71:以降物語は冒頭パートの続きとなります。今年の初めに掲載した部分ですのでお忘れになったかもしれないし、途中から読まれた方は読んでいないかもしれないので、その部分を再アップします。
このパートは西暦5000年代となっていましたが、4000年代と変更しました。直前の第三パート(タイムトラベル)のミレニアムが3000年代なので、構成美学上?次のミレニアムにしたほうがいいのかな、というだけで大した意味はありません。
推敲したい部分も残っていますが、とりあえず元のままでアップしますのでよろしくお願い致します。 作者恐惶謹言
アップデート要求改め恩寵と刑罰1:ー12:再掲
第五ミレニアム(西暦4000-4999)某年某月
登場人物
甲 警察幹部
乙 その秘書
丙 首席補佐官助手
丁 本部長
己 地球人病理学の権威
癸巳 公安部長
1:ビッグキル
甲は事務所に着くとデスクの一番上に置いてある書類のタイトルを見て眉をひそめた。またか、とうんざりしたような顔になった。茶色い革張りの回転いすに腰を落とすと試すように前後左右に少しづつ動かして最適点を決めると、改めて深く座りなおした。
やれやれとため息を漏らすと一番上の報告書を取り上げた。タイトルは「日本国東京都秋葉原における大型貨物運搬車の暴走による大量殺傷事件」とある。昨日は茨城県土浦市で同様の事件があった。先週にはフランスのニースでやはり大型クレーンを積んだトラックが群集の中に突っ込んで百人近くの死傷者を出した。
「よく続くもんだよ」と甲はうんざりしたように呟いた。「やはり死霊は空を奔るのかもしれないな。成層圏では空気抵抗もないからな」と独り言ちながら書類を取り上げた。大分前のことだが、世界各地で旅客機の墜落事故が短い期間に半ダースほど続いたことがある、と甲は思い出した。
「厄介なことになりそうだ」と思っていると、ドアを開けて乙が入ってきた。小笠原流に音がしないように注意してドアを閉めると「本部から、お出でになる前に連絡がありまして至急連続大量殺傷事件の原因を調べよ、と指令がございました」と言った。
緑色の髪を乳房と肩甲骨の下まで前後に振り分け、垂らしている秘書の乙は金色の右目を上司に向かってウインクした。「どうもこの女はすこし馴れ馴れしくなったようだ」と甲は先週の乱交パーティはまずかったな、と反省した。
2:首席補佐官助手
電話の受話器が1センチほど跳ね上がると着信の黄色いランプが目をむいて甲を睨みつけた。発信者の番号を確かめると、日本地区総支配人室からだ。彼はまず受信音をオフにするとイヤフォンを被った。受話音量を最小にすると、ボタンを押してフックを外した。
支配人室の補佐官助手の丙が甲高い声で喚いた。「何をやっているんだ。はやく電話に出ろ」と怒鳴りつけた。「今何時だと思っているんだ」
彼は腕時計で確認してから「東部日本時間で午前八時五十五分です」と落ち着き払って馬鹿丁寧に答えた。
「ばかやろう、一般職は九時までに出勤すればいいが、お前は日本地区の情報部門責任者だろう。お前たちは七時までには出社しろ。自宅にも何度も電話したんだぞ。携帯端末は二十四時間オンにすることになっているがどうしたんだ」
「どうも、このごろ具合が悪くて。オンにしておりましたが気が付きませんでした」と嘘をついた。ここ三十年間ほど日本の統治は平穏で夜間に緊急事態など起こったことが無かったのである。だから事務所を出ると携帯をオフにしているのである。
「秋葉原の事件はどこまで調べた。報告しろ」
「まだ何も分からないんです」
実際なにも調べていないし、夜間当直の担当者からの報告もまだ受けていないのである。
甲は地球植民者の三世である。半分地球人化している。首席補佐官助手は昨年地球に着任したばかりでやたらに張り切っている。甲は仕事中は九割がた現地人と話して過ごす。それで現地人の発声の周波数に聴覚がチューニングされていて、本星人(ホンボシジンあるいはホンセイジンどちらでもよい)の甲高い日本人の可聴域を超えた話し言葉に長い間注意していけない。彼らは地球人にはほとんど聞き取れない高周波で会話するのである。
長々と喚き散らす感情的な丙の言っていることが今では理解できなくなっている。ただヒューヒューと高い梢を吹き渡る強風のような音が聞こえるばかりである。
「聞いているのか」と突然甲の耳にオクターブ落とした丙の声が飛び込んでいた。はっと我にか言った甲は「はいはい、すぐに調べます」と答えた。
「この秋葉原事件のニュースは本星(ホンボシ)でも重大な関心を持っているのだ。至急適切な対処をしなければならない。本日の三時に対策会議を開催する。それまでに調べとけ」と一方的に命令すると補佐官は電話を切った。
3:予測できない必然性 ?
国会議事堂上空十五キロに停泊している巨大な宇宙船のなかにある統合管理本部(General Headquaters、GHQ)の大会議室の円卓のまわりには30人の星人(セイジン)と20人の日本人の高級官僚が着席して、対策本部長の入室を待機していた。
奥の入り口に本部長の姿が現れると一座は私語をやめた。彼は六本の足で磨きこまれた床の上を擦るようにして入ってくると正面の席に近づいた。着席すると秘書官が背後から介添えのために静かに近づき、マイクの高さと口向きを慎重に調節してから日本語翻訳用の装置をオンにした。本部長の丁(テイ)は自分の前におかれている報告書を取り上げると瞥見した。ガサゴソと言う音がマイクを通して会議室に流れた。彼はおもむろにキンキンと咳払いすると口を開いた。日本人の出席者は同時通訳用のヘッドフォンを装着した。
「諸君がご承知のように近日理解に苦しむような事態が連続して発生した。日本人は何と言ったかね、そうそう通り魔事件というのだね。ご承知とおもうが、、」と彼は日本人の高級官僚たちを見て語りかけた。「我々の地球人馴致計画は千年以上前に完成している。ご存じのとおりだ。これは自慢するわけではないが、ほぼ完ぺきな出来栄えなのだ。人間は畜群として考えられる最高のユーフォリアをエンジョイしているはずだ。しかるに、最近の事案はこれを否定するがごとき由々しきものである。もちろん、我々のプログラムには小さなバグ(プログラム上の瑕疵)はある。これは、こういってよければ、いわば(遊び)のようなものである。しかし、最近の連発する事案はシステムに棲むというか許された遊びの範疇を超えている、どうだね」と彼は首席補佐官の戌(ボ)に問いかけた。
「仰せの通りでありますな」と彼は重々しく答えた。
「どうしてなのだろう、システムに経年疲労が出てきたのだろうか。それともなにか突然変異と言ったものだろうか。どうだろうか」と彼は思いついたように厚生労働大臣に問いかけた。
「アヘンの配給には手落ちがなかろうね」
いきなり質問を振られた厚労相は慌てふためいて立ち上がると目の前に積まれた書類を誤って床の上にまき散らした。
「とんでもございません、本部長。今年はケシの花が大豊作でありまして、備蓄も数年分ありますし」
「しかし、薬には適量ということもある。やりすぎても逆効果だ。まさか配給量が多すぎたということはないかね」
濡れ衣を振り払うかのように厚生大臣は両手を振り回した。
本部長はその有様を見て眉を顰めると、甲のほうをむいて「捜査はどうなっているかね、身柄は確保してあるのだったな」
「はい、確保して取り調べ中であります」
「犯人は逃げなかったのかね」
「いずれの事件の犯人も現場から逃走するという意思はまったくなかったようであります」
「それも妙な話だ。動機は何なのだね」
「それが雲をつかむような話でして。SNSで仲間外れにされたから、というのであります」
「なに、なんのことだ」
本部長はSNSなどという言葉は知らないのである。
日本人の出席者の間にもざわめきが起こった。彼らも初めて聞いた話らしい。
4:様々な仮説 十二月二十七日
フム、と言うと本部長は思案に暮れたようにタコ頭を四本目の肢でぴしゃぴしゃと叩いた。しかし、良い考えは叩いても頭から飛び出してこなかったらしく、彼はだれかいい知恵を出さないかなと円卓の一座を見渡した。彼の視線は髭を装飾庭園のように妙な形に刈り込んだ初老の男の上にとまった。
「教授、貴方のご意見は?」
「かたじけなくも本部長閣下の御指名にあずかりまして不肖己が考えまするに、この問題には多方面から検討を加えるべきではないかと愚考いたします」
「フム、それで」
「さればでござる、賢明なる本部長がまずご指摘されたようにアヘンの供給上のイレギュラリティが発生していないかは調べる必要があります」
厚生大臣が落ち着きなく体を動かした。
教授は続けた。「言うまでもなくアヘンは地球人が余計なことを考えて、不満を持たないように与えるものでありますが、病理学的に申し上げますと人間にアヘンに対する耐性が形成されつつあるのかもしれません」
「そんなことが考えられるのですか」と本部長が聞いた。
「さあどうですか。なにしろ三千年の長きにわたって与え続けているのですからそういう可能性もございますでしょう。アル中も大量に長年飲みすぎるといくら飲んでも酔えなくなりますからね」
それだけでも大仕事だな、と誰かが呟いた。
「しかしアヘンの耐性の問題だけに絞るのも危険です。我々は人間をその基盤、OSそしてアプリケイションで完全に再構築し掌握したのでありますが、何らかの外的要因によって、それが効かなくなっている可能性もあります。なにしろ三千年ですからな、いろいろなことがあります。環境も変化しますしね。そういうわけで今一度、その人間システム、我々が大昔に構築したシステムを細部にわたって再点検する必要もあるでしょう」
かれはテーブルの上のペットボトルからニンジン茶を一口飲んだ。
「外的要因と言うと、どんな?」
「いろいろあるでしょう。それが特定できないのが問題でしてね。だからそれを特定しようというわけですが」と教授は禅問答のようなことを言った。
「何千回となく、遺伝情報のコピーをしているうちに、コピー・ミスもあるでしょうし、外的な要因で遺伝情報が破壊、あるいは変更されることがある」
「ふーん、たとえば、」
「今年度の新型コロナ・ウイールスが遺伝子を破壊することが報告されています。また、我々が有害であるとして三千年前にマスクをかけた遺伝子配列が急にアクティブになることがあるでしょう」
「そうして、今年のような一連の暴発を引き起こすと」
「そうですね」
本部長は思いついて確認するように甲に聞いた。「今年に入ってから通り魔による大量殺人事件はどのくらい発生しているのだね」
甲は起立すると「お答えいたします、本年はこれまでに五百三十八件発生しております」
「月に百件ちかくだな。それで犠牲者の数は」
「八千二百十八人であります」と甲は用意した報告書を確認しながら答弁した。
「この数字は日本だけですね、世界中ではどのくらいかわかりますか」
「国連の報告によると犠牲者は五十万人を超えております」
5:警察幹部の報告一
本部長は甲のほうを向いて、「それではこれまでにまとめた調査結果の報告をしてもらおうか。犯人たちをクラスター分け出来るような特徴のようなものは把握できたかね。君たちの用語で言うと犯人のプロファイルというのかな」
甲は指名を受けて顔を紅潮させた。といってもよりどす黒くなっただけであるが、午前中に大慌てで部下に纏めさせたレポートを取り上げた。
エヘンと咳払いしてから甲は手元の報告書を読み上げた。
「まず、犯人の男女別の内訳でありますが、男性が50パーセントで女性は四十パーセントであります。年齢別に見ますと10代から90歳代までそれほどのばらつきはありません」というと甲は一座を見渡した。みんな彼を睨みつけている。甲はますます上がってしまってしどろもどろになりながら、「報告書のコピーは皆さまのお手元にございますのでご覧ください」と言って出席者の疑い深い視線が自分に集中するのを避けようとした。
早速質問が飛んだ。男性が50パーセントで女性が40パーセントと言うと残りの10パーセントはなんですか、中性ですか」
「いや、それは遺体がばらばらになってしまって性別が特定できなかったのであります。と申しますのは次に申し上げる『通り魔』の犯行方法が様々でありまして、たとえば、飛行自動車で上空から群集に突っ込んだ場合などは燃料が爆発して遺体が燃えて無くなってしまう場合があるのです」
「遺体が無くなるというのは適切な表現ではないな。人体の残存物として識別できなるなるということだね」と司法長官が確認した。
「さようであります」と甲は死刑判決を受けたかのように委縮してしまった。
「それにしても年齢層が若年層から*90歳代までまんべんなく相当あるというのは驚きだね。それでは犯行方法の特徴はあるのかね」と司法長官は聞いた。
「大別しますと、刃物によるものと、車によるものが多い。だから一件当たりの被害者の数はそんなに多くないのであります」
「そうだろうな、刃物なんかじゃ数は稼げないからな」と誰かが不謹慎な発言をした。
「そうです、一件当たりの死傷者は刃物の場合はせいぜい数人です。車を使った場合は状況によってマチマチですが、十人以上になりますね。被害者がもっとも出た事件では百五十人の死者が出ました」
「どうしてだ」
燃料を満載した大型空中バスを高度二百メートルから渋谷のスクランブル交差点に墜落させた事件であります」
「ああ、あの事件か」
「銃器や爆発物を使用することはないのですか」
「ご案内のように人間に対しては銃器の所持を厳しく禁じております。爆発物の携行も許していません。その辺はわが警察が厳重に監視しております」と甲はここぞとばかりに胸を張ったのである。
6:政治的テロの可能性
ここまで陳述して喉が干上がってしまった甲はテーブルの上から秘書の乙に命じて特注したさつまいも汁のボトルを取り上げて喉に湿りをくれた。本部長閣下が質問した。
「テロの可能性はありますか、政治的な意図と言うか」
「お答えいたします。それは今のところ見つかっていません、そうだな」と甲は隣に座っていた公安部長を睨み下ろした。
「それは一件もありません」と公安部長の癸巳(ミズノトミ)が答えた。
「断言出来るのかね」
「100パーセントございません」
「そう断言できるものかね」と本部長は疑い深そうに呟いた。政治的テロならそれなりに犯人を手繰る手だてがある。正体をあぶりだすことが出来るんだがな、と考えた。
「犯人は自己主張をまったくしないのかね」と念を押した。
「いや、それは」と甲は慌てて割り込んだ。「犯人の中には非常に饒舌なものがおります」
「それで言っていることは同じなのかね」
「いえ、それがまちまちでして」
「たとえばどんなことだ」
「さきほどもご紹介いたしましたが、昨日の秋葉原事件の犯人はSNSをやっておりまして、そこで誹謗中傷されて仲間外れにされたというのであります」
「なんだい、そのSNSとかいうのか」
「インターネットを介して会話と言うか意思疎通というかぺちゃくちゃやるのであります。いろいろなサービスがございましてほかにツイッターとか掲示板とかラインとか無数にございます。そうそう、掲示板で仲間外れにされたというので犯行に及んだと主張する犯人もありました」
「それで、そこでは政治的、反政府的主張をしているのですか」
「さあ、それは少ないと思います」
「じゃあ、どんなことを『話す』のですか」
「今どこにいるとか、どこに昨日行ったとか、どこの飯屋がうまかったとか、およそ、会話を交換する意味のないことのようです。そうだな」と甲は陪席する部下に聞いた。
「それで、そういう話を仲間内で交換するのか。それで相手にされないと怒り狂うわけだな」
「ああ、そうでした、昨日の秋葉原事件の犯人はゲームマニアでして、ゲームの話ばかりしていたようです」
「一体幾つの男なんだ」
「たしか35歳だったな」と甲は公安部長に確認した。
「いい大人のなのにな」と誰かが感慨を漏らした。
教授が発言した。「その男の陳述は興味深いな。ほかにありますか」
「いや、逮捕したばかりでして今申し上げたことだけがこれまでの陳述で分かっております。引き続き聴取をしてまいります」
「そうですか、ぜひ供述の全体をまとめて報告してください」
「かしこまりました」
労働大臣が発言した。「犯人たちの生活様式とか職業に共通点はありますか」
甲は不意を突かれて慌てて癸巳と囁きかわした。
7:星人の日本人統治法の一例 210106
「お答えいたします」と甲はかすれた声で言った。
「実行犯はAカテゴリーからEカテゴリーにまんべんなく散在しております」
一座に驚きと懸念のささやきがさざ波のように広がった。「Sクラスにもいるのか」
特Aはどうですか、と丁が念を押して聞いた。
「特Aにはいないようであります」と甲が答えると出席した日本人の間に安どの声が広がった。彼らはみんな特Aなのである。
星人の統治方法は間接統治である。三千年前に地球を支配する前から彼らは将来の支配方法について検討していた。日本の歴史や民族性についても先行して日本に潜入していた特務員によって調べられていた。その結果、現在のような間接統治方法が採用されたのである。
地球のキリスト紀元1945年、大東亜戦争に勝利したアメリカは間接統治方式を採用して大成功を収めていた。アメリカは意識的に日本の統治中枢を破壊せずに残したのか、はたまた偶然そうなったのかもしれないが、日本の官僚制度は敗戦時壊滅せず機能していた。アメリカはこの制度を活用した。いわば『背のり』をしたのである。これが極めて有効であったのを知って星人もこれを採用したのである。
日本の敗戦の三か月前に壊滅したドイツでは国家の統治機構は完全に破壊されていたのに対して日本ではアメリカによる統治に使える国家組織が温存されていたのである。アメリカは戦前(キリスト紀元1945年前)にあった華族制度を廃止し軍備を解除したが、あとは若干の修正を加えただけであった。そして間接統治のかなめとして、GHQの直接下部機構として日本人の政治家や高級官僚を特Aクラスとしたのである。彼らのトップは日本人の首相であり、各大臣である。実質的には星人の構成するGHQに本当の実質的な首相や大臣がいるのであるが、表向き、日本人大衆には特Aクラスの人間が支配層のように受け取られたのである。
