瀬戸大橋線の歴史は新しい。
嘗ての本州と四国を連絡する基幹ルートは、岡山と宇野を結ぶ宇野線と、
そこから瀬戸内海を横断して高松に連絡船で渡る宇高航路であった。
瀬戸大橋線はそれに変る大動脈として期待を持って開通が待たれていた。
長年の地元の悲願である瀬戸大橋の開通を見据え、昭和63(1988)年
3月に、同線の茶屋町から分岐して児島までの間、12.9㎞の本四備讃線が
先行開業する。
そして着工から9年半余を経て、大橋の共用が開始されると同年の4月、
宇多津迄の全線31.0㎞が営業を開始する。
宇野線は岡山を出ると左カーブしながら築堤を登り、市街地を高架で
通り抜け、次の大元を過ぎる辺りで地上に降り、暫くは住宅と農地の混
在する長閑な岡山市南部を駆け抜ける。
再び高架に上がるのは、茶屋町の手前からである。
茶屋町を出ると最初の駅が植松で、分岐した宇野線の彦崎とは目と鼻
の先だ。宇野線開通の明治43(1910)年に開業した彦崎とは、直線距離
なら700m程しか離れていない。
地元からは新線にも駅を、と強い要望が有り設けられたが、どちらの駅
も乗降客が多いわけではない。
植松を過ぎると稲荷山(153.6m)と蟻峰山(231.8m)の下を蟻峰山
トンネル(2155m)で抜ける。
出ると木見だが、直ぐに福南山トンネル(3652m)に入る。
抜けると上の町で、その先はまたまた下村トンネルで住宅密集地の下に
潜り込む。
宇野線と分岐してからはその距離の凡そ半分がトンネル区間で、その
間に駅が有るような様で、町中を走る鉄道としては珍しい存在だ。
ようやく抜けると児島に到着で、その先で瀬戸大橋を渡り、渡り終える
と四国の宇多津である。この間の海峡部に駅はない。(続)
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