穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ミステリーの文体(承前)

2009-04-24 14:04:06 | ミステリー書評

英文並みにコンパクトに書くには、地の文は漢語調で、会話は江戸御家人風にすればいい。答えは簡単なのだが実際的かどうかとなると非現実的といわざるを得ない。

どうしてもウエット、冗長にならざるを得ない。江戸御家人言葉をどこで採取するかという問題がある。わたしは静岡県の一部に絶滅寸前の江戸貧乏御家人の言葉が残っているとめぼしをつけている。

まちがっても現在の落語家のかたりを参考にしてはいけない。あれはもっとも汚らしい在の百姓言葉である。

明治維新で瓦解土崩した幕府武士団が静岡県に移送されたわけだが、そこに居つき帰農した一部に伝承されている可能性がある。

地の文に使うジャパナイズされた漢語については古いところでは成島柳北の戯文、狂文を参考にしたらよかろう。新しいところでは永井荷風だな、断腸亭日乗などがよろしかろう。


日本語はミステリーに向くか

2009-04-16 11:10:06 | ミステリー書評

また、変なことを書き出したと思うだろう。テンポ、スピード感のあるジャンルに日本語が向いているだろうか。たとえばハードボイルド、サスペンスなんか。

ホラーや本格物はニチャニチャやっていても不都合は起こらないんだろうがハードボイルドなんかどうだろう。正確な比較は出来ないのだが、同じことを表現するのに日本語は英語の倍のスペースを必要とする。英文で200ページの本は日本では大体400ページになる。

活字の大きさとか版の規格も違うから乱暴な議論なんだが、大体そんな感じだね。日本のハードボイルものに深く沈潜したことはないのだが、キレ、テンポがピンとこない。

翻訳でもそれが現れている。ハメットがいまいち日本で人気が出ないのは翻訳のせいだとは前にも書いた。前に誰かが思い切り伝法な口調で訳したのがあるが、それしか手が無いのかもしれない。相当の意訳、違訳(どっちでもいいが)になるだろう。たしか田中何とかさんだったと思うが、現在は出回っていない。

チャンドラーはハードボイルドといっても原文はそうとう伝統的な英文だし、完訳でもそれなりに読める。村上春樹氏の新訳のように。伝法調をだすならかなり意訳、抄訳の清水俊二ものがある。日本語でも読めるゆえんだろう。

ハードボイルド御三家、最後のロス・マクドナルドだが翻訳はかなり読むのに忍耐が必要だ。しかし、原文で読んでみるとそんなに抵抗感のないテンポのいいものだ。日本語に訳すのは難しいのだろう。意味を、と言うことではない。テンポ、文体を、ということだ。

それがロス・マクドナルドの翻訳者が定まらない理由だろう。


西村京太郎

2009-04-15 08:25:42 | ミステリー書評

少し前ブルートレイン廃止というのがニュースになった。その時かならずトラベルミステリー作家の西村京太郎が言及されていた。それで彼の作品をはじめて読む気になった。

書店に行くと彼の作品がおびただしく並んでいる。どの出版社にもまんべんなく営業するのが彼の姿勢らしく、どの文庫にも十以上の作品が並んでいる。すでに高齢ということを考慮しても大変な生産力である。

それだけに気になっていたと同時に同工異曲の水っぽい作品ではないかと先入観があって、読むのは今回初めて。二、三冊を読んだ。

多作家というのはまず、長さがほぼ同じで手頃である。あまり長くない。好みの問題だろうが、長いのはミステリー、エンターテインメント全般で食欲がわかない。出来れば文庫本で300ページ、せいぜい400ページがいい。理由はそう、こんなことを書いているとなかなか本題に入らないが、書くほうでもおなじムード、緊張感が保てるのではないか。読むほうでも負担がかからず、それでこそエンターテインメントである。

小説というのは豚肉と違う。目方で買うのではない。500ページとか600ページ、上下二巻なんてのが最近多いが、まったく食欲がわかないし、 買っても得をした気にはならない。

小生のミステリーの評価基準の一つは読後しばらくすると何が書いてあったか思い出せなくなるのは駄目。印象がなんとか残っている度合を目安にしている。といっても一週間もすればほとんど曖昧になってしまうのだが。

こお基準でいくと西村京太郎は一応水準だね。作品の気分というか雰囲気は思い出せる。登場人物も割とすんなりと頭にはいってくる。いま、手元に「終着駅殺人事件」というのを持ってきたのだが、最初のページを開いて1,2行読むと大体あらすじを思い出す。こういうのは少ないんだな、小生の場合かもしれないが。

これは光文社文庫なんだが、1980年代の作品らしい。日本推理作家協会長編部門賞をとったというから代表作なんだろう。ただ終りの30ページほどが感心しない。文庫本の解説を権田萬治という人が書いているのだが、これがおかしい。

この解説者によると西村氏は謎解きよりもキレを重視するという。これはいい。キレというのはつまるところ読ませるということだろうが、西村氏はあまりにも終極までに謎をばらまきすぎている。筋の展開につれて道中いたるところで謎をばらまいている。

これは無慮400ページまで読者を引っ張っていくために必要なのだろう。そして引っ張っていく筆力もある。この辺は「本格派作家」より相当筆力がある。

そして最後の数十ページで味もそっけもない文章で数多くのこじつけをこなしている。とてもキレがあるとはいいかねる。登場人物たちのキャラは立っているし、やたらと道中で謎をばらまく必要があったのか。ある意味ではミステリーとしては致命的な欠陥ともいえるのではないか。これがプロの作家に与えられる代表的な賞(なんでしょう)を受賞しているというのは首をかしげる。

この受賞の10年ほど前に江戸川乱歩賞を受賞したという「天使の傷痕」という小説ではこういう終極での破綻はない。もっとも、テーマが社会性を帯びた薬害問題なので本格派的遊びと無縁だったからかもしれない。