頻りに「うつくし松」と書かれた案内板を目にするようになった。
説明によると、「平松に自生する赤松の変種」らしく、「根から放射状
に出て傘を開いたような美しい形の松で、大小二百本が群生している」
という。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/4d/901965330be159699f485de166a12383.jpg)
大正10(1921)年、国の天然記念物に指定された松は、南900m程の
美松山(227m)の麓にある。 当地にいつ頃から見られたのか、その
発端は分からないが、「松の葉細く、艶ありて、四時変せず蒼々たり」
と言われる松が自生していた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/cd/e59f71073463b63ecf2566c91d6e70ec.jpg)
江戸時代には観光名所として、東海道を行き交う旅人も、寄り道をし
て愛でたらしい。昭和天皇も自生地に御幸されたと伝えられている。
松はこの場所にしか無く、「隣山は常の松にして、美松一本も無し」
と言われ、他所に移し、鉢植え等にするとすぐに枯れてしまい、どうい
う訳か、ここでしか育たないらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/9f/f4cb4d552ce005b9b656c64a431f3cd1.jpg)
松にはこんな伝説もある。
「平安時代、病弱な藤原頼平が静養のために当地を訪れた。
有る時突然数人の天女が木々の間から舞い下り、京都西山・松尾明神の
使いで、頼平様をお護りするためにやってきたと言う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/52/cd3f9cd09de38fb8c9cf21c4fb05741e.jpg)
頼平は感涙にむせぶが、ふと我に返ると天女は何時しか消え、周囲の
松は見たこともない美しい姿に変わっていた。
驚いた頼平が文徳天皇に報告すると、天皇は勅使を派遣して事の真実
を確かめ、美し松と命名した。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/53/dfa4459d6d5b4d2c4e0425eab78a01ab.jpg)
平松には、道中奉行に任命された高木伊勢守が領し、陣屋が建てられ
たが、その後建物は取り払われ、跡地が残されている。
次の柑子袋(こうじぶくろ)集落の西端左側には、「上葦穂神社」が
鎮座していて、参道入口を示常夜灯が一対建っている。(続)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/02/19865367b4139fc7c0a3affeffca0555.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/c5/608a98fcd1340cbecac4921275227ec4.jpg)
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