簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

最上稲荷(JR乗り潰し・桃太郎線)

2016-08-08 | Weblog
 右手遥か奥に吉備高原の低い山並みを眺めながら、岡山平野に広がる田畑の
中を進む桃太郎線(吉備線)の車窓右手に、大きな朱塗りの鳥居が見えて来る。



 伏見、豊川と並ぶ日本三大稲荷の一つとされる、「最上稲荷」の参道口に立つ鳥
居である。鉄筋コンクリート製で、高さは27.5m、柱の直径4.6m、道路をまたぐ柱間
は19mと言う巨大なもので総重量が何と2,800トンもあると言う。
平成の改修では邪気を振り払うとされる弁柄(ベンガラ)色に塗り込まれた。
赤みを帯びた赤銅のような光沢のある濃い茶色が、青空に一際大きく目立って見
える。





 「最上稲荷」は備中高松駅の北3キロメートルほどの所に位置する神仏習合の、
正式には「最上稲荷山妙教寺」と言う日蓮宗のお寺である。
元々は山岳修行の道場として栄えた地で、開山1,200年を迎えると言う寺の本堂
はその記念事業として建立された。
県下では「お稲荷さん」「高松稲荷」などと呼び親しまれている。



 新年の開運大祈願祭が行われる正月三が日の参拝者は60万人を数え、これは
県内では最大規模だ。有名芸能人らを招いて行われる節分の豆まき式でも大勢
の参詣者で賑わい、この巨大な本殿前の広場は人々で埋め尽くされる。





 境内には「緑の末社」が有り、近頃では離縁・結縁について参拝する人が多いら
しく、社務所に請えば正式な参拝方法を教えてくれると言う。
それは偶数月に「離別天王」にお参りしまず悪縁を断ち、奇数月に「縁引天王」で
良縁成就をお願いするとやがて思いがかなうと言うものだ。(続) 






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「温羅(うら)」伝説(JR乗り潰し・桃太郎線)

2016-08-05 | Weblog
 岡山の桃太郎伝説は、「温羅」伝説でもある。
この地には駅の運動公園口に温羅の像が建ち、今週末に予定されている夏祭り
「うらじゃ踊り」では鬼のメークを施した踊り連が熱狂の舞を繰り広げる。



 百済の王子であった温羅(吉備の冠者)が、鬼ノ城に住み着き悪事を働くように
なった。これを平定するため大和から派遣された吉備津彦は、「吉備の中山」に本
陣を敷き、その西に石楯を築き備えたとされている。
これが「楯築遺跡」(倉敷市矢部)だ。



 こうして争いになりにらみ合った両者は互いに矢を射るが、ことごとく空中で絡み
合い下に落ちてしまった。この地が「矢喰宮」(岡山市・高塚)と言われている。



 そこで考えた吉備津彦は、矢を二本同時に射ると一本は絡み合い落ちてしまった
が、もう一本の矢が見事に温羅の左目を射ぬいた。
温羅は大量の血を流したので、それで出来たのが「血吸川」である。



 堪らず温羅は雉となって逃げ、吉備津彦は鷹となって追うと、こんどは温羅は鯉
に化け「血吸川」に逃げ込んだ。それを追った吉備津彦は鵜になって鯉を噛んだ。
その場所が「鯉喰神社」(倉敷市矢部)だ。



 こうして降参した温羅は吉備津彦により首を刎ねられ、さらし首になった地が岡山
市・首部である。
しかし何時までも大声を上げ続けたので犬にその首を食わせたが、ドクロになって
も唸りは止まらなかった。堪らず「吉備津神社」の地下深くに埋めてしまうのだが、
それでも13年間唸り続けたと言う。



 伝説では鬼神として伝えられている温羅であるが、岡山の市民にとっての温羅は
馴染深いキャラとして愛されている。
 その根拠は、「鉄」文化を欲しがった大和政権が、温羅を悪者に仕立て上げ成敗
した、と岡山県民は今も固く信じていることにある。(続)






