師走、年末年始はシェイクスピアを読むことにした。作品は沢山あるからもっと長引くかも知れない。悲劇と言われる作品は大昔に読んだから喜劇からはじめるか。もっともハムレット青年もマクベスなどもほとんど覚えていないから初読も同然ではあるが、ま喜劇と言われる作品はまったく読んでいないのでその辺からと思っている。
ところでロミオとジュリエットは悲劇かね。新潮文庫で少女向きのピンクのカバーで出ていたので先日読んだ。初読である。本当の初読でね。むかしつまらない洋画で見たことは有るが。
中野好夫氏によるとシェイクスピアは看るものというより聞くものである。同感である。私はさらに敷衍して読むものであるといいたい。エリザベス朝時代の劇場の制約から舞台装置、書き割りの類いはほとんどなく、舞台はシンプルで演出家が演出に凝る余地はほとんどない。また比較的小劇場であるからじっくりと話芸を楽しむ日本の寄席のようなものである。あるいは舞台が簡単なのは日本の能舞台のごとしという。
それなら劇場に言って日本の俳優ががらんどうの大劇場でセリフと言えば興ざめでしかない「わめき」「どなる」のが演技と思っているさまに感興を殺がれることもない。みかんの皮を猿の様にこたつで剝きながら読んで可である。
作品の数は多いが脚本は短い。200ページくらいだろう。最近は内外でも目方で売るせいか長い小説が多いが最後まで興を失わないのは稀である。正確には絶無と言っていい。私が分冊になっている小説で最後まで読めたのは、レミゼラブル、風とともに去りぬ、デイヴィッド・コパーフィールド、白鯨のみである。