穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

Q(4)章 看護兵となる

2017-06-02 14:30:10 | 反復と忘却

雷鳴は間遠になったが、雨は依然として激しく降っている。彼らはもう一杯コーヒーを注文した。老人に聞くと彼もコーヒーを飲むというので老人の分も買ってきた。

「雑役夫というとどんなことをするんですか」

あらゆる雑用だな、と老人は答えた。「食糧や武器の運搬、軍馬の世話、負傷兵の輸送とかね。「幕府の長州征伐はぽしゃっちゃったが、すぐに戊辰戦争がはじまったからね。戊辰戦争の時にはイギリス大使館の医者が負傷兵や戦病兵の世話をしてね。なにしろ漢方医じゃ手が回らないんで大活躍さ」

 老人の話によると彼は英人医師の助手になったらしい。そうしているうちに器用なこともあって大体コツを飲み込んでしまったという。。戦場の負傷とか病気というのは決まり切っているし、大名や大商人の屋敷に上がってお脈拝見なんて悠長なことはできない。即断即決で荒っぽいこともする。老人も、彼の名前は尼子林次郎というそうだが、器用だから大体のところはすぐ覚えてしまって英人医師から信頼されてほとんどのことは独断で処置したらしい。

 そして英人医師にかわいがられて戦闘の合間にはあらかた臨床の方面のことは覚えてしまったという。そうしているうちに尼子の腕の良いことが大名たちの間でも知れ渡ってあちこちの大名家に出入りするようになったという。譜代大名のご典医になったこともあるという。

 そりゃ大出世ですね、と平敷が感嘆したようにいうと「なに、ご典医といっても眼科、外科、小児科など細かく分かれていてね、それぞれに数人典医がいるんでさあ」

「そうすると、現代の大企業が専属で持っている企業の大きな診療所の医師みたいなものですね」

「そうかもしれない」

 「一度は公家の家にも呼ばれましたよ。公家と言っても相当身分が高いかたでね」

「どこですか」

「それは言えないな。恐れ多くてはばかりがあるからな。ある老女としておきましょう。白内障を患っておられてね。薬では直らない。当時西洋流の手術が効果があることがわかってきたんだが、漢方医で処置できるものがいない」

「蘭方医がいるでしょう」

「白内障の手術というのはまだ珍しかったからね。それに手術の経験があっても相手が高貴な方だから、もし失敗したら責任問題になる。腹を切らされたでしょうな。だからだれも名乗り出ないわけです」

 「そこで私にどうか、という話になった。失敗したらその場で腹を切るつもりで短刀を懐に入れて手術にのぞみましたよ」

「それで」

「包帯をとったときに目が見えるとその方が言われた時には嬉しかったですね」

「成功したわけですね」

 三四郎が「どこかで当時は眼科が一番西洋医学に遅れていたとか読んだことがあるな。司馬遼太郎だったかな」

平敷が三四郎を見た。

「たしかに眼科が一番遅れていたでしょうね。そのせいか当時の日本は眼病の患者がやたらに多くてね。さっき話した英人の医師が現状を見て、お前も眼科だけはしっかりと勉強しておけ、きっと役に立つと言われた」

 それではきっと明治の医学史には名を残されたのでしょうね、と平敷がいうと、尼子老人はわたしは見様見真似のもぐり医者だからね、ご一新で世の中がひっくり返っていたころは通用したが、だんだん世の中が落ち着いてくると民間では繁盛しましたが、医学界では認知されませんでしたね。看護兵あがりで正式に医学の教育を受けたわけではないしね。

第一私には戸籍がないんですぜ、と付け加えた。

 「長州征伐の時に家出したといったでしょう。それで民間の医者としては経済的にはかなり成功して明治の中頃に故郷に帰ったときにわかったんだが、本家に戸籍を抹消されていた。家出して長年連絡がつかないというのでね。日本で初めてきちんとした戸籍制度ができたのは明治10年で壬申の戸籍と言われているものだが、その時に家のほうで抹消してしまったんでさ」

 雨はようやく小降りになってきた。窓の外も明るくなった。電気はまだ回復しないが。

「公家の老女の手術には後日談がありましてね。成功をねたんだ漢方医の集団に京都の五条の橋の上で闇討ちに遭いましたよ。さんざんに切り刻まれてね。川に飛び込んでようやく九死に一生を得たわけだが」というと老人はワイシャツの前をすこしはだけて見せた。胸から腹にかけて刺青をいれたように切り傷の後が光って見えた。「背中はもっとひどくやられたけどね」

 

 


Q(3)章 長州征伐の時に家出をした

2017-05-26 08:42:29 | 反復と忘却

しばらく前から百輛編成の貨物列車が近づいてくるような音が上空から轟いていたが、いきなりすべてを焼尽すようなマグネシウムの閃光が走り店内は真っ白になった。ガシャン、バリッ、ドカンと大音響が降ってくると同時に震度八以上の揺れがスターバックスの店を揺さぶった。明かりは全部消えた。

 午後三時とはいえ外はカワタレ時(彼は誰時)のような暗さで店内には十燭光ほどの光しか届かない。道路を疾駆する車は昼間からランプを点灯している。そのヘッドライトの光線が時々店内をぱっと一瞬照らす。

 店内にいた女性客はキャーとかギャーとか文字に転換不可能な彼女達特有の動物的絶叫をあげた。「おいでなすったな」と老人の声がテーブルの向うでした。その目は紫色に光っていた。しばらくすると上空の貨物列車の轟音はだんだんと遠ざかって行った。

 「西南戦争の時の田原坂での官軍の砲撃を思い出しますな」と老人は呟いた。我に返った平敷は「いったいお年はおいくつで」と聞いた。「当年取って十一歳でさあ」と老人は答えた。「えっ!」

