穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

私を離さないで、追記の追記

2017-10-23 07:37:32 | ノーベル文学賞

カズオ・イシグロ氏の「私を離さないで」であるが、ウィキペディアの該当サイトの「あらすじ」を読んだ。キャシーが15歳の時にルーシー先生がヘイルシャムの実態を生徒に明かすところがある。これは何章かな、私はそこまで読んでいないが。

それはともかくどうも妙だということを前のアップで書いたが、追加する。

人間には家族があって両親がいるということを生徒たちが全然しらないらしいし、疑問も抱いていないように書いてある(あるいは書いていない)。あまりにもうかつではないか。生徒たちはテレビや新聞から隔離されていて世間のことが分からないのかな。しかし、小説や詩の授業があると書いてある。当然父とか母、きょうだいという言葉に遭遇するはずだか、それでも自分たちに両親がいないことに不信を抱かないのは妙だ。小説だから、そういうことをすっ飛ばす、何というかごまかし、けれん味はあってもいいのだが、このケースのようにあまりにも明々白々で不自然なことは作者に許されるのかな、と思ってしまう。

大体幼児が共通して抱く疑問は「私はどこから生まれたの」というものだ。クローン児はそんな疑問を持たない必然性があるのかな。

 

 

 

 

 


テレビドラマ化された「私を離さないで」

2017-10-23 07:09:55 | ノーベル文学賞

インターネットで「私を離さないで」を検索するとほとんどが日本でテレビドラマ化された作品についてのようです。このテレビが人気らしいが、それだけ通俗受け、あるいは「わかりやすい」ということなのでしょう。原作(翻訳)からは想像できないがどう料理したのかな。

しかしビデオを買って観る気もしないが。

 


私を離さないで、その後

2017-10-22 12:04:27 | ノーベル文学賞

いや、だめだ。シリアル・リーディングがダメな時にはランダム・リーディングがいいときもある。というわけで二十三章からバックで運転してみました。最終章が二十三章です。

さかさに読んでもピンときません。それで、辛抱強く二十二章、二十一章と逆行しました。どこだったか、二十章前後でなんとなく輪郭が見えてきた。

 要するにクローン人間を生産して成長したら臓器を提供させるという話。これは完全なフィクションだろうから、どういう仕掛けなのか(社会的に)描写説明すべきでしょうね。それはない。全部読んでいないけどそう推測されます。

  いわば人間の牧場だからクローン人間の人権なんか顧慮しなくていいという設備がほとんどのなかでへールシャムというところの施設ではできるだけ収容者を人間として扱い教育も受けさせようということらしい。ところがほかの施設で現代人より優れた知能や能力もったクローンが出来そうだというので、世論がクローン全般に冷たくなりへールシャムも閉鎖した。そこを昔の収容者がルーツ探しみたいに尋ねるとまあ、こういうことらしい。柴田元幸さま、これでよろしいですか。

これが元収容者の女性の回想モノローグだけで描写されている。これでよろしいですか、柴田先生。対読者の問題はわきに置いておくとして、執筆者としてもこのような作業は相当にしんどい。テレビのインタビューでイシグロ氏が言ってましたが、原稿を三回書き直したとか。対読者の問題はもっと深刻です。

 以上に要約してみましたが本文の説明が不十分で本来要約できるような内容ではない。そこを無理やり腕力でやってみたわけですが。

 この作品に限って言えばノーベル賞ものでしょうか。せいぜい努力賞か敢闘賞ではないでしょうか。

無数の引っかかる点がありますが箇条書きにしてみると

@収容者たちが家族について考えることがまったくない。クローンだから単性生殖だから?

@名前しかない。きゃしー・Hとか。クローンだからこれは整合性をとっているのか。苗字が意味のないアルファベットの1字のみ

@収容者が介護人になる制度がよくわからない。本来矛盾しているようだが。

 文章を読むのが楽しいレベルならテーマなどどうでもいいが、この本(日本訳)の場合はテーマが画然としないとダメでしょう。それがない。

 


「私を離さないで」というのでまだ放していないのですが

2017-10-18 18:01:58 | ノーベル文学賞

カズオ・イシグロ氏の「私を離さないで」をようやく100ページあまり読みました。ノーベル賞受賞者の作品を読んでみるかというミーハー的な動機です。数冊の作品の翻訳が出ているようですが例によって彼の作品の中でよく読まれているらしい、具体的には版数がダントツということですが、本書を選んだ次第。

 帯や宣伝でクローン人間の臓器提供などとあるので、SFっぽいかなとも思ったのですが、なかなか作品の中では種を明かしません。大体どんな本でも100ページほど読むとなかに入っていけるものですが(もちろんある程度の水準以上ならですが、)本書は全然ピンときません。

 訳文ですが文章は平明調なのだが、退屈な描写が延々と続きます。ちなみに本文庫の解説者柴田元幸氏は手放しの絶賛ですが、同調できません。インターネットものぞいてみましたが本格的な書評はまだないようです。読者コメントのスレッドはありますが、いずれも◎◎印ばかりで少し自信がなくなりました。村上春樹に似ているというが本作のことですかね。ほかの作品は見ていないので。

