのオペラを聴くときだった。それも「狂乱のルチア」か初期のアリアだけである。ほかのオペラはレシタティーボが多く入るのでそこで気分をそがれる。セリフの入る場面は大体伴奏も控えめで平板である。第一ドイツ語やイタリア語のセリフが分からなければイライラするだけである。
 といってもそんなに物々しい仕掛けで聴くわけではない。築六十年の日本家屋では音量を上げるわけにはいかない。ピアノをぶっただいてもびくともしない防音装置を施しているわけでもない。隣近所の住民は言うに及ばず同居している家族からも苦情を言われる。音量をあげなければ安物のCDプレイヤーで充分なのである。
 しかし、肉欲の高揚はまだ三十代の彼には抑えることができない。感情の高まりは兆しのうちにどこかへ行ってしまう。抑圧されて意識の底か、自我と言う地殻の外へ漏れ出すのか。煙のように消滅してしまうのか。


流れ

2022-12-19 07:46:31 | 小説みたいなもの

 日曜日の昼下がり、貴司はドニゼッティの狂乱のルチアを聴いていた。階段を踏み抜くようなけたたましい響きが彼を驚かせた。CDが狂ったのかと思った。階段を駆け下りたのは妹と父だった。妹のサルのような悲鳴と父親の雷のような威圧的な怒鳴り声が交互している。窓から下を見るとほとんど裸の妹が靴下も靴も履かず庭に飛び出していた。妹は家にいるときはだらしない様子でほとんど衣服を身に着けていない。何だなんだと彼も部屋を出て階下に降りた。父親は仁王立ちで庭を睨んでいる。茂子はほとんど半裸の姿でどこに逃げ込もうかと庭の隅をきょろきょろと見回している。その後ろに家事監督に来ている理恵さんが後ろから父を制止している。父親は我々を見ると我に返ったようで黙った書斎に引き返した。
「どうしたんです」
「お父様がもっと家事をしろと言われたんです。それに茂子さんが反抗的な態度をしたので怒りだしたんです。わたしが告げ口をしたと勘ぐったんでしょうか」
「自分が告げ口の名人だから人のことも勘ぐるんだろうな。しかし、珍しいな。彼女を叱るなんてことは一度も見たことが無いのにな」
「そうなんですか」
「彼女だけは兄弟の中でも特別扱いでね。父が茂子を叱ったのは見たことが無い」
 理恵さんは父の遠縁の未亡人で家事監督と言う形で来てもらっている人である。母の生前から茂子はどんなに母が忙しくしていても家事の手伝いをすることは無かった。短大を卒業しても就職せずに家にごろごろしているか夜遅くまで遊びに外に出ていた。それでお手伝いを雇っていたのだが、彼女たちは居付かない。すぐにやめてしまう。早い人は2,3日でやめてしまう。そのたびに紹介所から新しい人を派遣してもらっていた。妹とお手伝い達とうまくいかない。すぐに喧嘩になる。彼女が主人面をして自分よりずっと年上のお手伝いさんをこき使うからやめて行ってしまう。それで遠縁の年配の女性で夫と死別した理恵さんに家事監督と言う形でに来てもらっていた。それでも茂子に抑えは利かなかったらしい。
 たしかに父も目つきが鋭かったが妹ほど異様に光ることはなかった。それで中学時代の庭での変身ぶりを叔母に話して聞かせたのである。
「蛇に憑かれたのかもしれないわね」と彼女は冗談めかして言った。彼女は女性の常として占いやオカルト現象に惹かれるところがあったらしい。
「狐に憑かれるとは聞きますがね」
「私の田舎では動物の霊に憑かれるのは狐だけじゃないのよ。狸も憑くし、猫だって憑くっていわれている」
「へえ、そうですか。蛇に憑かれるとどうなるんです。キツネやタヌキとは違うんですか」
「性格が悪くなるそうよ。執念深く意地悪になるらしいわ」。おもしろい、「それで?」
「物欲が異常に強くなる、性欲の抑制が出来なくなるというわ」
「へえ」とますます感心してしまった。叔母も妹の常軌を逸したわがままな性格は持て余しているらしい。
「さっき遺伝って言いましたよね。どういうことですか」
「目つきの鋭さというのは遺伝するんじゃないかしら」
「下地があったということですかね」
「あるいはね」
 叔母は思い出すように視線を泳がせていた。「あなたはお父さんの二番目の夫人の子供だけど、お父さんもおじいさんの後妻の子供だったのよ」
「へえ、知らなかったな。そんな話は一度も聞いたことがないな。もっともおやじは郷里の家族のことは祖父のことを含めて一切話したことはないんですけどね」
「それでね、おじいさんの最初の奥さんとの間に女の子があったのよ」
「えっ、そうですか。僕の叔母さんになるわけだ。全然聞いたことが無いな」
「お父さんにも話せないような事情があったのよ。その人はなにか不祥事かあってさる家に養女に出されてその後は絶縁状態だったらしいわ」
「養女に出されてた理由はなんですか」
「それはねえ、噂だから本当のことだかどうかわからないし、言えないわよ。ただね、その人の写真を見たことがあるけど、貴方の妹の茂子さんとそっくりなのよ。特に目のあたりが」
「そうすると、父、養子に出された叔母、茂子という流れがあるのかな」
「とにかく、そっくりなのよ。私は茂子さんの小学校の時の顔しか知らなかったからお宅に来てから彼女を見てはっと思ったわ」
後でインターネットで検索するとこんなサイトがあった。
「蛇に憑かれると性格が悪くなる。自己中心的になる。人を傷つけることを平気で言ったり、執念深い性格になります」云々

