ハイデガーは言う。ここに瓶がある。瓶とはなにか、ものである、とね」
「そこまではまともだね」と下駄顔が評した。
「カメとは何か、その形状は、大きさは、色は。そんなことは問題じゃない。それはプラトンが言う、エイドスとかイデア先行の考えにとらわれている。正しくない」
「へえ、だんだんおかしくなるね」
「瓶とは空洞である。なぜ空洞か。水やワインを注ぎ入れて蓄えるでためある」
「ふむふむ」
「蓄えてどうするのか。人間が飲むためである、また注ぎだした水やワインは神的なものたちへ捧げる、つまりお神酒ですな。さて瓶は何からできているか、大地が長い年月をかけてこしらえた土からできている。土は天地の合作である。大地の割れ目から染み出す水もそうである。ワインの原料となるブドウも天地の合作である」
「なーる、それで天、地、人、神的なものがそろったわけだね」
「もっとも彼の講演ではこう分かりやすくいっていない。私の要約が正しければ以上のようになる」
立花が注釈を加えた。アリストテレスは原因に四つあるといった。質量因、形相因、目的因、作用因です。ハイデガーは瓶の分析においてアリストテレスのいう目的因を重視しているらしい。もちろん彼はそんな言葉を使用しないだろうが。注ぐとか捧げるというのは機能ですからね。あるいは別の言い方をすれば瓶の使用目的です」
「そのとおりですね。彼はしきりと機能と言っていたが、目的因とおなじですね」
それで、と立花は促した。その四方同士の関係はどうなんです?
「そこですよ、これが難物でしてね。ハイデガーはいろんな表現を使っている。しかもそれらを系統だってというか一つにまとめて説明していない。講演のあちこちで脈絡もなしに少しずつ表現を変えて出てくる」
「厄介ですな」
「まったくです。これは彼の癖なのか。私はボケの表れとみるんですがね」
「これはきびしいね」
「こういったクセは他の講演にも頻出する。特にひどいのは、この本の最後に収録されている『技術とは何だろうか』ではひどい。前後に何の説明もなしに結論の命題が繰り返して出てくる。いまご説明してる『物』では手を変え品を変えて短い説明をしているのですがね」
たとえば?と立花が聞いた。
「あるところでは、四者(四方)は、おのずから一つの組になりつつ、一なる四方界を織りなす単一性にもとづいて、連関しつつ帰属しています。四者の各々が、それぞれの仕方で残る三者の本質を反照し返します。云々、・・・反照させるはたらきは、四者のいずれをも開け開きつつ、それらの固有な本質を、単一に織りなされる固有化のうちへ、おたがいに組み合わせて、出来事として本有化するのです、・・・だとかね」