芥川賞を取り上げたので間が空きましたが、前々回触れたジャック・ロンドンの「シー・ウルフ」の続きです。これは一種の監獄物だな、とまず感じたのであります。
小説の出だしはこうです。サンフランシスコ湾を渡るフェリーが霧で視界が悪く他の船と衝突して沈没します。その乗客が紳士(つまり生活のために仕事をする必要がない人)で文芸評論等を一流雑誌(アトランティック)に発表しているディレッタントです。
彼が他船に救助されます。この船が日本近海にアザラシ(の毛皮)を取りに行く船で救助された文芸評論家35歳は、ちょうど良い所に来たというので、陸地に送り返されるかわりにコックの下働きにされてしまいます。
彼ハンフリー・ヴァン・ウエイデン(オランダ系らしいからワイデンと発音するのかな)は千ドルやるからサンフランシスコに戻してくれというが相手にされない。救助された場所がサンフランスコのすぐ近くなのにです。サンフランシスコに戻る船ともすれ違うような場所です。絶望的になった彼は海上で相手の船に救助を求めますが相手にされません。
こういうことが19世紀の末(多分)に通用するなら絶妙な舞台が設定された訳です。船の中は一種の強制収容所と変わらない訳です。
私はこの小説は何々ものだなと思うと、それに関連して似たような小説を思い出して比較したりします。小林多喜二の「蟹工船」を思い出した訳であります。監獄物と言えばドストエフスキーの死の家の記録とかソルジェーニーツィンの「イワン・デニソビッチ」などを思い出しましたが、どうもタイプが違うようです。
そこでかすかに記憶に浮かんで来たのが「蟹工船」であります。これは読んだような読まないような曖昧なのであります。読んだとすれば高校時代ですが、内容はまったく記憶にありません。それでわざわざ岩波文庫で買いました。読者の皆さんはご苦労さんと呆れるでしょうが、わたしの読書(書評)はつれ読みであちこちにいつも跳ぶのであります。私に取って読書とは暇つぶしですから、かえってあちこちふらふら跳んだ方が時間をつぶせるという訳です。
そこで蟹工船を読んだ印象を書こうと思ったが前置きだけで長くなってしまった。次回にまわします。