 


夜の果てへの旅

2022-12-17 07:35:05 | 小説みたいなもの

 夜の旅の行きつく果ては朝である。コペルニクスの太陽系が続く限りで、と言うことであるが。
 夜の旅は脳と言うものがスキャンをする時間であり、必要ならリセットであり、リアレンジメントである。それは無意識にある78階層で実施される。夢を見るのもその一環である。夢とは睡眠中、表象をともなう脳作業である、フロイト先生によれば。
「君が知っているのは例の庭の茂みから飛び出してきた中学の頃の妹だろう。よく見分けがついたな」
どうして妹のことを彼が知っているのだろうと訝ったが、彼を家につれてきたときのことを思い出して訊いた。
「いや、大学なんかの合コンによく来ていた。派手な服装で有名だった。まあちょっと忘れられないほど目立っていたからね」
「それでどうしたんだ」
「いや、こっちはそのうちの一人だから個人的な関係はない」
「妹も君に気が付いていたのか」
「いや気が付かなかったと思うね。俺のほうはすぐに気が付いたが、俺にもつれがいたし、彼女も相手と話し込んでいたからね」
「へえ、男性か」
「そうなんだが、大分年は離れているみたいだった。中年と言うか50歳代の感じだった」
四海は妙な気がした。
しばらく沈黙していた彼が「そういえばその男性は見たことがあるような気がしたんだが、思い出したよ。同じ業界の人間だよ。それで君の家を売るのか、とさっき聞いたんだ」
「というと不動産屋か」
「不動産と言うかゼネコンのたしか部長だったな」
「名前は?」
「そこまでは分からないがね」
 四海にはなにかピンとくるものがあった。「どんな男性だった?」
聞かれて相手もびっくりしたようだったが、「年は五十くらいかな、白髪交じりで眼鏡をかけていたな。それが何か?」
「いや。同窓会のことは申し訳ないな」
「いや、いいんだよ。時期的に皆、忙しいからな」
 黒木田から妹の話を聞いたためか、その夜彼女にジャガンが発生したころのことを思い出した。彼女の性格はそれから激変した。自己顕示欲が異常に強くなった。物欲が激しくなった。と同時に自分のものと他人のものの区別がつけられなくなった。つまり自分の物は自分のもの、まあ、これはいい。 他人の物も自分のものと見境がつかなくなった。これは困る。家族のほかのものが持っているものが欲しくなると黙って勝手に持って行ってしまう。そのかわり自分の物に他人が触っただけで狂ったようになる。
 高校に入ると母親のクレジットカードを持ち出して洋服なんかを見境なく買いまくった。男遊びが激しくなると、そうして買ったハレハレの派手な服装で家の周りを歩き回るので有名になった。

 