 「文政十年と言うと190歳ということになりますね」と落雷にすっかり性根が飛んでしまった三四郎が機械的に独り言の様に口に出した。

「昔はね。還暦を過ぎると新しく数え直す。私なんか三回還暦を迎えてますな。最後の還暦から十年、当年とって十一歳でさ」

 「そうするとあなたは島津藩のお侍さんだったんですか」

老人はとんでもない、という様に体の前で手をひらひらさせた。「広島の山の中の水呑百姓のせがれでさあ。幕末からご一新の始め頃に一旗あげようとあちこちの戦争に飛び込んだ。うだつの上がらない百姓から這い上がれるかと思ってね」

「備中美作の宮本武蔵みたいですね。関ヶ原で一旗揚げようと飛び出して来た」

「そうさね、そんなところだな。とにかく生まれた所がひどい所でね。農閑期には出稼ぎに諸国を行商して歩かなければならない。毎年の様に河の水が溢れる。十歳の時には家族全員が洪水で死んだ。分家の分家でね。それで本家に引き取られたんだがまるで奴隷の様に働かされた。それでぐれてね、博打に手を出したりした。そのときに長州征伐があったのさ。幕府の大本営が広島に置かれたのでうまい汁を吸おうと家出をしてしまった」

 平敷が聞いた。「それでお侍になれましたか」

馬鹿を言っちゃ行けないというように老人は言った。「まず雑役夫に潜り込めればいいほうだ。その内にお侍に取り入ってうまく行けば足軽みたいなものになれるかもしれない」

 

 


Q(2)章 文政ひのと・ゐ

2017-05-18 08:46:30 | 反復と忘却

運ばれて来たコーヒーはファストフード店の多くがそうである様にぬるく薄く不味かった。ウサギの糞のように細いシュガースティックを破り砂糖を3グラムコーヒーに入れると付いて来た耳かきでかき回して二人はコーヒーを飲んだ。

 老人は胸ポケットから葉巻を取り出し吸い口を噛み切ろうとしたが、ふと気が付いた様に「禁煙でしたな」というと火のついていない太い葉巻を指の間で回した。

「この雨はすぐに止むでしょうか」と三四郎は老人に聞いた。先ほどの話から老人は龍神をコントロールしていると思ったのである。

老人は驚いた様に彼を見た。「さあ、どうだか分かりませんね」というと長い顎を撫でた。「アタシが操っているわけではないんでね。勝手についてきて振り切れんのです」

 「まるで俺の自我みたいだ」と平敷が言った。

「ジガというと」と老人が反問した。こう書きます、と彼はテーブルの上に濡れた指で書いた。

「ふーん、どういう意味ですか。昔は無かった言葉だ」

平敷は四苦八苦して意味を説明したが老人にはチンプンカンプンであった。

「最近よく聞くストーカーみたいなものですか」

「そうかもしれません。振り切ろうとしても乞食犬の様にどこまでも付いてくるんです。振り切れないんです」と平敷は答えた。

 あなたもそうですか、と老人は三四郎に聞いた。

「わたしには自我なんて有りません」と三四郎は答えた。私には自分の影もないんですから、と付け加えた。

「おかしな言葉が出来たものだ」と老人は憮然として呟いた。

「失礼ですが昔と言うと何時頃ですか。終戦直後ぐらいかな」

私は文政のひのと・ゐの生まれでさあ、と老人は教えた。今度はふたりがぽかんとする番であった。老人はさっき平敷がしたように指を濡らしてテーブルに丁亥と書いた。

 三四郎はバッグの中から歴史手帳を取り出して付属の年号表を調べた。

「文政十年ですね。1827年生まれですか」と呆然として老人の顔を見つめた。

 


Q(1)章 驟雨を連れ歩く老人

2017-05-17 08:28:42 | 反復と忘却

Q(1)章 驟雨

 突然のことだった。五月によくあることであるが気温は摂氏三十度を軽く超え空は真っ青に透き通るようなかんかん照りであった。前触れも無くあたりが真っ暗になると叩き付けるような雨が落ちて来た。

 三四郎と平敷は駆け出すと雨宿りが出来そうなところを探してスターバックスに飛び込んだ。ほんの二、三分のことだったが、雨は肌着にまで染み通りズボンは水を吸って下肢に張り付いていた。

 店内は満員で彼らの様に突然の驟雨に襲われて雨具を持っていない雨宿りの避難客で一杯であった。他の店を探しに外に出れば雨水はたちまちパンツの中にたまってくる。軽い海綿体がパンツのなかで泳ぎ出しかねない。

 もう一度店内を見回すと一人の老人が座っているテーブルに空いている椅子が二脚あった。平敷が恐る恐る老人に「相席をお願い出来ますか」と聞くと老人は鷹揚に笑って快諾してくれた。

 老人は彼らを見ながら「大変に濡れましたな」と同情し眉をしかめた。「ほんの二、三分の間だったんですけどね。バケツをひっくり返したなんてものではありませんよ。北のミサイルが落ちて来たってこんなに慌てませんよ」

「ひょっとすると、私が連れて来たのかも知れないな」と老人は呟いた。

「えっ、何をですか」

「いや、この雨をさ」と老人は平然と言った。「ときどき私の後を雨が付いてくることがあるんでさ。台風が付いてくることもある」

驚いて老人の顔を見るとその目はうつろで三光年くらい先のブラックホールの様な空虚を湛えていた。

二人の座った椅子はたちまちびしょぬれになった。衣類に蓄えている水はひっきりなしに床に滴り落ちだ。袖口から出てくる雨水はテーブルを水浸しにした。配膳カウンターまで歩いて行って注文するのも忘れて茫然自失といった形で座っているとウェイトレスが気をきかして注文を取りに来た。彼女はあたりがびしょ濡れの惨状を見て嫌な顔をしたが何も言わなかった。店内そこら中で同じような光景が繰り広げられていたのである。二人はホットコーヒーのラージサイズを注文した。出来れば舌の焼けそうな熱いコーヒーをどんぶりに入れて持ってきてもらいたかった。ブランディーもたっぷりと加えて。それほど彼らの体は冷えきっていて、すでにがたがた震え出していた。

