植松駅から南に2㎞ほどのところに、「日本第一 熊野神社 十二社
権現」が鎮座している。
「熊野神社」は、修験道の始祖・役小角(エンノオズヌ)とその弟子た
ちがこの地(倉敷市林)に開いた神社である。
紀州熊野の十二社権現のご祭神の勧請を受け、熊野三山の熊野本宮大社
から日本一の認証を受けている。
役小角は役行者とも呼ばれた伝説的な人物で、奈良大和の葛城山を中
心に修験道を開くものの、世間を惑わすとして弾圧され、罪に問われ伊
豆に流罪となっている。
その折同罪を恐れた弟子達は、淡路など瀬戸内海に逃れ、当地の児島に
辿り着いたものの飲み水にも困る有様であった。
一同はこの窮状を天に祈願したところ、海水は真水に変ったという。
これが上陸した地、水島の地名の由来と言われている。(諸説あり)
その後白髪の翁に誘われ、倉敷市林の辺りに導かれ、そこに築いたのが
この「熊野神社」である。
明治40年に建立されたという巨大な備前焼の狛犬を見て玉垣に入ると、
その正面に檜皮葺の屋根を横一列に並べて建つ社殿が現れる。
左から第三殿(入母屋造り・1647年)、
第一殿(春日造り・1647年)、
第二殿(春日造り・1492年)、
第四殿(四間社流造り・1647年)、
第五殿(四間社流造り・1647年)、
第六殿(一間社流造り・1647年)と古色の社殿が建ち並んでいる。
正に八百万の神々が祀られた壮麗な社殿は、造りもまちまちで、並び
順も何故この並びなのかはよく解ってはいないらしい。
全国に四千近くある熊野神社の中でも、本宮の昔の姿を今に残す貴重
な本殿と言われている。
濃緑の山を背に、屋根に乗る青銅色の千木が映える姿も厳かだ。(続)
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