ジャガン1

2022-12-14 09:08:41 | 小説みたいなもの

 黒田は妹を知っていたかな、と思った。そうか高校一年の時だった。彼を家に誘ったことがあった。裏木戸を通って縁側から部屋に上がろうと庭を通った時にいきなり妹が庭の隅にある植込みの後ろから出てきたのだった。その時の様子に二人が驚いた。四海も驚いたのは妹の容貌が一変していたからである。どちらかと言うと目立たない容貌で、たしか彼女は中学にあがったばかりだった。中学生になってもいつも親指をしゃぶっていた。目立たない娘で親指しゃぶりのほかはひどい偏食であった。食べるものと言えばポテトチップスとミカンだけなのであった。
 その庭の隅はクチナシや無花果の茂みの後ろにあって昼でも日の射さない一隅で一年じゅう湿気でジュクジュクしていた。一時は今のように公用機関の生ごみ回収サービスが充実していなかったので、灌木と高い塀で囲まれた狭い空き地に穴を掘って生ごみを埋めていた。梅雨時はカエルがじっと動かないでうずくまっていたりした。カエルを狙ってか青大将が現れることもあるといって、家人も近づかない場所だった。
そんなところ妹が何をしていたのか分からないが、いきなり我々二人の前に出てきて睨みつけたのである。黒田はぎょっとして悲鳴をあげた。その目つきが一変して異様に光っていたのである。なんで我々を睨みつけたのか、黒田を連れて来たので睨んだのか、理由が分からない。しかし、その後彼女は一変した。親指はしゃぶらなくなったが、四六時中目つきが鋭く光っている。性格も一変して自己主張の激しいわがままな性格になった。
 後に彼は蛇眼という言葉があることを知ったがまさにそのようであった。彼女が高校に入ると行動はより奔放と言うか無軌道になり、同級生や大人の男性と遊びまわるようになった。
 あまりに相手が多すぎて彼にもよくわからないが、案外黒田も付き合っていたのかもしれない。妙に男好きのするオンナになっていた。オートバイの後ろに乗って男に後ろからしがみつきながらスピードをあげさせたりしていたらしい。そういう噂をよく聞くようになった。
「見たと言うのはどういうことだい」と彼は聞いた。「話はしなかったのか」
「うん、彼女が男性と話し込んでいるところを見たのさ」
「どこで」
「さるホテルのロビーだよ」
「どんなホテルだ」と彼はつい直截にきくと、黒田は笑って「シティホテルさ、我々がよく商談に使うようなホテルのロビーだ。別に怪しいところじゃない」と黒田は安心させるように言って笑った。

 


相手はシカイ君?と言った

2022-12-12 09:03:28 | 小説みたいなもの

 翌日夜八時をまわった頃にまた電話が鳴った。昨晩のしつこいやつかなとは思ったが、相手を突き止めようと受話器を取り上げた。
「シカイ君」と語尾を上げてきた。野太い中年男の声だ。なんだなんだ、シカイ君だと、なれなれしく言うやつだ。そんな呼び方をするのは会社の同僚ぐらいだ。昨晩かけてきた奴なら今日昼間会社で連絡してくるはずだ。戸惑った彼は受話器を持ち直した。「どなたでしたっけ」。相手の言い方からすると、人生のどこかで知り合った人物かもしれないので彼は慎重に間を置いた。
「いや失礼。新木田高校の黒田です。御無沙汰しています」と一転トーンが下がった声をだした。すると高校の同級生か、と彼は記憶の領域をサーチした。「E組のさ」と相手は重ねた。
「ああ、思い出したよ、クロちゃんか。久しぶりだな。卒業以来じゃないか」
「そうなるかな」
「びっくりしたよ。失礼した」
「いまいいかい」と心配そうに聞いてきた。「うん、何だい」
「じつはね、今度同窓会の幹事をやらされたんだ。それで出欠を取っているわけなんだ。来月の十五日を予定しているんだが、ちょうど忘年会のシーズンだろう。いろいろと予定が重なる人もいるだろうと思って確認しているんだ」
「わかったよ、ちょっと待ってくれ」というと手帳を取り出してめくった。「金曜日か、会社の忘年会なんだ。悪いけど都合がつかないな。どうして年末の忙しいときにやるんだい」
「一松がさ、例のデブイチが今度アメリカに転勤するんだ。来月にさ。それで彼の送別会も兼ねてというんでこのタイミングになったわけだ。残念だな」
「申し訳ないな。ところで君はどうしているの」
「不動産会社にいるのさ」というとふと思い出したように「君の家は売りにだすのかい」
いかにも不動産会社の人間らしい商売気だと思った。
「いやそんなことはないよ。オヤジが売る気なんかまったくないからな」
「そうか」と彼は不思議そうな声を出した。
「なぜそんなことを聞くんだい」
しばらく彼は躊躇っていたのか沈黙したが「実はね、この間君の妹にあったよ」と切り出した。
「え、どこで」とシカイも頓狂な声をあげた。
「会ったというのとはちがうんだな、見たというべきかな」と訳の分からないことを言ったのである。

 


異音

2022-12-11 09:02:38 | 小説みたいなもの

  その夜はサッカーの国際試合のテレビ中継を観ていた。彼はほとんどテレビを見ない。天気予報と民放のニュースくらいしか見ない。見ると言っても「ながら見」で新聞で言えば見出しを読み飛ばすくらいの注意しか払わない。
 スポーツ中継は数少ない彼の見る番組である。それでも野球やボクシングは見ない。イニングの途中などで不愉快なコマーシャルが大音響で流れるからである。しかもコマーシャルの時には放送局は一段とボリュームを上げる。スポーツ中継のコマーシャルは彼の最も嫌うものだ。サッカー中継の場合はハーフタイムのコマーシャルだけ我慢すればいい。かれが久しく映画館にいかなくなったのも映画館の気違いじみた予告編の音量のためである。

