「あなた、これは何なの」と文庫本を読んでいた妻の洋美が本から顔を上げて訊いた。
「何を読んでいるんだい」
彼女は本をひっくり返して表紙を見た。「ポール・オースターの幻影の書よ」
表紙を確認しないと自分の読んでいる本がなんであるか分からないらしい。むりもない。なにやら訳のわからない小説なのである。第九は200ページ当たりで読むのをやめてしまったのである。入れ子細工の小説というとはなはだ技巧に富んだ成熟した小説のように聞こえる。
「チャイネーズ・ボックスみたいだろう」
「なに、それ」と洋美が問い返した。
「お土産なんかで蓋を開けると、その中に小さな箱があって、それを開けると中にまた箱がある、そういうのが延々と続くように包装してあるのがあるだろう」
「ああ、この間パリで買ったイアリングがそうだったわね。パリの税関で係員が中を調べようとして箱を開けるとまた箱が入っているのよ。そういうのが何重にもあっていて、税関職員はいよいよ密輸品かと思ったのか、張り切って最後まで梱包を開けられたわ。なるほどね、そんな感じの構成なのね、この小説は」と彼女は得心したようであった。「努力が必要なのね、こういう小説を読むのには」とあきらめ気味に呟いた。
翻訳者はとにかく褒めなければ立場がないのだから、そういう構成を絶妙だと後書きで書いていた。第九には最後まで読む気にはならなかった。しいて言えば、沢山の短編小説を鍋に放り込んでみたものの、味が最後まで融合していない鍋料理というところだろう。
彼は貧弱な本棚の前に言って一か所にまとめてあるオースターの作品の背表紙を眺めた。幻影の書のところが空白になっている。最初の三、四作品はムンムンと迫ってくるものがあったな、と思い出した。なんというか、ドロドロした熱い混然とした塊があって面白かった。それから数作は通俗小説化した。だがまだ筋は読めた。それがその後、短編小説のごった煮になったんだな、と彼は振り返った。
この文庫本の翻訳者は一貫して柴田元幸氏である。彼はオースターが映画界にかかわったのが「ごった煮」作風と関係があると言っていた。そうかもしれない。映画のシナリオならこういう断片化した映像を次々と繰り広げても一応格好がつくだろう。インディージョーンズなんかみたいに。しかし、小説ではどうなんだろう。だが、オースターが幻影の書の次に書いた「オラクル・ナイト」では同じ手法だが技巧的には前作に比べて全体が有機的になっているな、と思い出した。『もう一度全作を読み返してみるか、幻影の書も含めて』と彼は考えた。