 

 


Z(13)章 兜

2017-04-30 19:54:19 | 反復と忘却

 デパートのエスカレーターで降りて行く途中で端午の節句向けの販売を当て込んでミニアチュアの兜や鎧が展示してあるのが目に入った。今度はどうしたものかな、と三四郎はいつも引っ越しの時に迷うことを考えた。

 その兜の存在は父が死ぬまで知らなかった。遺品を整理していた時に、妹が納戸の押し入れの上の天袋から大きな黒塗りの木の箱を取り出した。三四郎はその脚のついた木箱を見るのは初めてであった。紐のかけてあった箱の中には実物の兜が仕舞われていた。彼が見るのは初めてであったが、妹は母から見せてもらったことがあるらしく、「おじいさんが贈ってくれたのよね」と言った。

 妹によると三四郎の誕生を祝って母の父が贈ってきたものだという。なんという名称なのか知らないが、兜の前面に装着する二つの角みたいな飾りが一緒に入っていた。顎当ても付いている。取り出してみると猛烈に重い。戯れに頭にかぶってみると首が胴体にめり込みそうになる。相当に厚い鉄で出来ているのだろう。実戦用と同じ作りなのだろうか。こんなに重くては屈強の武士といえども動き回れまいと思われた。大将なんかがそれを被って床几の上に座って指揮をとっていたのだろうか。とても動き回ることは出来ないと思われた。

 箱の中に入っていた木組みを組み立てると支柱、兜掛けとか兜立てとでもいうのだろうか、が出来上がりその上に兜が置ける様になっている。床の間に飾るものなのかな、と言いながら彼は支柱を組み立てて、床の間に置きその上に慎重に兜を乗せた。

「このごろは五月の端午の節句に近づくと四月のうちからデパートなんかでは兜を売り出しているな。もっとも最近のものはミニアチュアでちゃちなものだからずっと軽いんだろうけどね」

「そうね、段ボールに銀紙なんかを貼ってある感じね。完全な飾り物であれじゃ子供でも小さくて被れないわよ。それでもびっくりするような高い値段がついているのよ」

「しかし、不思議だな。僕がこれを見るのは初めてだし、家で端午の節句に取り出して飾った見たことも記憶にない」

 家では毎年三月のひな祭りの節句には床の間に赤い毛氈を敷いた段の上に雛人形がひと月ちかくも並べられていたが五月の節句には兜も取り出されずなにも祝われなかった。せいぜい思い出したように菖蒲湯を沸かしていたくらいであった。

別に不思議とも思わなかったが、母が隠す様に押し入れの上に仕舞っておいてかれに一度も見せたことがない兜を始めて見た彼は不思議に思った。

 「お兄さん達が反発したらしいわね。それでお母さんが遠慮したのよ」

「どうしてだい」

「だって、兜は武士の嫡男であることを象徴するんじゃないの。そうじゃないかもしれないけどお兄さん達はそう思ったのよ」

先妻の息子達は母に対してことごとに反抗したらしい。兜を飾ることを母が遠慮したのもそのためかも知れない。とにかく、祖父の彼に対する贈り物である兜を生前一度も飾らないどころか、彼の目に触れさせなかった母の心情、苦労がはじめて分かったような気がした。

 そういうわけで、はじめて兜は彼のものとなり、三四郎は引っ越しの度に、その木箱も一緒に運んでいるのである。壊れやすい木箱の中に非常に重い鉄のかたまりが入っている。運送屋には壊れ物として注意を与えているのだが、それでも木箱にはすでにひびが入っていた。その上、狭いマンションでは結構場所をとる。処分するにもどうして良いか分からないから持って行くのである。今度はどうしようかな、と三四郎は迷っている。そして結局処分する決断が付かないままに持って行くことになりそうである。

 

 

 


Z(12)章 美と崇高の観念は三四郎を金縛りにした

2017-04-29 08:43:07 | 反復と忘却

三四郎が愛読する戦前の急進的国家神道の指導者である土野面提手(ドノツラ・テイシュ)の著書によると、一人の人間は八百万の霊魂が高分子的に固まったものである。死とはその高分子的結合がバラバラになることである。個々の霊魂は変化しない。

 植物も霊魂が高分子化したものであるが、集約度が人間に比べて少ない。そこに死んでバラバラになった人間の霊魂が憑依すると、その植物は異常に成長速度を速める。母が亡くなった後でその霊魂の大部分は成層圏から飛び出したらしいが、一部は庭の植物の上に落ちたと思われる節がある。母は園芸が趣味でよく庭いじりをしていたので自分が丹精した草花に惹かれたのであろう。

 なかでも母が好んだ紅蜀葵は普通では人間の背丈を超えることはないが、すざましい勢いで伸びて二階のベランダより高くなった。幹の太さは木の様になった。そのかわり花はつけなくなった。

 さて、なぜこんな話をしたかというと、人間の魂の集約度は鼻あたりが高いという。日本人の鼻は、勿論女性も含めて、大きい。肉厚である。黒人ほどではないが。白人の鼻は高いが肉は薄めである。美とはほど遠い。理想的な美は日本人と白人の中間であろうか。これは滅多にいない。これがいたので有る、しかも埼京線の車内に。鼻孔の縦横の比率も理想的であった。この女性を見て三四郎はぱっと燭光に射られれた様になった。もっともそれだけなのだが。美と崇高の観念を抱かせる美人に遭うと三四郎はかならず金縛りになる。それが愛情に変化することはない。まして肉情まで降りて行くことは有り得ない。