以下Aクラスは上級公務員クラス、BCDEはいわば士農工商の復活版である。キリスト歴の19世紀に哲学者ヘーゲルは労働は疎外であると喝破したが、星人は疎外率の少ない順にBCDEを割り振った。したがってBクラスにはもろもろのいわゆる芸術家が割り当てられた。ただし、テレビなどのマスコミで働く人間は芸能人を含めて疎外度がはなはだしいので最下級のEクラスに分類されたのである。
それで、「各クラス間の実行犯の率は同程度ですか」と労働大臣が質問した。
「そうですね」と甲は手元のリポートを見ながら首をひねっていたが、苦し紛れに「心持ちですが、階級が下のほうがパーセントは高いようですね」といい加減な答弁したのである。
「おもしろいね」と教授が呟いた。「そうすると地方のほうが実行犯の割合は少ないということになるかな。もっとも最近では農業も大規模化、機械化、産業化が進んでいるから都会の会社員とか工場労働者と労働疎外率はあまり変わらないかもしれないが」
甲はこれに対してなにか答えなければならないと思ったのか、しきりに報告書をひっくり返していたが「多少はその傾向があるようであります」といい加減な逃げをうった。
8:斥力エレベーター
会議は全省庁の参加する分科会の設立と専門家の調査チームを立ち上げ、全力をあげて至急実情の把握を目標とすることを決議して終了した。
地上にオフィスやねぐらのある参加者はハッチを通って斥力エレベーターに乗り込んだ。エレベーター操縦士は「全員着席してください。かばんや荷物はしっかりと抱えて下さい」とアナウンスした。ひとり力士上りのような肥大漢が座席に尻を押し込めず立っていると、「立っている人はレールにしっかりとつかまってください。カバンはしっかりと持っていてください」と注意した。
彼はエレベーターのハッチを閉めると機体を止めていたフックを外した。エレベーターは宇宙船の下っ腹を離れて急速に落下を始めた。客席のシートベルトが乗客の腹に食い込む。抱えているアタッシェケースが宙に浮き上がりそうになる。
高度千メートルに達すると操縦士は斥力レバーを思い切り前に押し倒した。機は官邸前庭にあるヘリポートの芝生の上にふんわりとソフトランディングした。
首席補佐官助手の丙は官邸に入ると五階の自分のオフィスに入った。応接セットのソファには見るからに卑しそうなだらしのない服装をした先客がいた。
「よお、会議はどうだったい」
丙は顔をしかめた。覗き屋の庚戌(かのえいぬ)は大学時代の同級生である。卒業後十年ほど交流がなかったが、さるパーティでばったりと再会した。庚戌は卒業後、いくつかの業界紙を渡り歩いたのち、当時はさる実話雑誌の記者をしていた。
「俺に書かれるようなことをするなよ」と彼は丙に脅しめかして冗談を言ったのである。その後丙が役所で出世していくと、彼も取材に頻繁に来るようになった。
「今日の会議でなにか決まったかい」。どこかでさっきの会議のことを聞きこんだらしい。
「いや、定例の会議だよ」
「隠すなよ、今年になってから頻発している『通り魔事件』の対策会議だと聞いたぜ」
たしかに実話雑誌の取材網は広いらしい。
「まあな、相変わらず早耳だな」と丙は譲歩した。
「それで捜査状況はどうなっているんだい」
「全然進捗していないらしいな」
「甲が責任者じゃ、無理だろうな」と彼は見下したように言った。
「ところで、君の取材網の広さに信頼して聞くのだが、君のほうで何か情報は持っているのかい。事件や犯人について」と丙は反転に転じた。
「いや、今のところはなにもない」
「一つ調べてくれよ、役所が出来ないような取材情報も貴重だからな」
「そうだな、そうしよう。これは相対取引だぜ。君のほうでもなにか動きがあったら連絡してくれるな」
丙は無言であったが、表情で同意した旨を覗き屋に伝えた。
秘書がお茶を差し替えに入室した。庚戌は彼女の旨そうな尻を撫でた。
9:人口庁 一月十一日
退庁した勝五郎(カツ・ゴロウ)は霞ケ浦の第一号合同庁舎の屋上から予約した迎車ヘリタクシーに乗り込んだ。サングラスをかけた人相の悪い運ちゃんに「八王子にやってくれ」と命じると横の座席にどさりとこげ茶色のデイパックを放り出した。彼は内閣府直属の人口庁統計課の主任である。
