穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

二十日のご無沙汰になりますな

2014-03-25 20:46:39 | 書評
どうしちゃったかって、ご心配くださるかたもいないと思いますが。

結論から言うと、どうもしていません。相変わらずです。ぼちぼちと少しは面白そうなヤツを探して読んでいます。

どこかに大分前に書いたような気がしますが、このブログの書評は感傷的再読書評と時事ネタ書評(芥川賞作品、ベストセラー)に大別されるわけです。

感傷的再読は大体おわりました。時事ネタはアクセス数を増やせるかとやっていたんですが、バカらしくなったのと、つまらない作品を読む苦痛に耐えられなくなったのでお休みしております。

でもメシと同じで何か読んでいないと落ち着かないので読んではいます。最近ではちょっといいなと最初は思ったのは、ウィルキー・コリンズの「白衣の女」ですが、読んで行くうちに、さしたることもないな、と意欲が衰えました。

150年前の作品ですが、今日のスリラーよりかは面白いでしょう。



読書のエネルギー変換効率について

2014-03-06 10:15:49 | 書評

読書をして、その内容のなにがしかを自己の栄養として取り込む変換率を言う。

オビや目次につられて買ってみたものの、ものの一ページも読まないで抛り出す場合(そういうのが多いが)を別として、我慢しながらでもせいぜい10ページ、20ページよんでなにがしかの価値を取り入れる効率を言うのである。

個体差があるから何とも言えないが、私の場合は5パーセントを超えることはない。頭が悪いから理解できないのだろう、って。いや、ごもっともなご指摘でござる。

ならすと、ずいぶん乱暴な話だが、2,30パーセントということではないか。これは著者、読者に最大限の敬意を払っているのだ。石油エネルギーを電気エネルギーに変換する効率もそのくらいじゃなかったかな。褒めているのである。

じゃ、なぜ本を買うのだ、いやまったくそこが問題である。早く言えば食事のようなものだろう。定期的にとらないと飢えてしまう。どんなにまずいものでも口にせざるをえない。戦場などで食料がなくなると、靴も食べるようになるという。

飯を食えばどうなるか。その大部分は糞になるのである。糞尿を処理するためには下水道が完備していなければならない。下水道工事は莫大な公共投資を必要とするインフラ整備である。

前回申し上げた通り、出版界では下水道インフラの整備が義務なのである。糞詰まりが解消すれば、食欲も回復し新本のはけがよくなることも明瞭である。社会的義務を果たすと同時に売上拡大にもなるのである。

前にも申し上げたとおり、古本屋はまったく役に立たない。出版業界はパソコン、家電にならってリサイクル事業を始めるべき時期である。なぜなら古本は再流通比率が(商業的に)きわめて低い。古紙再生としてリサイクルすれば環境問題の一助となる。