穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

レミゼラブルの長講釈に二種あり

2013-03-23 19:47:34 | 書評
まずポジション・レポートから。新潮文庫第五巻407ページ

さてレミゼの余談と言うか長講釈に二種類あることが分かった。

一つはユゴーは詩人としても大変な多作家だった。この才能が生かされて次から次へと比喩的表現が無限に連続して行く場合。

第二に、政談家あるいは代議士としてのマラソン演説の才能が出ている場合。最近は質問演説も反対演説も時間制限があるようだ。だから牛歩戦術なんてのがあるのだろうか。

昔は古今東西、法案の成立を送らせるためにマラソン演説の専門家がいた。反対演説を12時間も24時間もぶっ続けにやる。一種の嫌がらせだね。ユゴーは40代から代議士をやっていたからマラソン演説もやっていたに違いない。その才能が生かされた。

詩人としての豊富な表現力は恋愛場面で生かされ、マラソン演説の才能は時代講釈に生かされた。




ヴィクトル・ユゴー「レミゼ」の余談長談義

2013-03-22 07:59:12 | 書評
2月28日に新潮文庫レミゼラブルの第一巻途中まで読んだと書いた。ある文芸評論家が全巻通読は退屈でほとんどの人が読んでいない、と書いていたから、それなら1年かけて読もうかなと思っていた。

ところがもう第五巻の半ばだぜ。これならひと月も持たないな。

前にも書いたが政治的、歴史的背景を長々と説明する箇所が何カ所もある。前にも書いたがこういう所の描写力はユゴーにはない。長いけどね。

彼自身が若い時から代議士で、長い政治生活ではナポレオン三世に国外追放されて19年間も海外亡命生活を送っている。有力な政治家であったことは間違いないだろう。しかし、この作品での政治、時代描写は感心しない。

この小説は1860年代に1830年代のパリを描いている。で昔の(30年前の)パリを講釈している。19世紀の前半はパリも都市計画でまったく変容したらしい。東京オリンピックの後の江戸みたいなものだな。

で、読者のために昔のパリの様子を描いている。これも余談部分で21世紀の日本人には読まなくても、筋の理解にはなんの支障もないところだが、政治余談よりはよほど読ませる。

余談で一番面白かったのは、パリの下水道の歴史を描いたところだ。これは独立して読んでも興味がある。ただし、下水道の始まり(その背景)についての説明が今出てくるか今度は出てくるかと待っていても書いていない。大変にうかつなことと言わなければならない。

それでは後300ページほどだ。ジャンバルジャンが下水道の中で捜索の警官隊とすれ違うところを読んでいる。