簾 満月「バスの助手席」

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四国遍路 遍路迷わせの三十番

2010-10-18 | Weblog
宿に荷物を預け、30番札所・善楽寺に向かう。
このお寺については出発前、ガイドブックを読んでいて気になる記述に出会った。
「遍路迷わせの三十番」



『つい数年前までは、30番札所といえば、「遍路迷わせの三十番」と言われてきた。
明治初めの廃仏毀釈により善楽寺の本尊は安楽寺に移され、一時は廃寺となっていた。
昭和四年に寺は再興したものの、本尊はそのまま安楽寺に安置されていたため、・・。』
(「四国八十八箇所を歩く」(2000年4月 山と渓谷社))らしい。

興味が湧いたので、手元に有る昭和四十八年に刊行された「札所の旅(谷村俊郎 講談社)」
を見てみると、第三十番札所は「妙色山・安楽寺」となっていた。

それによると『・・・長い札所争いの末、“どちらの寺も三十番。巡拝者はどちらなと
勝手に好きな寺へ参ったらよろしい”という結着をつけ、両寺とも三十番を名乗っ・・』と
ある。
『八対二ぐらいの割合で善楽寺の方に同情しているが、多くの一般巡拝者は、地の利の
いい、設備のととのった安楽寺の方にお参りしているようである』とこの体験記は述べ
ている。

その後廃仏令が改まり、一時国分寺にあった善楽寺のご本尊を安楽寺に移し、30番を
復活させた折、“三年後にはご本尊を善楽寺に返し、安楽寺は善楽寺の奥の院にする”
という約束の公文書が作成された。
その善楽寺が復興し、約束の履行を迫ったがご本尊を握った安楽寺はそれを放さず、
争いが続いたらしい。



平成六年に本尊が戻され、現在では札所が善楽寺、安楽寺はその奥の院として統一され、
この間百年余りに渡って遍路を悩ませてきた札所争いは決着を見たという。
お寺さんにしては、なんとも俗人的な血なまぐさい争いが繰り広げられてものだ。(続)



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