 一番の印象はstickyな少女小説という印象です。ノーベル賞に敬意を表して最後まで読んでみるつもりです。何日かかるかわからないけど。


サルトルがノーベル賞を拒否した本当の理由

2017-04-14 14:38:21 | ノーベル文学賞

物好きにもほどがあると言われるかもしれませんが、

サルトルがノーベル文学賞の受賞を拒否したことは有名です。そのとき色々と理屈をつけていますが、あれは上辺の体裁ですね。

 前回取り上げた「革命か反抗か」でのサルトルの文章があまりにも品がない、嫉妬丸出しの低級なものなのでちょっと引っかかったのです。彼の子分の文芸評論家の文章はもっと幼稚でしたが。

 カミユのノーベル文学賞受賞は1956年

 サルトルの受賞拒否は1964年、年齢はサルトルのほうがたしか八歳ほど年長。

 これ以上書くこともないでしょう。

 


ヘルマン・ヘッセ「デミアン」

2017-02-19 21:46:02 | ノーベル文学賞

ヘルマン・ヘッセ「デミアン」三点評価 

* ムンムン度 低い

* ゴツゴツ度 高い

* 小説度   高い 注

 注:

小説度とは「説教節」度である。考え(学説)をお話仕立てで展開する程度。ヘッセのデミアンの場合、精神分析、それもユング風の通俗展開臭濃厚である。

日本の司馬遼太郎も説教節(本当かな、という)が鼻につくがムンムン度が高くゴツゴツ度が低い(つまり文章がうまい)ので一応我慢して読める。

それにしてもロマンとかストーリーとかノベルをどうして小説と訳したのかね。坪内逍遥の小説神髄も読んでみたが一向に分からない。支那古典に「小説」なる言葉があるようだが、かならずしも現代日本の『小説』の意味では無さそうだ。

以上ノーベル賞作家ヘッセの代表作と言われるデミアンの感想でした。

 


ノーベル文学賞がボブ・デイランに

2016-10-18 09:09:58 | ノーベル文学賞

ノーベル賞の胡散臭さをボトムからリストすると文学賞と平和賞が最低となることはどなた様もご異論があるまい。むしろ廃止すべきだろうね。

ところで、ボブ・ディランの名前は数年前から賭け屋のリストにあったと記憶している。あまり高い順位ではなかったが。その頃から不思議だと思っていた。賭け屋はインサイダー情報を持っているのだろうか。あるいはディランは強力な推薦エンジンを持っていたのか。それだと今回の彼の態度は理解出来ない。

選考課程や選考委員の意見は50年後でなければ発表しない、などと尊大にかまえているが、ノーベル賞選考委員会は自分たちを何様と思っているのか。極端なブラック・ボックス化がむしろ失笑をかうことは豊洲、東京オリンピック問題と同じだ。

むしろ、選考委員の自信の無さ、意見の稚拙さが表面化するのを怖れている様に思われる。

一連の科学関連賞の権威にあやかる文学賞や平和賞は廃止すべきだ。

 


村上さくら開かず

2015-10-09 09:02:17 | ノーベル文学賞

村上サクラ別働隊の奮闘むなしく落選でした。ネットで知ったのですが、ノーベル賞発表の前に期間限定のサイトを村上氏が開いたらしい。そこで英文、日本文で質問を受けて村上が人生相談よろしく発言するという趣向とか。今のネット上に、この滓(カス)は残っています。つまり「皆様有り難うございました。当サイトは終了しました」といった閉店ご挨拶文があるだけ。内容も残しておかないのはどういうことだろう。

これに対する反応はネット上でいくつかあります。そうとう無神経で露骨なことを言ったらしく、2チャンネルユーザーを怒らせたらしい。メッセージが溢れています。どこが怒らせたのか原文を村上側が隠しているから私には分かりません。

また、「韓国には向うが要求するならいつまでも何回でも謝罪しろ」と発言したらしい。これは大喜びの韓国サイドの引用言及記事があります。ま、これで大体想像はつくわけです。

時期といい内容といい、英文と日本文でやったことといい、明らかに「政治的発言をしている」というノーベル委員会へのアピールでしょう。すくなくともそうとられても仕方がない。内容もさることながら、表現の仕方もこの種のものにはあるまじき野卑下劣なものであったらしい(村上回答側で)。

この短期サイトがあったということは、ノーベル賞を貰うための「工作マシーン」がある証拠です。

村上ファンというのは、私の目には、「自分はミーハーだと思っていないミーハー族」見えますがさぞ皆様ご落胆でございましょう。

村上短期サイトの投稿者のほとんどはサクラだったのでしょうが。想定問答集もあったような気がする。少なくともこのリップサービスによって、中国、韓国マーケットは維持できたわけだ。