分析哲学以外の現代哲学には二つの大きな潮流がある(ようである)。現象学と解釈学である。ところが両方とも名前から内容がどういうものか推測できない。さらに解説本を読んでも益々分からなくなる。
現象学についてはフッサールの「現象学の理念」を読んででますます分からなくなった。ところが解釈学であるが、どうやら見当がついたような気がして来た。以下それを述べて読者の皆様の査閲を乞い願う次第であります。
解釈学は横文字では解釈学といわない。ギリシャ語に由来があるようであるが、
techne hermeneutica というらしい。つまりtechnic of
hermeneutikというらしい。ドイツ語ではhermeneutik
というようだ。英語でも同様のギリシャ語なまりだろう。
解釈学というのは直訳すればtheory of interpretation あるいは theory of
reading となるのだろうが、そうは言わない。
Hermeneutikとはギリシャでは曖昧に表現される神託や詩の解釈という意味だそうである。中世、近代では聖書釈義のことらしい。転じて時代が遠い昔でしかもことなる文化圏の文章をそのままでは理解出来ないので補足注釈することに転じたらしい。日本で言えば本居宣長の古事記伝みたいなものだ。二十世紀の解釈学はそれを借用している。
二、三初歩的入門書、解説書の類いを読んだところでは、その特徴はシモ(下)のごとくである。
&決定的なことを言わない。
&明確な根拠を示そうとはしない。あるいはそういうことには興味がない。
&体系を作らない。基礎づけをしない。
&膨大な文書資料を扱う。
&学際的(特に心理学、精神分析学、人文科学)の成果を積極的に援用する。
これで彼らのフロイトとの親近性が理解できた。
&その結果、通俗科学解説書風になりやすい。
&寄生的である。つまり文化評論となる。
ようするに、エッセーである。このスタイルで書くと著作は各人膨大な量となる。文章のうまさが決定的となる。卓抜な警句、奇抜な着眼点、表現のうまさが命となる。それらがあれば読んで楽しいものとなる。以上