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桃太郎伝説(JR乗り潰し・桃太郎線)

2016-08-03 | Weblog
 おとぎ話「桃太郎」伝説の地は、我こそは本家本元と全国に名乗る所が多い。
愛知で生まれ幼いころをその地で育った身には、桃太郎は愛知県の北部・犬山で
のお話だと岡山に住み着くまで信じていた。



 地名からして犬山である。家来のイヌはきっとこの地の出に違いない。
近くには爺さんが芝刈りに行った(?)桃山や、婆さんが洗濯をした(?)木曽川も
流れている。何せ桃太郎神社まであるのだから、もう疑う余地も無い。
犬山は県民ならそのほとんどが、幼稚園か小学校の遠足で訪ねたことが有るだろ
う超有名地である。



 しかし成人し岡山に移り住んで、そんな思いは見事に打ちひしがれてしまった。
この地には昔から桃太郎にまつわる「温羅(うら)」伝説が残されている。
駅の後楽園口前には、サル・キジ・イヌの家来を引き連れた桃太郎の像が凛々し
く建っているし、その見つめる先の通りは桃太郎大通りと名付けられている。
さらに駅に西口には、鬼のモデルとされる「温羅」の像も建っている。



 しかも桃太郎伝説は岡山だけではなく、瀬戸内海を隔てた香川県にも生きていた。
盆栽の生産地として知られる鬼無は、桃太郎が鬼を退治して鬼がいなくなったからこ
う呼ばれるようになったらしく、その鬼を退治した島が瀬戸内海に浮かぶ女木島で、
鬼が逃げ込んだのが男木島だ。その山の中には鬼が隠れていた洞窟が有ると言う。







 そんなわけで愛知、岡山、香川は桃太郎の三大伝説地と言われているらしいが、
何と奈良県の田原本町と言うところも我こそは本家・・・と名乗っている。
さらに調べてみれば、まだまだ全国には名乗っている地が有るのかも知れない。(続)






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三備の一宮(JR乗り潰し・桃太郎線)

2016-08-01 | Weblog
 桃太郎線(吉備線)は「吉備の中山」を回込むように進み、吉備津駅に到着する。
その駅の裏手には線路と並走するように旧山陽道が通っていて、そこから正面の
「吉備の中山」に向け600mほどの見事な松並木道が続いている。



 吉備津の松並木と言われるもので、「吉備の中山」の西麓に位置し、分国前の吉
備の国の一宮その後も三備(備前・備中・備後)の一宮と称せられた「吉備津神社」
に到る道である。



 この神社が文献上に現れるのは、847年と言われているから歴史は相当に古い
ことがわかる。祭神は「吉備津彦神社」と同じ吉備津彦命である。



 参道を抜け、急な石段を上がると大しめ縄の下がった本殿・拝殿が姿を現す。
全国でもここだけの屈指の神社建築と言われる「比翼入母屋造り」、俗に「吉備津
造り」と言われる室町時代初期に再建されたもので国宝の建造物である。
それは京都の八坂神社に次ぎ、また出雲大社のそれとは2倍以上もの広さを誇っ
ている。



 本殿の横からは、この神社の見所でもある回廊が延びている。
緩やかな傾斜地を巡る回廊は真っ直ぐに伸びながらも、その建物は波のような優
美な曲線で境内にある幾つかの末社や摂社を結んでいる。



 回廊沿いには桜や梅ボタンやアジサイなどが植えられていて、四季折々の花木
が参拝者の目を楽しませてくれる。
その中ほどには吉備津彦と温羅伝説に纏わる「御竈殿」が有り、今でもここでは温
羅のお告げによる「鳴釜神事」(お湯を沸かしたお釜の、鳴動の大小や長短で吉凶
禍福を占う)が伝えられている。(続)







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