穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

たざきつくる君とやら

2013-04-22 22:05:05 | 書評
村上春樹氏の新作がニュースだ、ニュースになった本の書評をするのがこのブログの方針だから、これもするが、まだ買っていない。行列するほどみっともないことをしたくないしな。

オイラには特技がある。本を全然読まないで書評をするのである。1ページだけ読んで書評をするなんて朝飯前だ。で今回は一ページも読まないでの書評である。

しかし、インターネットで感想とか、意見の類いは見ているのだ。オイラが見落としているのかもしれないが、書評で飯をくっている連中の感想というのはまだ見当たらない。

一般読者(というのだろう)のアップは結構ある。こういうのが結構参考になる時もあるのだが、「たざきつくる」本は読んだよ、というだけのアップが多い。読んでどうだったってのが見当たらない。よかったわー、てなアップもある。どうよかったか全然書いていない。

これって買った読者の層をある程度示唆しているんじゃないかな。随分大胆なことを言ってごめんなさい。これじゃさすがのオイラもお手上げである。

もうすこし、内容のある、手応えのある感想をあげてよ、村上ファンの皆さん。

それとも声もでないほど感激して呆然としているのかな。




アンナ・カレーニナ

2013-04-10 08:31:21 | 映画
とうとう映画評論までするようになったか。

映画評論をすれば少しはアクセスが増えると思ったのかな。もっともその場合は褒めたり、提灯をつけなければいけないのだが、私にはそういうことは苦手だ。その点は読む前にご同意をクリックしていただきたい。

トルストイの小説は何回も映画化されているようだが、これから書くのは現在上映されているもの。いやひどい。最初は幼稚園の学芸会みたいな書き割りで、大成功の「レミゼラブル」にあやかるつもりでミュージカルというかレビュー風である。

すぐに映画館をでようと思ったが薄暗いなかで階段で蹴つまずいて転落して怪我をするのも嫌なので我慢して見た。後半はやや改善した。レビュー風が弱くなり、俳優の表情なども並のできまで改善した。

なぜ、映画をみたかって。ちょうど半端な時間が出来た。それと原作は読んだことがない。若い時に本を読まないと年をとってから、読む本が残っていて退屈しなくていい。原作は長大なので半端な時間に映画でも見てあらすじでも知っておけば、読む時に役に立つかな、てな不届きな考え。

映画を見た限りでは、自我に目覚めた女性が自分に誠実に生きた物語などという解説は的外れのようだ。解放された(啓蒙された)女性が自分に誠実に生きるというのが、子宮の要請に忠実に生きることというなら分かるが。

日本にもどこにも、こういうたがの外れてしまった女性はわんさといる。だからこの種の事件がいっぱいなのだ。女たらしのヴロンスキー伯爵というのも、伯爵という肩書きを外せば世界中どこにでもいる。

さて、原作の評価をすこし調べたが、どうも小説としては大したものらしい。そのうちに読んでみよう。上に書いたことはあくまで映画のことだ。

物語は1870年代でロシア貴族が連日の夜会を開き豪華絢爛な生活を享楽しているところをレビュー風に強調したかったらしい。あんなことをしているから、やがて日本に戦争で負け、共産主義革命で王室、貴族が根絶やしにされたのだ。




田中英光、愛と青春と生活

2013-04-10 07:49:40 | 書評
前回書いた田中の短編集のタイトルは「桜、愛と青春と生活」というのだが、桜の他に支那事変の従軍体験が反映されていると思われる短編が三つと、タイトルにもなっている「愛と青春と生活」という中編が収められている。

短編三つはまあいいが、「愛と青春と生活」はぐっと落ちる。もっとも、田中英光の作品としてはこちらの方が言及されることは多いようだ。

彼は少し長いのを書くとだれるのかな。それとも、彼が言っているように書き散らかしているうちに質が落ちるのか。この作品は彼が京城(ソウル)に新入商社員として勤務していた体験がもとになっている。従来からの私小説的な臭みのある作品だ。つまり安下宿の黒く汚れ、ささくれた古畳を思い起こさせる私小説の定番に近い。

というわけで、西村賢太ご推奨の藤沢修造を連想させるところもある。

まだ、最後まで読んでいないが、我慢して読み通せるかな。


田中英光、桜

2013-04-09 09:47:51 | 書評
作品は読んだことがないが、なにかの理由(思い出せない)で興味を持つ作家というのがいる。

田中英光もそういう名前である。二、三年前か、もう少し前からである。書店で思い出した時に探すのだが、これがない。

古本屋を回ればすぐに手に入るのだろうが、私は古本は一切触らないことにしている。図書館に行けばおそらくあるのだろうが、私は図書館で本を借りることをしない。

ところが最近新刊書店で偶然見つけた。講談社文芸文庫、大きな活字で300ページ足らず。この文庫はあまり売れない物を探して刊行しているらしく値段が単行本のように高い。これが1300円である。文庫本だが千円以下のものは見たことが無い。

今年の一月が第二刷というタイミングだ。第一刷は1992年だからあまり売れないのだろう。二十年ぶりに第二刷だ。

この文庫の発行する本は玉石混交である。大体つまらない物が多い。ところが田中英光の短編がいくつか入っているこの本はいい。もっとも半分ほどしか読んでいないが。

wikipediaを読むと太宰治に師事した無頼派ということだが、ここに収められた作品にはそんな感じがしない。もっともまだ読んでいないのが一編あるが。戦前戦中から終戦直後のものではそんな面影は無い。

昭和21年か22年に太宰の影響か薬物中毒になってやがて自殺するがそのあたりの作品とは感じが違うのかもしれない。

田中の作品で現在新刊書店で購入出来るのはこれだけらしい。巻頭にある40ページ弱の『桜』という短編は自分の父や、疎遠になっている高知の実家のことを書いている。自分の家族のことを書いているようだが、家族を書くというのは職業作家でももっとも難しいことではあるまいか。

彼が師事していたという太宰治に『津軽』という自伝的作品があるが、それよりはるかにいい。もっとも長さも違うし、取り扱い方も違うから逐語的というか細かい比較は意味がないが、読んでいて歴然と判別出来る作品の善し悪しというのは客観的に評価出来るものである。

私小説的にというか、自伝的に描いたこの種の作品では私の読んだ範囲ではAクラスである。

田中は私小説作家と言われることもあるそうだ。それで思い出した。西村賢太氏が一時彼に興味を持っていたらしい。西村がその後入れこんだ『根津権現裏』の作者よりははるかにいい。西村氏も何がよくて、名前は忘れたが、根津権現裏の作者に入れこむようになったのかな。

田中英光の経歴で変わったところは、1932年のロサンジェルス・オリンピックでボート競技の日本代表だったことだ。たしかに、オリンピック選手で作家になったのはあまりいないんじゃないかな。