わけの分からないろくろみたいな物を詐欺師夫婦の口車に乗せられて買ってしまった。どこかの商店のなからしいのだが、どこだか、どうしてそこに入って来たか全然思い出せない。なにしろ夢のなかだから。
なかに水を入れ蓋をして、蓋に付いた取っ手を回すと何でも出てくるらしい。そんなような口上だった。説明書がついていない。使い方を聞くと女の商人は相手にしない。その亭主に聞くと知らん顔をしている。もっとも金を払った記憶もない。女がロクロを回して実演している時にはよく分かっているような気になっていたのだが、気が付くと全然覚えていない。三四郎も最近は時々夢を見る。その内の少しは醒めた後でも覚えている。もっとも少年の頃は全く夢を見なかった。仇に出会ったように激しく歯ぎしりをしながら大声で喚くことはあったらしい。もっとも三四郎はまったく覚えていない。深夜の睡眠中のことである。
なにかその轆轤に秘密があるらしい。その使い方さえ分かれば忘却の中から、白い煙だか、悪鬼だかが飛び出してくるような気がした。彼は夢をみると、とくにそれが覚醒後まで不愉快な印象を残した夢を見ると唯物論的にその原因を考える癖がある。たとえば、昨夜食べた食事は何だったか、なにか悪い物でも食ったのではないか。消化の悪い腹にもたれるような料理が影響しているのかとか、あるいは不愉快なことがあったか等と昨日一日のことを朝から順を追って思い出してみる。
平々凡々な毎日を送っている彼にはあまり大きなインシデントには遭遇しない。昨日ではないが、三、四日前に彼は久しぶりに女と寝た。変わった女だった。何を話したっけ、なんか調子の外れたような会話をしたような記憶が有る。おんなの顔はピカソの絵みたいだった。からだはゴーギャンの描く裸婦のようだった。
非常に詮索好きな女で彼のことを知りたがった。彼女は中堅のマンション販売会社の営業担当で彼がマンションを買い替えることにしていくつかの不動産会社のウィンドウショッピングをしたうちの一つの物件を担当していた。あれこれ気迷いがあり、数ヶ月もの間色々と質問をしたり交渉をしたりしたが、その応対がとても辛抱強く、しかも有能で適切なのに彼は感心した。
「あなたのきょうだいは何人いるの」とバスルームから戻って来た彼女はたずねた。十人いるというと彼女はえっと驚きの声を発した。本当は十人もいないのだが、沢山いるという意味で咄嗟に十人といったのだ。実際には八人くらいだろう。
「私は一人っ子だからきょうだいが沢山いる人が羨ましくて」
「どうして。一人だったら親も集中的に面倒を見てくれるからいいじゃないか」
「でも寂しいわよ」
「そうかなあ、うちは多すぎてまとまりがなかったよ」実際はまとまりがないどころか喧嘩ばかりしていたのである。
「どうして十人もいるの」と彼女は信じられない様に聞いた。人数のことはあえて訂正せずに彼は答えた。
「まず父親が勢力的だった。それに妻が三人もいたからな」
「ふーん、なんだか複雑になりそうね」
かれは答えた。「まあ、家庭によって色々ちがうだろうがね。そこにいくと僕はトランプさんには敬服しているのさ」
「トランプさんて」と彼女は反問した。
「アメリカのトランプ大統領」
「トランプさんなんて気安く言うから誰かあなたの知り合いかと思った」
「かれは僕のオヤジと同じで三婚だ。しかも先妻に死別したなら再婚もしょうがないが、離婚を重ねている。普通なら複雑でまとまりがなくなる家庭をしっかりとまとめているじゃないか。それぞれの異母きょうだいを選挙中に一緒に紹介したりする様子を見るとね。先妻の息子や娘と現夫人も仲良くやっているようだしさ。
彼はあれでアメリカをうまく治めるかもしれないな。修身治国平天下というだろう。すこし古くさい言葉かな。我が家をうまく修める者でなければ天下も治めることが出来ないという意味だ」
「うんうん、分かるわよ」と彼女は言った。彼女は三四郎より一つ年上の同年代だった。
そんな会話がきっかけで、彼の家庭とか少年時代を当たり障りのない範囲で彼女に話した。あまり過去を振り返ったことがないので、思い出しながらぼつぼつと、思い出すままに時系列を無視して(記憶は時系列を無視して蘇ってくるから)話した。それがいけなかったのかな、と彼は思った。あまり楽しい記憶でもないので当たり障りのないように脚色して話したのだが、必然的に当時の情動を呼び覚ましたのだろう。池の底のヘドロを掻き回したのかも知れない。