 普通は愛情から肉情に降りて行くのが結婚とか同棲になるのだろうが。三四郎はいまではそれほどではないが、若年のころ、まだ獣欲が熾烈な時には情欲を喚起したのは一言で言えば不均衡であった。ピカソの描く女のようであるとか、上半身と下半身の比率が6:4とか7:3つまり尻がその辺りで揺れている女であった。アメリカ人などが日本女性に惹かれるのもそのようなアンバランスにあるようである。八頭身で腰高(つまり足が長い)な女性はいくらでもいるから珍しくない。

 その女性も池袋でおりた。三四郎の視線に気が付いたようで三四郎の前をゆっくりと誘う様に歩いていたが、三四郎は何しろ金縛りの状態であるから、女神を避けるかのようにホームを反対方向に歩いていった。

 

 


Z(11)章 完璧な鼻

2017-04-28 10:35:10 | 反復と忘却

今日三四郎は日課にしている市中徘徊の途次完璧な鼻を見た。携帯電話、スマホというのかな、には歩数計が付いている。どれだけ正確か分からないが一応の目安として一日1万歩を目ざしている。そこで徘徊の途中で大書店を見かけると全店内を最低二回巡回することにしている。またデパートや電気製品の量販店を見かけると同様にじっくりと全店内を数回まわる。

 なぜかと言えばそういう店内にはサイレントキラーがいないからである。歩道を歩けば自転車にぶつけられる。前方だけ注意していればいいという時代ではない。三四郎は不幸なことに後頭部に目がないので不便でしょうがない。後ろの自転車に前方を注意する全責任があるが、そんな配慮をする自転車乗りはいない。歩道を歩いているのに歩線を変更するのにいちいち後方確認をして方向指示器を出さなければ危なくて歩道をあるけない。

 大型書店や商店の中には自転車が走っていないから安心して歩数がかせげる。歩道でも自転車の少ない裏路地というのは有るが自宅の近所でないとどこが安心して歩ける裏道かの知識がない。勢い大型店舗で歩数を稼ぐのである。

 昔は大型書店に行くと、思いがけない拾い物にぶつかることがあったが、めぼしい本は読んでしまったので最近ではまず書店をめぐっても収穫はないのである。

しかし活字中毒の三四郎は読む本が途切れる間が持たない。最近は下らない本でも多少読める所がありそうなものは妥協して買ってみるのである。

 ところで同じ盛り場、駅周辺に大型店舗がいくつもあるわけではない。そこで長い一日を消すためには、電車や地下鉄を利用して数カ所の盛り場をうろつくのである。昔の山手線は裏というか西側つまり五反田から池袋の区間は昼間の他の路線では大抵車内がガラガラな時間でも超満員で三四郎は敬遠していたのであるが、昨日は歩き疲れたのがたまたま渋谷であったので池袋まで埼京線に乗った。

 ほとんど立っている乗客がいなかったのに驚いた。埼京線の延伸とか副都心線とかが出来たので混雑が緩和されたのかも知れない。三四郎も座席に座った。立っている乗客が視界を遮らないから向かい側の乗客の顔がよく見える。そこで完璧な鼻を見つけた。美と崇高の感情を呼び起こさせるような完璧な鼻であった。ミロのヴィーナスをはるかに超えていた。

 

 


Z(10)章 明滅する留守番電話

2017-04-05 06:34:09 | 反復と忘却

日が落ちて市中徘徊から帰ると薄暗い室内で留守番電話が点滅していた。三四郎は嫌な気分になった。留守番電話にはろくなメッセージしか残っていないことが多い。それにたいていの人間は言語明瞭、意味明晰な伝言を残すことがない。慣れていないこともあるだろうし、どう吹き込んだら聞き取りやすい伝言が残せるか配慮して話すような人はまずいない。なかには無音で電話線の向こうで息をひそめているような不気味な正体不明の電話もある。

 平島からだった。高校時代の同窓会の幹事になったので連絡をくれないかというのである。かれとはもう十年以上会っていない。コールバックすると女性が出た。名前を言うと平島に代わった。奥さんなのだろう。「どうも、久しぶりだね。同窓会の幹事になったっていうけどご苦労様。ここのところ、同窓会の通知も来ていないけど、また同窓会でも開きたくなる年齢になったのかな」

電話の向こうで一瞬戸惑ったような沈黙があった。平島が怪訝な声を出した。「いや毎年続けているよ。もっともここ数年は君の居所が分からなくて通知が受取人不明で戻ってきていたらしい」

 「たしかにオヤジが死んでから実家は引き払ってしまったから連絡は付かなかったんだろうな。しかし、その前から連絡がなかったような気がするな。もっとも俺は同窓会には出たことがないから気にもしていなかったが、君にそういわれると変な気がするな」

「それは変だね」

「もっとも、大分前からオヤジの家は出ていたんだけどね。だけど実家に届いた郵便物は転送してもらうことにしていたからな」

「フーン」

「まあ、いいや。どうせ出るつもりはないんだから。せっかく幹事になった君には悪いけどな」

「どうしてさ」

「君も先刻ご案内のように俺の高校時代は暗黒時代だからな。高校三年間で話をしたのは君だけだったから。同級生の名前なんて一人も思い出せないよ。そんなところへ出て行ってもしょうがない」

