東海道の時代大津宿を出て始まる逢坂峠と、この辺りの日ノ岡峠は、
大津から京に到る間の二大難所と言われていた。
特に日ノ岡峠は急な勾配が長く続く事と、雨でも降ればぬかるんで、
ここを通るほか無い旅人や牛馬を苦しめてきた。
この辺りにも1700年代初め頃には車道が整備されたらしい。
木食正禅上人(もくじきしょうぜんしょうにん)は、享保19(1734)年
頃から峠道の改修に取りかかり、峠の頂上を掘り下げ、その土砂を坂道
に敷いて段差を無くし、ゆるやかな勾配にするなど工夫した。
元文3(1738)年に工事を完成させている。
幕末の慶應年間には、それでも急峻な日岡峠を通らずに迂回する新道
を付けるという街道付け替え工事が実施された。
それが今日の三条通りの前身らしい。
更に明治8(1875)年から始まった道路改修工事で、1里19町51間
(約6km)の間を高低が平均するようにし,最高地点では1丈1尺4寸
(約3m強)も低くした。
地理院地図で確認すると現在の標高は、大津札の辻が100mで、以後
上り始め京阪大谷駅辺りが170mでサミットを向かえる。
その先月心寺で143m、髭茶屋追分けで108m、四ノ宮駅前で67m、山科
駅前で63m、更にスズメ坂で50mまで下る。
そこから再び上り初め、天智天皇陵前で52m、旧東海道に入り日ノ岡
の大乗寺で83m、光照寺の先辺りがピークの100mでこの先下りながら
三条通りに合流する。
一方新道はJR線を越える辺りが50mで、御陵駅前辺り58m、旧東海
道と合流する辺りで86m、九条山バス停辺りが97mでピークとなるが、
総じて道は滑らかだ。
改修の記念碑が三条通りに建てられている。
ここを越えれば最早難所はなく、京都盆地を望ながら、三条大橋の標高
42mを目指して下っていく。(続)
にほんブログ村
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます