簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

日ノ岡峠越え(東海道歩き旅・山城の国)

2024-09-18 | Weblog
 鈴鹿を超えもう「難所」は無いと思っていたが、まだまだ難所はあった。
日ノ岡峠越えの山登りのような厳しい上り道もこの辺りまで来るとサミッ
トで、ここからはほぼ平坦道を経て緩く下っている。



 左側に法華宗・大乗寺があり、長く急な石段が山に向かって延びていた。
門前に寺の謂れ書きがあり、それによると江戸時代にはここにはなかった
お寺で、昭和55 (1980) 年に上京区鳳瑞町からここに移転した後、無住寺と
なり荒廃していたとか。


 
 平成4(1992)年以降から復興が進められていると言う。
寄贈された酔芙蓉が植えられ、今では1500本も群生する「酔芙容の寺」と
して知られている。



 その先には浄土宗・光照寺があり、大乗寺と比べると一段緩やかな石
段が、緑豊かな崖の上に向かっている。
行基菩薩が草創され800年の歴史ある寺らしい。



 その先には、「天道大日如来」と記された提灯が吊るされている小祠
があり、内にお地蔵さまのような石仏も安置されている。

 さらにゆるく下りながら行くと、右側の新道・三条通りを見通せると
ころに、小さな広場があった。
旧東海道と刻まれた石柱と灯篭が立てられていて、日ノ岡峠道の案内板
が掲げられていた。



 その向かいは、金木犀の根元に「150years house」の看板が掲げられ
た古民家風の建物が有った。
玄関わきには、「栄花山荘」の木札が張り付けられている。



 軒下の板塀には「山科牧畜場牛乳搾取所」と書かれた白い板が下げられ
ていて、廃業した牧場の跡、旧長谷川家の住宅らしい。
「京都府立病院御用達」と書かれた牛乳箱から推察すると、牛乳は病院に
納品され大得意であったようだ。(続)



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