「なるほどね」

「ところでこの電話番号がよくわかったね。どうやって調べたの」

「卒業名簿にある電話番号にはつながらないので君の会社に電話したんだ。そうしたらそういう人はいませんていうじゃないか。途中退社したらしいな」

 「そうなんだ」

「どうして」

「ま、色々あってね。電話じゃ簡単にいえない」

「それで今は何をしているの。脱サラで起業したのか」

「まさか、毎日市中を徘徊しているのさ」

「なんだって」

電話の向こうでは子供の騒ぐ声がしている。

「永井荷風の日和下駄って読んだことあるか」

「あるよ。そうか市中徘徊、市中探索か。優雅でいいな。毎日が日曜日というわけだ」

 「君はどうしているんだい。ずうっと大学にいるのかい」

「そうなんだ」

「大学の先生か。すごいな。孜々として研究に打ち込んでいるわけだ。たしか心理学から哲学に専攻を変えたよな。そのままなのか」

「そのまま」

「その後は浮気もせずにか」

「そう、愚直にやっている。同窓会はともかく、一度会いたいな」

「そうだな、そのうちに会いたいね」

平島は思い出したように言った。「それでさ、どうして君の電話番号が分かったかという話だけどね」

「そうそう、どうやって調べたんだ」

「会社に電話したらそんな人間はいないというだろう。もしかしたら、と思った。君のことだから会社を辞めたんじゃないかなって。君が普通の会社に就職したと聞いた時にもえーっと思ったから、君なら嫌になって辞めたんじゃないかと思ったのさ」

「なかなか論理的だな。正解だよ」

 「それで俺の大学の後輩で君の会社に入社したのがいるんだ。そいつに聞いたらいろいろ調べて、やはり退社したということが分かった。退社時に登録していた電話番号を聞いて電話したらこれも繋がらない」

「何回もひっこしたからな」

「それでもう一度後輩に電話したら、君が会社の従業員持株会に入っていたのが分かった。そのほうの記録を担当の証券会社に問い合わせたら君の連絡先記録が残っていたというわけさ」

 「わかった。しかしもう少しするとまた引っ越しをする予定だから、そのあとだったらわからなくなっていただろうな」

「よく引っ越すね」

 

 

 

 

 


Z(9)章 幼児は猿の進化したもの

2017-04-02 09:45:14 | 反復と忘却

三四郎は地下に潜った。長い午後をあても無くみやこの東から西へ、北から南へとホームに入って来た地下鉄に計画もなく飛び乗って移動し座席に座っていて尻が痛くなると地表に出て徘徊するのが彼の日課である。昼間だから車内は空いている。週末は仕事があるから外に出られない。ウィークデーの昼間は街を徘徊して管理人が帰ったころにマンションに帰ってくる。 

同じようなことが続く日がある。三四郎はこれを統計的特異日と呼んでいる。赤ん坊を抱きかかえ、乳母車を曳いた若い母親が電車に乗って来た。赤ん坊を連れた女性は座席が空いていても座らないことが多い。子供を抱いたまま座ると必ずと言っていいほど赤ん坊がむずかりだす。ある動物学者は人間が虎や猫だった時代から引き継いだ遺伝子に組み込まれているそうだ。 

彼ら(進化の系統樹の下の方の先祖である)は子供を連れて移動する時に子供が大きな声でなくと天敵に見つかり襲われて命を落とす。だから移動の時におとなしくしている子供だけが生き残り、その遺伝子が優性遺伝して人間に至ったというのだ。

移動する時にはライオンの様に親の口に咥えられてぶらぶらしたり、母親の背中におんぶされて揺れ動く。あるいは猿の様に母親の腹の下で母親にしがみついて運ばれる。だからそう言う時にはおとなしくしている。電車の中でも母親が立っていて電車の振動や母親のからだが揺れたりしているときは赤ん坊は下等動物時代から受け継がれたすぐれた遺伝子記憶でおとなしくしているそうだ。そう言えば、赤ん坊を乗せた乳母車を母親が前後に動かしているのをよく見かける。

「するってえと」と彼は考えた。最近街で見かける多くの泣き叫ぶ赤ん坊は優性遺伝子を引き継いでいないのだ。どうしてだろう。はたと彼は気が付いた。昔なら優性遺伝子を引き継いでいない子供は嬰児の時代に淘汰されていたのではないか。現代の小児科医療の進歩はめざましい。昔なら病気や虚弱体質や何かで淘汰されていたそういう子供達が生き残る様になっているのかもしれない。

そんな他愛のない妄想に彼が耽っていると車内に突然大音響が響き渡った。見ると母親は疲れたのか赤ん坊が太りすぎて重いのか、母親が腰痛なのか、座席の一番端に生気のない顔をして座り込んでいる。赤ん坊は顔を真っ赤にして泣き叫んでいる。赤ん坊のすべすべした顔の皮膚が厚くなって深い皺を刻んでいる。まるで猿のようなご面相になっている。それを見てかれは妹のことを思い出した。彼女もよく泣いて我を張る子供で成長して異常に物欲の強い人間になった。やはり声を張り上げて泣く時には顔の色が不健康に赤化し、皮膚が厚くなり深く皺が刻まれ、その皺の谷間を涙が流れた。成長してからは流石に泣きわめくという「手段」は取らなくなったがそのかわり「ボス猿の毛繕い」という新しいきわめて有効な手段を身につけたのである。

サル学の有益なること、レヴィー・ストローズによる原始社会の研究が「現代人間の研究」の進化に与えた影響に優るとも劣らない。これは三四郎が得た今日の市中徘徊の成果であった。

 


Z(8)章 幼児は無邪気ではない

2017-04-01 09:24:46 | 反復と忘却

三四郎は言った。「外で大声で泣きわめく子供が多くなったような気がしますね。昔から外でむずかる子はいたが、大声で喚き散らす子はあまり見たことがない」

いかつい肩をした男は「そうですね。劇場か音楽会につれて行かれた子供が騒ぐことはありましたけどね。気違いの様に泣き叫ぶということは、昔はなかったようだ。もともと親が幼児を音楽会に連れて行く方が常識がないのであって、こどもが何時もと違う雰囲気に我慢できなくなっておとなしくしていないのは無理がない。いわば子供をそう言う場所に連れて行く親に社会常識が無かったんですよ。最近はそう言うことが若い親達にも分かって来たらしいが」と答えた。

