穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

田中慎弥君の言い訳

2012-01-28 00:07:55 | 芥川賞および直木賞

さきほどインターネットをのぞいたら、田中氏が毎日新聞に自分の芥川賞受賞会見の報道について弁明したという文章が引用されて、突っつきまわされていた。この文章は田中氏が自身で毎日新聞に投稿したらしい。

先日円城氏が産経に投稿したというのを紹介したが、受賞者が俺も俺もと投稿すると言うのはどうかね。違和感がある。別に投稿してはいけないという法律があるわけでもないが。

おおむね意外に常識的な人間で好感が持てる、というのが2チャンネルでも多いコメントだ。2チャンネルもどうしようもなく小市民的だね。

ま、あの種のテレビニュースは細切れにして編集するから、えらく自分の言ったことと違うみたいなことを言い訳する政治家なんかが多いが、田中君が弁明これ務めるのは意外だった。

こまかく、時系列を追って、縷々説明しているが、まるで国会での下僚の官僚答弁みたいだった。どうもケツの穴が小さいようだ。器は小さいようだ。

ところで、今日本屋に三人そろい踏みだな。芥川賞の二人では田中氏のほうがハケが早いようである。初めのほう数行、しまいのほう数行流したが、コンヴェンショナルな書き方だったね。俺はどうも数行ランダムに読んで書評する癖があるものだから。

勿論本は買わなかった。来月文春で選考評と併せて読み、こみで書きます。請う、御期待。


田中慎弥君と円城塔君の気炎

2012-01-26 17:49:03 | 芥川賞および直木賞

田中君は単なるコミュニケーション障害なんだろう。ストレス下での慣れない記者会見で支離滅裂になった。ヨウ狂(ヨウはワードで一発変換しない、調べてね)を気取るほど風流で余裕のある人ではないようだ。

円君、この名前はどこで区切るのかね。今日の産経新聞に『寄稿』と銘打って、中間の賞広げるのかいい(カッコ省略)というのが載っている。勢い込んだ調子からは、一字一句も直してはいけないと、編集部に言ったようだ。一読意味不明、せっかくここに書くのだから失礼にあたらないように再読。規模と言うのは読者の数のことらしい。一応脈絡は通じる。

要するに、少数の特殊な読者を想定して書いてきた。それが書きやすい。中途半端なマーケットを書くのが一番難しい。と言いたいらしい。中間の規模というのは発行部数十万あたりをいうらしい。円君によると。はなはだ具体的である。

芥川賞は大変な賞だから、大規模マーケットを持てる(と円君は言う)。いっそ今後は大部数のベストセラーを狙うほうが簡単そうだ、ということらしい。

半端なマーケット、中間のマーケット対象に書くのは難しいそうだ。そういうマーケットを念頭に書いた経験があるのかね。


芥川賞の田中慎弥は

2012-01-21 11:45:15 | 書評

前回お話しした通りまだ読んでいませんが、二人の受賞者ではこの人が全然世間の話題を取っちゃったみたい。一年前の西村健太氏の場合のように(彼と正反対の極端な引きこもりの生活)が話題を作ったようだ。彼の会見での発言が一部インターネットで話題を賑わしている。

賞をもらってやる、とか言う言葉が注目されている。選考委員の石原慎太郎氏が「皮肉っぽくていいじゃない」といなしたというんだが、これ「ひがみっぽくて」というつもりじゃなかったのか。

そういっちゃ、かわいそうだとか、まずいと思ったんでああ言ったんでしょう。

それと、田中さんの発言はどれもしゃべり言葉じゃなくて、いきなり文章言葉が校正済みで出てくる。。原稿を書くみたいに言葉が出てくるんだろう。最後に一呼吸置くところは、ここでマル(句読点)という感じだ。

文章だけで社会と勝負するひきこもり屋さんにぴったりだが、そうでなくても、この頃の文士にはやたらに露出して営業したがる不愉快、不心得な奴がおおいから、田中さんの態度は大いに感心した。

本当に文学の賞なら、記者会見なんてしないほうがいい。写真撮影だとか授賞式も邪道だ。受賞パーティなんてもってのほかだろうよ。


芥川賞の書評の書評はひと月待って

2012-01-18 19:16:52 | 芥川賞および直木賞

すばると群像からか。下読み連中にも多少ましなのがいるんだろうな。それとも同じプールだったりして。

本年も書評をしてみたいが、選考評の評も前回通り(前々回だったかな)兼ねて行いたいのであとひと月まってください。来月の文芸春秋に出るでしょう。

もっとも読んで食指が動かなければパスしますが。