人口庁はGHQの最重要官庁である。そこの職員というのは日本人としては最高の部署である。古代シナの格言に治水は政権維持のかなめである、というのがある。星人の格言では治・人口が、すなわち人口調節が最高の政策課題なのである。正調マルサス流の考え方である。マルクスなんかの出る幕はないのである。
すべての経済活動がうまく機能するかどうかは、生産能力と需要量がバランスしていることである。この比重がどちらかに傾いても政権運営は不安定になる。
統計データからこのバランスが崩れそうになると、人口庁は経済産業省に指導を行う。その方向は予測データに基づき、投資の拡大であり生産の増強である場合もあり、投資の抑制であったり、減産である。一方、厚生省には人口の抑制か増加を要請する。供給側の調整は古代の、つまりキリスト紀元21世紀でもありふれた政策であった。人口の調整も政策課題であったが、人為的に大幅で急速な、つまり実効性のある調整は不可能に近かった。しかし、星人治下ではその当時に比較すると相当迅速に、効率的に対応できるようになっている。三千年も安定した統治が続いているのもまった人口調節の効果である。
GHQは基本的に従来の地球人の統治方法を踏襲したが、この問題については革命的な変更を行った。すなわち一回一匹いや間違えた、人口を増やすときには一人ずつ膣口からひりだすのではなくて一つの受精卵を繰り返し分裂させて最高1024人の胎児を生み出す一卵性多胎児生産技術を彼らはすでに持っていたのである。その反対に人口が過剰になるときは受精卵を作らない、あるいは一切孵化させない。そのためにはすべての受精卵のコントロールが必須となる。
そのために、彼らは家庭での出産すなわち膣からの出産を禁止した。しかし性欲は禁止しなかった。そんなことをすれば若者が反乱をおこす。
かれらは乱交は積極的に推奨したが、家庭内出産は禁止したのである。このような状態が千年ほど続いたが、家庭制度を存続させていては効率的な運用ができないので、家庭制度を廃止した。おそらくこれが彼らがもっともラディカルに人間に加えた政策である。
いまでは健康な若者から強制的に精子と卵子の提供を義務付けて、冷凍保存し、統計庁の決定に基づき、適宜受精卵の分裂回数を調節して、人口の増減を調節している。また、人間の成長を早める技術も保有していて、肉体労働可能年齢を最短で十歳に短縮可能である。また精神労働可能年齢を十五歳まで引き下げることができるのである。
西に向かうヘリタクシーに殺人的な西日が襲いかかった。地下に潜ろうとしている太陽が最後の抵抗をしているような強烈な殺人光が下から突き上げてくる。勝はサングラスを携行していなかったのでまともに沈みゆく西日の照射を目に浴び続けた。下方には一千年前に渤海国の核ミサイル攻撃で破壊されて半永久的に放棄された旧東京市街の無人の廃墟が静まり返っている。
10:素っ裸になるわよ
従来型エレベーターでビルの一階に下りると彼は日の落ち切った街路におぼつかない足取りでさまよい出た。すこしふらついた。さきほど機内で浴び続けた強烈な西日でホワイトアウトしたらしい。繁華街には灯りが瞬きだした。娘に約束した人形を買おうと見当をつけておいた目的の店に向かって歩きだした。しばらく歩いても目的の店が見つからない。おかしいな、と訝ったが、あたりを見回すとすでに灯火きらめく商店街はとっくに通り過ぎて、うそ寒い灯火もまばらな陰気な路地に迷い込んでしまっていた。先ほどのホワイトアウトで完全に方向感覚がくるってしまったようだ。勝はあせって無茶苦茶にあっちへ曲がり、こっちの角を反対方向に曲がって、すこしでも明るい商店街に出ようとしたが、どうも同じところをぐるぐる回っているらしい。腕時計を見ると一時間以上道を見失っている。日は完全に暮れて路地はほとんど暗闇が支配していた。
そろそろ疲労が足に来ていた。喉が渇いてきたが飲むものを携行していなかった。突然暗闇のなかからなまめかしい声で「素っ裸になるわよ」と声がした。びっくりしてそのほうを見るとちまちましたビルとビルの間の暗闇に白首が浮かんでいた。不自然に真っ白な顔の女が立っていた。真っ赤に塗った薄い唇が開いている。口の中は真っ黒な闇だった。女は首から露出している胸元まで異様にしろい。
女はもう一度誘うように「素っ裸になるわよ」と誘った。「立ちなさいよ」と女に叱責されて海綿体を充血させない男はいない。おなじく「素っ裸になるわよ」といきないり不意を突かれて「乗らない」男はいない。たとえ、人口調節局のエリート職員であってもおなじである。まして今彼はホワイトアウトしてまともな判断ができない。