「最近のは、幼児がどうしても自分の我を通そうとして泣きわめいている様に感じられる。子供は自分の意志をまだうまく伝えられないから親も子供が何を欲しているのか分からないで途方にくれるんじゃないですかね。もっともそれが最近の声を限りに当たりはばからず泣き叫ぶ子供が増えて来た理由にはならないでしょうがね」

「あなたのお子さんはどうですか」

「わたしは不幸なことにまだ独身です」

「なるほど、失礼しました。しかし、それは幸運なことにと言うべきでしょう。それが正解です。子供を持つと実にやっかいだ。女房を持つことも相当面倒くさいけどね」と彼は悪戯っぽく笑った。

「子供というものはね」と彼は続けた。「無邪気なものだと思いますか」と反問した。

「そうですね、機嫌の良いときはね。まあ、子供によりけりなんでしょうが」

読書家の男は言った。「昔ある人がいった。子供の手足は無邪気でも、魂は決して無邪気ではない、とね」

「へえ、誰です。よほど子供嫌いな人だったんでしょうね」

かれはじらす様にしばらく間を置いてから言った。「有名な宗教家ですよ。古代ローマの末期、キリスト教神学の基礎を確立したという聖アウグスティヌスがそう言っています。ある人がこの言葉を解釈している。子供は手足の力が弱いから無邪気を装うことで大人を自分の意志に従わせることが出来るということを狡猾にも学ぶのですな。一種の方便だと言うのです。アウグスティヌスはこうも言っていますね。幼児もすでに罪をもっているとね。つまりインノセント(無罪、無邪気という訳もある)ではないというのですよ、神に対しては」

「しかし、新約聖書でしたっけ、キリストが天国は幼子のようなものだとか、幼子のためにある、とか言っていたようだが」

「たしかに、それとの兼ね合いは問題でしょうね。アウグスティヌスほどの学者だ、その問題にも折り合いをつけているんでしょうよ。前に読んだ記憶が有るが忘れてしまった」と彼はからからと笑った。その大声にさっきの幼児がびっくりしてこちらの方を見た。

 

 


Z(7)章 産婦人科医になり損ねた男

2017-03-31 07:28:13 | 反復と忘却

「鮮やかな手並みですね」と三四郎は言った。その男と話すのは初めてなのだがあまりに見事な技に思わず感嘆の声をかけてしまった。おとこは文庫本をテーブルに置くと「なに、まぐれですよ」とその消費者金融の取り立て課長のような幅の利いた顔を三四郎に向けた。難病治療などを売りにしている新興宗教の教祖等には「おさすり」とかいうのが有るらしいがそれなのだろうか。

「指圧のまねごとでね。おやじから少し教えてもらったことがあってね」

「お父さんは指圧師なんですか」

男は笑って「いやいやオヤジは医者でしてね。いまどきの日本の医者は断らなくても西洋医学なんだが、うちが代々医者でね、何代か前までは当然漢方医だったんですよ。うちのオヤジが祖父から言われたらしい。西洋医学でも鍼だけはやっておいた方が良いってね」というと男は飲み差しのコーヒーカップを取り上げた。

「ウヘッ、醒めちまった。冷えたコーヒーくらい不味いものはありませんね。ファストフード店のコーヒーみたいだ」 

たしかにそうだ。コーヒーは舌が焼けそうなほうがいい。三四郎は猫舌だが、ちびちびと口に含んで適当に温度が下がったところでコーヒーを飲んでいる。最初から生温くては気持ち悪くて飲めない。

「もっともお茶は熱いのはだめですね。店によっては茶を注ぎ足す時にぬるくなるからと飲み残した茶を捨ててから熱いのを注ぐ店があるが、東北の田舎料理屋みたいでいやだな」

「たしかに、茶の適温はコーヒーより大分低い。熱い茶をふうふう息を吹きかけて一口飲むたびに大げさにハアハア言うのは東北のどん百姓だな」とおとこは頷いた。

「それであなたもお医者さんですか」と消費者金融風の男に聞いた。

おとこは慌てた様に手を横に振って打ち消した。「私は医者じゃない。オヤジは産婦人科の開業医でね。思春期の頃、診察室の隣から私はよく中を盗み見していてね。あれほど醜悪な風景はありませんぜ。あんなお世話は御免だってね。それで医者には絶対なるまいと思った」

おとこはコーヒーカップを脇にのけると「さっきに話ですけどね、オヤジからお前も鍼や灸を少しやっておけ、具合の悪いときは自分でやれば大抵の場合医者に行く必要もなくなるとオヤジに言われた。開業医らしくない言葉だが」というと口をゆがめた。「鍼はとても素人には無理でしょう。お灸も自分で据えるのは難しい。それで指圧でも習っておけとオヤジがいうんですよ」

「それでさっきのはその応用ですか」

「まあね、自分でもあまりうまくいったので驚いています」

 


Z(6)章 泣きわめく幼女

2017-03-30 09:00:27 | 反復と忘却

神保町から靖国通りを須田町まで歩くと三四郎は時々立ち寄る定食屋の引き戸を開けた。紺色の暖簾を潜って中に入ると時間が遅いからサラリーマンの客はいなくて、いつも見かける常連ばかりだ。壁を背にした椅子に腰掛けると隣のテーブルに座っていた中年の男が顔を上げた。お互いに軽くうなずいた。いかついた肩をした中年の男である。食事が終わったらしく、前には飲みさしのコーヒーカップが置いてある。何時もの様に文庫本を広げて読んでいた。

