カモメのジョナサンの原題は「JONATHAN LIVINGSTON SEAGULL」である。日本風に言えば姓はSEAGULL、名はJONATHAN、名乗りはLIVINGSTON、近くば寄って目にも見よ、とでも言うところだ。
このシリーズの第一回で述べた様に、この寓話は飛行家としてのリチャード・バックの体験(異常感覚、神秘体験、さとり)がもとになっている。このことは作者自身がどこにも述べていないかも知れないが。
作者の経歴は元ジェット戦闘機のパイロット、退役後曲芸飛行をしながら全米各地を巡業していた。したがって、寓意を表現するのに鳥を主人公にしたのだろう。この小説の一つのテーマは自由である。我々は魚を見て、水中を自由に泳げてうらやましいな、とはまず思わない。しかし、鳥が頭をかすめて飛び去ったりすると、コンチクショウと腹がたつ。空を自由に飛べることを嫉妬するわけである。
大方の飛行マニアの心理もそんなものであろう。この小説でも航空機の操縦術に関する用語がふんだんに出てくる。なかには一般用語になっている失速とか急降下などの言葉もある。
この作品は1970年に発表されたらしいが、それで思い出してヒッチッコック監督の「鳥」もその前後ではないかな、と調べたら1963年発表だった。映画の方は何らかの理由で発狂した(行動が非常に凶暴になった)カモメが人間を襲う話である。現代なら環境汚染物質の影響だとか、遺伝子操作だとかいろいろこじつけて物語を作るのだろうが。
それにしてもこの映画も主人公はかもめである。それだけ人間に身近な、都会でもよく見かける鳥であるということだが、それだけでもあるまい。そこで「カモメ考」」である。
小説の一つの核は「群れる」対「自由」ということである。都会、すなわち人間の近くでよく見かける群れる鳥というと、からす、かもめ、鳩であろうか。雀も群れる。そんなことを言えば鳥というのは大体群れるものであるが。都会的な鳥と言えばやはりからす、かもめ、はとであろう。もっともカモメは川や港の近くでないと見かけないが。
そこで作者は考えた(と思う)。物語は一種の昇華、自由がテーマである。邪悪の化身のようなカラスはまずペケである。色がまっくろというのもテーマにそぐわない。鳩はどうか。鳥の中でこれほど自由のイメージに遠い鳥はない。みじめったらしい。餌を求めて馴れ馴れしく、ずうずうしく人間にすり寄る。およそ、自由や高貴というイメージからは遠い。それだけに安っぽい「平和」のシンボルなのだろう。
消去法でカモメに落ち着いたわけである。それが社会一般、読者一般のイメージとも一致したのである。
カラスや鳩は人間の生活圏を侵す。カラスは人間に嫌われながら。鳩は人間に媚を売りながら。かもめはその点では人間の近くに棲みながら人間とは一線を画している。漁船の周りに群れて網からこぼれた魚に群がることはある。あるいは隅田川の遊覧船の馬鹿な客が空中にパンをばらまくと集まってくることはあるが。
そろそろこのシリーズも終わりにするかな。
おっと、もう一つ書いておこう。そもそも、これを書き出したのはジョナサンという名前に作者はなにか意味をもたしているのかな、と調べようとしたことがきっかけだった。ヨナタン(ジョナサン)というのは旧約聖書に出てくるダヴィデを救った友人の名前であるが、物語とは関係ないようだ。そういえばリビングストンというのは何かにひっかけたのだろうか。アフリカ探検家として有名な人物がいるがこれではなさそうだ。 終わり ご退屈さまでした。