にっこり邪気がなさそうに笑った女は先に立って歩きだした。勝はふらつく足で無抵抗について行った。人が一人ようやく通れるような所に入ると明かりのついて戸口があった。女はその中に入っていく。中はものすごく暗い。足元もよく見えない。女はその奥にある階段を下りていく。「急だから気を付けてね」と言いながら。
地下は狭苦しいスナックのような作りで2・5メートルのバーにテーブル席が一つあるだけであった。女はそこに彼を座らせると、何にするかきいた。ビールがいいなというと、女は席を立ってカウンターに行った。
おんなはビールと頼みもしないオードブルらしきものがのった大皿を運んできた。これを見て勝はやや正気がもどり、やばいなと不安になった。女がビールの酌をした。その手を見て彼は正気に戻った。彼女の手は土方のようにごつく大きく茶色に変色していて、太い静脈が手の甲をはい回っている。白首はめちゃくちゃにおしろいを塗っていたのだ。
彼は脱出計画を思いめぐらいながらビールを飲んだ。なんだか妙な刺激が舌や喉を不快に刺激した。やばいと本能的の思った彼はグラスをテーブルに置いた。体中がかっとしてきたと思ったら、おんなもテーブルもその上に乗ったオードブルもどきの大皿もみんな回りだした。彼はぼんやりとしてきた目をこすりながら皆左回りなのを不思議そうに眺めた。意識が唐突にシャットダウンした。
11:夢の傾向一変す
彼は寒さに震えながら駅前のバス停のベンチで目が覚めた。リュックサックが無くなっている。慌ててポケットを確認したところ財布は不思議なことに残っていた。彼はふらつく足で震えながら近くの交番に駆け込んだ。被害を訴えると新米らしい警官が用紙をとりだして、いろいろと細かいことを聞き出して記入している。時間のかかることおびただしい。
「そんなことより、そのバーへ踏み込んで捜査してくれ」というと、新米は困ったような顔をして奥の仕切りの後ろに入って指示を仰いだ。頼りないことおびただしい。やがて五十年配の男が防刃チョッキに片腕だけ通して寝ぼけ眼をこすりながら面倒くさそうな顔をして出てきた。
「どこのバーですか」と無愛想に聞いた。
わからないんだ、「なんていうバーです」。分からない。
老年の寝起きの警官はあきれたような表情をした。
勝が興奮して喚きたてるものだから、早朝の出勤者も交番の前に、何事ならんとたかりだした。年配の警官は面倒くさそうに、新米に「場所を確定してこいや」と命じた。
新米と二人でくだんの悪徳バーを探索したが、昨日も道に迷った挙句にぶち当たった店であるから、いざやってみると勝にナビゲイト出来るわけもない。どこにもそんな店はない。
30分もするとさすがの新米も怒こりだした。二人は交番に戻ると調書を取られたが、勤務先はと聞かれて彼は咄嗟に役所に知られたらやばいことになるかもしれないと気が付いた。下手をするとデメリットが付く。財布は無事だし、デイパックは取られたのか、失くしたのか判然としない。なかにはオフィスから持ち出した書類は入っていなかったはずだと思うと、彼は被害届はいいや、と言い捨てて交番を飛び出した。
勝はもともとあまり夢を夢を見るほうではない。消化の悪い脂っこい夕飯を食べた夜などたわいのない夢をみるが、起きたあとは覚えていない。ところが最近毎晩夢を見るようになった。それが馬鹿に鮮明なのである。キリスト紀元だったころの古代の映画業界の惹句風に表現すると極彩色天然色なのである。立体的なのである。とにかく生々しい。目覚めてからもその記憶は消えない。
「素っ裸になるわよ」と白塗りの妖怪に惑わされてからである。どうもあの狭い地下のバーで飲まされたビールの中になにか盛られたのかもしれないな、と彼は疑った。
したがって夢の中にあったことが現実のように取り違えることがある。ある時など、大月駅近くの繁華街にあるバーにもう一度行こうとしたことがある。しかし、いくら探してもそんな店はない。そのうちに、ああそれは夢に見たことだったと納得したのである。そんなことが続いたので彼は克明な日記をつけ始めた。それまでは小型のビジネス手帳に簡単なメモのようなものを書き込んでいただけであったが、今回は6号の大型大学ノートに日記と言うよりも時記を残すようになったのである。おまけにその横に証拠としてその日に受け取った商店や飲食店のレシートを添付した。レシートには店名、所在地、発行時刻が印刷してある。行動確認には最適である。