注文した焼き魚定食に箸を付けていると幼児をつれた母親が入って来た。彼らが席につくと3歳くらいの女児が急に泣き始めた。アラームの様に最初は小さな声でしくしく泣いていたがだんだんと泣き声が大きくなり店内が割れるような大声を張り上げ始めた。まるで小鳥のような声帯をもっているのか、一里四方に響き渡ろうかというわめき声である。

母親はおろおろしてなんとか黙らせようとするが、幼児は声を限りに泣きわめき続ける。なにか気に入らないことがあるのか、ひょっとすると、この店の異様な雰囲気に怯えたのだろうか。たしかにこの店は奇妙なところがある。ウェイトレスが近寄ってきて、慣れた調子で話しかけてあやそうとしたら、幼児は身を震わせてますます怯えて喚き立てた。それはウェイトレスというよりかは女給仕というほうがしっくりとくる老女で、この店は皆老女の給仕なのである。皆同じ雰囲気を漂わしていて何となく前身は水商売の女のような身のこなしなのである。どこかにそういう人たちの更生施設があって、そこから一括して派遣されて来ているのかも知れない。

途方にくれた母親は周囲の客から集中する非難するような視線に堪え兼ねて注文もせずに席を立とうとしたときである。文庫本を読んでいた男がつと立ち上がると女児の側に行き何か話しかけた。そして手で幼児の首筋から背中当たりを撫で出した。幼児はびっくりして一瞬泣き止んだが、それもつかの間また前よりいっそう激しく喚き始めた。それでも男はなにか幼児に呪文のようなものを呟きながら背中から首の後ろを指で軽く押している。しばらくすると嘘の様に幼女は泣き止んでしまって、きょとんとした顔で男を見上げている。かれは母親にもう無大丈夫ですよ、と笑顔で言うと自分の席に戻り眼鏡をかけ直すと読みさしの文庫本を開いた。

 


Z(5)章 三面記事

2017-03-06 08:15:14 | 反復と忘却

彼女は取って来た朝刊を三四郎の前に置いたて「あなたは何処から読むの」と聞いた。

「一面から読むね。政治面、外交面、経済面と、要するに順番に見て行く」

「スポーツ欄は見ないの」

彼は答えた。「見たり見なかったりだな」

「男の人ってスポーツ欄から見る人が多いんじゃないの」という彼女はよく男性と朝刊を読む機会が多いようである。

「たしかにね。どの新聞でも同じ構成になっているな。僕はスポーツ欄以降はあまり見ない。君は」

「家庭欄とか地域欄みたいなのは一応目を通すわね」

「社会面は?三面記事を今はそういうんだろう」

「ほとんど見ないわね。テレビのワイドショーとテーマは同じだし。テレビの方が詳しいし、面白おかしく分かりやすいでしょう」

そういえば三四郎も三面記事を見ない。テレビが発達していない時には社会面が新聞の花形だったらしいが。どうして三面記事というのだろう。むかしの新聞は三ページしかなかったのだろうか。

「社会面のニュースになるような話題はテレビを見ていた方が詳しいしわかりやすいことはたしかだね」

彼女は目玉焼きに塩をかけた。

「政治、外交面とか経済面は逆にテレビでは何を言っているのか分からないことが多い。映像なんてほとんど情報伝達の役にたっていない。文字情報の方が詳しいしポイントがはっきりと伝わる」

彼女はトーストにバターを塗りさらにピーナツバターをその上に塗りたくるとかぶりついた。「今日は社会面から読もうかな。朝のワイドショーは見逃したから」というとガサガサと音をたてて新聞のページをめくろうとしたが、紙が新札のように張り付いていた様になっていてなかなか開けない。

その様子を見ながら彼はむかしはそんなことがなかったのにな、と思った。新聞業界は合理化で新聞紙の素材もコスト削減をはかって技術革新をしているのだろうが、紙質は悪化たようだ。しかし新聞業界の技術革新でいいところもある。新しい新聞を読んだ後は手がインクで真っ黒になったものだが、最近はインクが全然手につかない。あれも技術革新の成果なのだろうな、と考えた。 

「ふーん」と言って彼女は食べるのを忘れたように新聞を熱心に読み出した。


Z(4)章 キッチン事故

2017-03-02 09:33:50 | 反復と忘却

「アイテテ!」と横溝忍がキッチンで叫ぶ声が聞こえた。はじめて彼女のマンションでセックスをした翌朝である。あとはシーンとしている。朝食でも用意しているのかいままで食器のぶつかる音がにぎやかにしていたのがシーンと静かになってしまった。 

漫然とテレビを見ていた三四郎は包丁で指でも切ったのかとソファから立ち上がって様子を見に行った。彼女がテッシューで額を押さえていた。テッシューをはがすとうっすらと赤い染みがあった。

「これで額を切っちゃった」とシステムキッチンの上に開きっぱなしになった食器棚の扉を指差した。「チマチマしたキッチンでしょう。よくこの扉の角で頭を打つのよ、注意していても時々うっかりしてね」

「あんまりユーザーフレンドリーな設計じゃないね。使用者の動きとか背の高さなんか配慮して設計していないな」

「そのとおりよ」

「とにかく手当てした方が良いよ。薬はあるんだろう。きれいに拭いて消毒しておいた方が良い」

「うん、そうしよう」彼女は居間に行って収納棚を開けると薬箱を取り出して傷口にチューブに入った薬を塗るとその上に絆創膏を貼った。

「冷蔵庫がからになりかけていて、何も無いんだけど卵が二つと食パンが二切れしか無いのよ。目玉焼きとトーストが一枚しか出来ない。それとコーヒーぐらいで悪いんだけど。あとは冷蔵庫になんにもないのよ。ごめんね」 