 彼のテレビは古い。したがって画面が小さい。ノートパソコンの大きさとオツカツである。サッカーなどだとテレビから離れるとどこにボールがあるかわからなくなる。彼は画面から一メートルの距離まで椅子を持っていく。テレビのコマーシャルはサッカーの場合ハーフタイムしか入らないが、そのかわりウェーブとか太鼓とかの応援の騒音は相当なものだ。こいつの音量を絞ると解説の声が聞こえなくなる。ほとんどサッカーのドシロウトである彼はやはり解説を聞かないと試合についていけない。それで観客の騒音は我慢している。

 なんか耳の後ろで異音が混じっているように感じた。太鼓や笛の音でもない。声援の絶叫でもない。ジリジリ、ビリビリと響く。彼は尿意が我慢できなくなってトイレにたった。電話機がチカチカしている。異音はこれだった。受話器の呼び出し音だったのだ。かれは電話の前に立ち止まって思案した。いまごろ 誰だ?いまごろかけてくるのは特殊詐欺かインチキ商品の勧誘に決まっている。かれは受信音を無視して放尿に行った。
 戻ってくるとまだ電話が鳴っている。応接するとながく粘られそうだと思った彼は受話器を持ち上げてすぐに切ろうとしたが、ちょうどその時にしつこい電話は鳴りやんだ。

 試合が終わってテレビを消すとまた電話が鳴っている。しょうがないから受話器を取り上げるとちょうど相手は電話を切るところだった。


キッカーダダ漏れ

2022-12-07 08:01:49 | 小説みたいなもの

 残業を一休みして、出前で取った中華料理屋のどんぶりを食べ散らかした後で一服しているときだった。金曜日の取締役会に中期経営計画の稟議をだすというので企画室では全員で連日残業が続いいる。四海の部署では怪しげな中期需要予測なる占いを多変量解析を駆使して、正確には多変量解析の怪しげな数字に振り回されて、連日深夜まで課員は追いまくられているのである。
 消失寸前といった消耗しきった表情をした古村が「あのPKはおかしいな」と言った。「PKと言うのは大体成功率は八割くらいだろう。五本蹴って一本失敗する程度じゃないか」
 あまりサッカーの試合を見たことのない四海はそんなものかと思った。
「そういえば、なんでも三回続けて日本は失敗したというな」と今朝のニュースを思い出した。
「おれは四時から中継を見ていたんだ。あんな馬鹿なことはないよ」
「それじゃ徹夜したの」
「そうさ、もう三十数時間以上も寝ていないんだ」と彼は消滅寸前のように消耗しきった様子だった。
「ということは、ゴールキーパーに読まれていたということか」。八百長でなければそういうことになるのだろう。
「そうだろうな、偶然と言うことはないだろう」
なるほどね、キッカーの意図が読まれていたらしい。いうなれば頭の中の計画が相手に丸見えになっていたのだろう。これじゃ自我のダダもれじゃないかと四海は感じた。
 ところが今朝のスポーツニュースではグループリーグで日本に負けて二位通過したスペインがモロッコ相手の試合で延長戦でも決着がつかず、PK戦になったという。そしてなんと強豪スペインがPK戦で三回連続して失敗したという。まるで前日の日本戦と同じだ。するてえと、と四海は考え直した。前日のサッカー通の友人がいうような確率などないのだ。

 


フォークナー「サンクチュアリー」

2022-12-03 14:43:43 | 書評

  当書を途中まで読んでいる。フォークナーの作品は「八月の光」というのを大分前に読んだ記憶がある。残っている記憶は「退屈」だったという印象だけで「筋書」というか「内容」は残っていない。最近サンクチュアリーをヒョンなことから読み始めた。すごく読むのに時間がかかるのは前と同じだが、主として手法というか、書き方に興味をひかれた。
 つまり、映画的なのだ。どう映画的か。映画的といっても色々想像されるだろうからもう少し具体的に言うと、映画の一場面で背景、日差しの推移、人物の様子、発言を一秒おきに描写する。その上、内心の動きや感情まで描写する。映画では二、三秒ですむ場面を数ページに書く。普通の文章で書けば百分の一か千分の一ですむ。
 それがやたらと長い割には登場人物の紹介は全くない、最初に登場した時にはである。それなのに最初から個人名で登場するから、訳が分からない。あるいは事件と言うか場面の紹介がないから、それがもぐりのバーなのか葬儀会場なのかそうとう読み進まないと分からない。
 そして、それはもぐりの賭博場を急ごしらえで酒の密造業者の親分の葬儀場にしていると分かる。参加者はみんな飲んだくれている。日本でも通夜の席などは酒がつきものだが、ギャングスターの葬儀では酔っ払って喧嘩が始まる。棺がひっくり返されて死体が転がり出る。面白いといえば面白い。
 そういう書き方が全編にみなぎっているから、これは作者の意図的な操作であることは間違いない。ある意味で面白いと思った次第である。