随時日記を紐解いて彼の表象が現実のものか、夢の中の物なのか確認しているのである。
夢の中には極めて不快なものが多い。あとは何でこんな夢を見るのか現実の彼の生活と全然関係のない場面が出てくる。極楽のような夢はみない。もっとも一説によるとそのような夢をみるようになると死期が近づいている証拠だという人もいる。
12:あなたの顔は変よ
合同庁舎55階の食堂はほぼ満員だった。カウンターには長い列が出来ていた。勝は列の最後尾に並んだ。前に並んでいたのは同期の岸なのに気が付いた。彼は国防省動員課で働いている。列は亀みたいに少しづつ進んでいく。
「忙しいのかい」と後ろから声をかけた。
岸は「うん、今中期計画の作成中でね」
「どんなところが問題なんだい」
「どうも情勢が流動的でね。特に北方、西方の蛮族の動きが不穏だ」
「ふーん」
「それでね、場合によっては君のところにも相談に行くかもしれない」
「てえっと、なにか兵員が不足するのか」動員課の岸が人口調節庁と打ち合わせをしたいというのだから、そんなことかな、と思って聞いた。
「そうなんだ、兵器の調達は問題がないんだがね。兵員となるといろいろ難しい。すべてロボットに頼り切るわけにはいかない」
「それはそうだろうな」
「中期計画と言うと、どのくらい先なんだ」
「ま、五年から十年だな。どうも今の体制だと兵員不足が深刻なんだよ」
「ぎりぎりだな。むずかしいかな」
「一応備えておかないとね。計画がまとまったらお願いに行くかもしれないよ」
彼らの順番がきた。岸はナポリタンにコーヒーを選んだ。勝は天津丼とオレンジジュースを取った。食堂の席は満席だった。2人はトレイを持ってはきょろきょろと空席を探しながら中にはいった。後ろから「おい、勝」と野太い声がかかった。振り向くと厚生省薬物課の田村だった。なるほど彼のそばに空席がある。二人は隣に落ち着いた。彼はカツカレーを食べていた。
「久しぶりだな」
「お互いに忙しいからな。そのうちに飲みに行くか」かれもまた同期なのである。そのテーブルは北側の大きな窓に面していた。勝が向こうを眺めると筑波山が黒々と雲の上に浮かんでいる。昨夜は関東に強風が吹き荒れて朝の湿度は20パーセントしかなかった。こういう日には雲一つない空の下に筑波がくっきりと見える。勝は急になんだか気持ちが悪くなって顔をしかめて腹のあたりを抑えた。その様子を見ていた岸は「どうした。調子が悪いのか。少し痩せたな」と改めて彼をしげしげと見つめた。
「いや、なんでもない」というと視線を窓の外からテーブルの上に移した。やがて不快感は薄くなっていった。
「働きすぎじゃないか。人口庁は人使いが荒いからな」
そういえば、と彼は今朝のことを思い出した。洗面所で髭をそっていると、食堂で三か月目のセックス・パートナーの裕子が妻に「パパの顔がおかしいわね」と言っているのが聞こえた。彼は改めてしげしげと鏡を見たが目が少し血走っているくらいで特に変化は分からなかった。
「最近すこし働きすぎじゃないの」
「そうだな、人口庁は人使いが荒いからな」と言った。
GHQの勧告で週二十時間制になっているが、勝の勤務時間は最近では週に三十五時間を超えている。
もっとも彼女のほうにも彼に対して飽きが来たのかもしれない。GHQもあまり長い間パートナー関係を固定することは歓迎していないから、そろそろ分かれる潮時かもしれない。
勝は回想から岸の声に呼び返された。
「例の通り魔事件は一向に収まる気配がないな。GHQでもこの間会議を開いたというじゃないか。どうなっているんだ。君も会議に出ていたんだろう」
「ああ、結論なんてまだ出ていない。とにかく現状を多面的に分析把握して調査を継続しようということになった」
田村が割り込んだ。「その件だけどね、我々のところにも照会があったよ」二人は彼を見た。
「なんでも、薬物関係から調べろということでね。一つはアヘンの耐性についてというのと、なにか刺激性のドラッグがひそかに街に出回っている形跡はないか、調べろとさ」
「刺激性のドラッグというと?」
「アヘンはどちらかと言うと、うっとり方だろう、言い方は変だが、何もしなくてうっとりとして非活動的になる。それが恍惚状態なんだが、一方で刺激性と言うか、向精神作用をもたらす薬物があるんだ。やたらと活動的になるというか、攻撃的になる。無鉄砲になる。ようするにハイになるわけだ。若年層には本来的にアヘンは向かないんだよ」
「アヘンは人工的に涅槃状態になるわけか」
「まあ、そうもいえるな」