穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ある仕掛け;1Q84の場合

2012-07-27 08:03:33 | 書評

セックスマジックはカラーか。少なくともブラックマジックとホワイトマジックはある、1Q84には。

ふかえりは両方のマジックにかかわっている、、という訳である。種を明かせば。

昨夜は客の入り(アクセス数)がすくなかったな。オリンピック期間はそうだべな。

少なくとも、セックスマジックネタはミスティフィケションと肩すかしという作家の「ひっぱり」の有効な手段ではある。


私小説名作編上

2012-07-12 08:50:37 | 書評
中村光夫編、講談社文芸文庫上をあと二編ほど残して読んだ。巻頭の田山花袋と志賀直哉くらいかな。印象に残るのは。田山の「少女病」というのは妙な小説で、中年男が毎日出勤のたびに道や電車で見かける若い女にのべつまくなしにぽっとする、という「日記」なんだが、書きにくい、およそ大人の小説にはなりにくい題材を強引な筆力で持っていくところはさすがに並の小説家では出来ない。

あと、志賀直哉「城の崎にて」、収録された作品たちのなかで『随伴を許さない』うまさを実感する。大体、志賀の作品というと短編集で同じようなものが詰まっているから、うまさがわからない。こうしていろいろな作家の文章の中に混じっていると、飛び抜けたうまさが分かるわけだ。この作品は志賀の作品でも隔絶したものという評を読んだ記憶があるが、まさに『鶏群の一鶴』が実感できる。
私小説と無理矢理に評論家が括る範疇に写生文という分野があるのだね。上巻でいえば、城の崎にて、檸檬、富嶽百景、鯉、虫のいろいろ、なのだろうが、意外に多い。もちろん中学生の作文ではないから写生にのせて自分の心境、感慨を書く訳だが。
どうしてこれらを私小説というのかね。考証をして、作家の私生活を描いていると裏がとれれば私小説の箱に入れるのかな。
あと、『ブロンズの首』と『耳学問』はまあまあだろう。



自己戯画化系の私小説作家たち

2012-07-09 20:42:52 | 書評

川崎長太郎になるとだいぶ現代に近づいてくる。ほかの作家と違うのは自己を客観的に描写するというか、それも斜眼でみるという自己戯画化がある。ユーモアを交えて。

落語の「マクラ」にみられる味に似ている。西村けん多氏はこの系列だ。『随伴を許さない』車谷長吉氏は現代の葛西、嘉村系である。

この後者の系統はなんなんだろうな。おそらく日本の『自然主義』の臭みと昭和初期に文壇を席巻したプロレタリア文学の影響が大きいのだろう。


私小説か行の作家たち

2012-07-07 14:25:48 | 書評

まず嘉村磯多の業苦、崖の下あたりを読みました。どうにも気が滅入りますな。

こんなこと書いてどうするんだ、って感じ。もっとも私小説というのはこういう狭いテーマをしんねりむっつりやっているのが多いようだ。

ただ、不思議なのは先般西村賢多先生ご推薦の清沢さんでしたか、の根津権現裏を読んだ時もそうだが、四谷の西には狸しか住んでいないと思う人間にはなじみ町名が多いんですな。どういうんですかな、田山花袋の蒲団なんて冒頭の叙述は私が三年間通った学校の横ですよ。

磯村の上記二作も昔住んでいたところからあるいて三、四分のところが舞台です。もちろん昭和の初めだがこんなところがあったのかな、なんてね。

それと共通しているのは、私小説作家は風景の描写が下手です。読んでも懐旧の情もわかないし、懐かしく思うこともない。のしかかる崖の下なんていうと、鐙坂の陰かななんて考えたりね。

そういえば、現代の「随伴を許さない」私小説作家、車谷氏もか行ですな。彼の作風も昭和の作家に似ているようだ。

もう一つ、私小説作家で、特に今回の磯村氏、清沢氏あたりは難しい表現をする。自然主義以来こういう美文、こしらえたような表現はすたれたのかと思ったが。およそ、私小説とかのテーマ、トーンにふさわしくない。しかも、まねた文章と言わざるをえない。おのずから教養の浅さが表れるのでしょう。

簡単にいえば音読に耐えない。むずかしい言葉をつかっても鴎外荷風が音読また感興を誘うというようにはいかない。


私小説文庫四冊で五千円

2012-07-07 08:55:33 | 書評

お金のことをいうのは賤しいと母に言われたものですが、、

四谷の西というとおいらには外国なんですが、八王子なんていうと地の果てという感じで。

とにかく、先日東京西郊に旅行したとおぼしめせ。

本屋で、講談社文芸文庫で珍しい本を見た。戦前戦後の私小説作家の文庫四冊、並んでいる。なぜ並んでいるのだろうと不思議の思ったらみんなか行なんですね。嘉村磯多、川崎長太郎、葛西善蔵です。

みんな、か行なんだと変なことに感心したんですが、別に買う気も起きなかった。それが四谷の東に無事帰りついて日課の本屋めぐり(目的は一日一万歩達成)をしていると、か行を思い出すんですね。気になるから見るが相当大きな書店でも置いていない。

そうなると、それだけの他愛のない理由で気になってしょうがない。そこである書店で四冊そろっているのを見つけた時には、気患いを消散させる目的買いやした。文芸文庫は単価がたかい。四冊で5千円ですよ。

目方でいうと(賤しいですね)新潮文庫なら一冊500円、合計二千円てところでしょう。

つづく