ごめんねといわなければならないのは三四郎の方であった。まさか泊まることになるとは思わなかった。遅くとも日付が変わらないうちには帰れると思っていたのだ。それがカラスが鳴くまで眠らなかったのだ。カラスの鳴き声に驚いてシャワーで汗も流さず二人とも泥の様に眠ってしまった。テレビを見ると朝のニュースショーが終わるところだった。

朝食を食べながら彼は言った。「今度買ったマンションではキッチンの使い勝手なんて注意して見ていなかったけど、ここよりから広いのかな」

「同じようなものかもしれない。新しく出来るマンションは色々な所でコストをカットしているから」

「ふーん、まあいいや。あんまり家で食事を作ることもないから」

彼女はにぎやかにコマーシャルを流しているテレビを見てリモコンで一渡り各局を探したがニュースショーが終わってどこもコマーシャルをやっていた。

「ニュースは終わっちゃった。新聞を読みたいでしょう。取っくるわ」と言った。

彼は気が付いた様に「会社に行かなくていいの」と聞いた。

「水曜日はモデルルームは休みなの」というとドアを開けて新聞を取りに行った。

 


Z(3)章 夢商品

2017-02-27 21:38:56 | 反復と忘却

 わけの分からないろくろみたいな物を詐欺師夫婦の口車に乗せられて買ってしまった。どこかの商店のなからしいのだが、どこだか、どうしてそこに入って来たか全然思い出せない。なにしろ夢のなかだから。

なかに水を入れ蓋をして、蓋に付いた取っ手を回すと何でも出てくるらしい。そんなような口上だった。説明書がついていない。使い方を聞くと女の商人は相手にしない。その亭主に聞くと知らん顔をしている。もっとも金を払った記憶もない。女がロクロを回して実演している時にはよく分かっているような気になっていたのだが、気が付くと全然覚えていない。三四郎も最近は時々夢を見る。その内の少しは醒めた後でも覚えている。もっとも少年の頃は全く夢を見なかった。仇に出会ったように激しく歯ぎしりをしながら大声で喚くことはあったらしい。もっとも三四郎はまったく覚えていない。深夜の睡眠中のことである。

なにかその轆轤に秘密があるらしい。その使い方さえ分かれば忘却の中から、白い煙だか、悪鬼だかが飛び出してくるような気がした。彼は夢をみると、とくにそれが覚醒後まで不愉快な印象を残した夢を見ると唯物論的にその原因を考える癖がある。たとえば、昨夜食べた食事は何だったか、なにか悪い物でも食ったのではないか。消化の悪い腹にもたれるような料理が影響しているのかとか、あるいは不愉快なことがあったか等と昨日一日のことを朝から順を追って思い出してみる。

平々凡々な毎日を送っている彼にはあまり大きなインシデントには遭遇しない。昨日ではないが、三、四日前に彼は久しぶりに女と寝た。変わった女だった。何を話したっけ、なんか調子の外れたような会話をしたような記憶が有る。おんなの顔はピカソの絵みたいだった。からだはゴーギャンの描く裸婦のようだった。

非常に詮索好きな女で彼のことを知りたがった。彼女は中堅のマンション販売会社の営業担当で彼がマンションを買い替えることにしていくつかの不動産会社のウィンドウショッピングをしたうちの一つの物件を担当していた。あれこれ気迷いがあり、数ヶ月もの間色々と質問をしたり交渉をしたりしたが、その応対がとても辛抱強く、しかも有能で適切なのに彼は感心した。

「あなたのきょうだいは何人いるの」とバスルームから戻って来た彼女はたずねた。十人いるというと彼女はえっと驚きの声を発した。本当は十人もいないのだが、沢山いるという意味で咄嗟に十人といったのだ。実際には八人くらいだろう。

「私は一人っ子だからきょうだいが沢山いる人が羨ましくて」

「どうして。一人だったら親も集中的に面倒を見てくれるからいいじゃないか」

「でも寂しいわよ」

「そうかなあ、うちは多すぎてまとまりがなかったよ」実際はまとまりがないどころか喧嘩ばかりしていたのである。

「どうして十人もいるの」と彼女は信じられない様に聞いた。人数のことはあえて訂正せずに彼は答えた。

「まず父親が勢力的だった。それに妻が三人もいたからな」

「ふーん、なんだか複雑になりそうね」

かれは答えた。「まあ、家庭によって色々ちがうだろうがね。そこにいくと僕はトランプさんには敬服しているのさ」

「トランプさんて」と彼女は反問した。

「アメリカのトランプ大統領」

「トランプさんなんて気安く言うから誰かあなたの知り合いかと思った」

「かれは僕のオヤジと同じで三婚だ。しかも先妻に死別したなら再婚もしょうがないが、離婚を重ねている。普通なら複雑でまとまりがなくなる家庭をしっかりとまとめているじゃないか。それぞれの異母きょうだいを選挙中に一緒に紹介したりする様子を見るとね。先妻の息子や娘と現夫人も仲良くやっているようだしさ。

彼はあれでアメリカをうまく治めるかもしれないな。修身治国平天下というだろう。すこし古くさい言葉かな。我が家をうまく修める者でなければ天下も治めることが出来ないという意味だ」

「うんうん、分かるわよ」と彼女は言った。彼女は三四郎より一つ年上の同年代だった。

そんな会話がきっかけで、彼の家庭とか少年時代を当たり障りのない範囲で彼女に話した。あまり過去を振り返ったことがないので、思い出しながらぼつぼつと、思い出すままに時系列を無視して(記憶は時系列を無視して蘇ってくるから)話した。それがいけなかったのかな、と彼は思った。あまり楽しい記憶でもないので当たり障りのないように脚色して話したのだが、必然的に当時の情動を呼び覚ましたのだろう。池の底のヘドロを掻き回したのかも知れない。