まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

鞍掛山

2021-10-07 | 山歩き
爽やかな朝で、起き掛けに思い立って鞍掛山へ。
娘達と市民登山へいくために、少しでも歩いてみないと心配になってきて、先日からザックは用意してあった。
しかし、暑い日が苦手で躊躇していたのだった。
今日はいいね。天気予報も朝のうちは20℃前後。
昼には27℃になるというが、休みの日は今日しかない。
駐車場に9時半に着いて登り始める。
久々なので、急坂をやめて「行者岩コース」を、ゆっくり歩くことにした。
駐車場には車が10台ほど停まっていたので安心だ。
ところが、誰もいる気配がない。
森の中は涼しいが、熊鈴を持ってこなかったことが気になった。
この木はなんだろう。この名前の人の所有なのだろうか。
同じ名前の同級生がいたな。字は違うが。


木漏れ日と秋の空気のシャワーをふんだんに浴びて。


行者岩コースは「頂上まで2200m」との表示。
中谷は急騰で「頂上まで1000m」


鞍掛山は変化にとんだコースがいくつもあってトレーニングには最適だ。
スポーツジムより向いているかもしれない。
ひとりで登れるところもいい。
少し勾配が出てきた。



ロープ登場、わくわくアスレチックっぽい。


行者岩の下には観音さま。ご挨拶「おひさ~~」お久しぶりです。
千手観音は、すべてに対して救済するというありがたい観音さまだ。
千の手を一斉に動かしたら忙しかろうなあ。
わたしは、二本の手ですら思うように動かない。
手の内がどうの、妻手がどうの。だれも救済できないどころか、自分自身も救えないという情けなさ。



観音様に手を合わせた後、行者岩の上に出る。


この辺りまで来ると、空が開けてくるので楽しい。

もうあと少し。ひとりで登ると殆ど休憩をとらないので、カメラを持ってくると丁度良いのである。ほんの少し足を止め、水筒のドリンクを飲む。
下りる人と二人すれ違い、若い人に追い越され、一人ではないことに安心。



ベンチがやたら増えていた。


避難小屋に到着。
カエル?!




10月末の市民登山にここ3年連続で娘達と登る。
今年も10月1日からの募集に、早速10月3日月曜にFAXを送った。
コースは一昨年の塔尾新道と鶴ケ滝のコースだ。
鶴ケ滝コースはひとりでは怖くて行けないので楽しみである。
(熊の出没が多いというので)
ひとりの道は遠く感じるけれど、みんなとならあっという間だ。


あと一息っていうとこがちょいつらい。小一時間でこんなんで、よくも白山に登れたものだ。自分の力ではないと思う。
この5倍以上を歩けたのは、気持ち的に友達に押され、引っ張られて登ったのかもしれない。





高い山も低い山も頂上はいいもんだ。
頂上では人が多く入れ替わり立ち替わり通り過ぎていく。


今回は急いで出かけたのでコーヒーを持たずに来た。
でも、アンパンを持ってきたので、麦茶とアンパンでおやつ。
さて、元気で下りよう。今度は西谷登山道。
急こう配なのでロープがいたるところに張られている。
下からてっぺん禿げのじいちゃんが登ってくる。
わたしは背が低いので、大概の人の頭を上からみることはない。

すれ違うとき道を譲って待っていると
「どこのおばちゃんかと思ったがい」
と、声をかけられた。てっぺん禿げのじいちゃんである。
ひとまわり年上の叔父だった。父の一番下の弟である。
そっくり返って笑うと落ちそうなので上品に対応した。
急坂で立ち話をして別れた。
「そんなら」と。
さようならば・・というのと同じ、方言に対し
「では、また」ごきげんようと、続けたい上品さはないが。



西谷に11時50分に到着。


車は倍に増えていた。
人はどこにいたのだろう。


家に帰ると市のスポーツ課から電話が入っていた。
掛け直したら、「残念ですが、先着15名に入らなかったので・・」と、断わりの電話だった。残念だったがバスの送迎があるので仕方がない。
まあ、個人で登れないことはないので。
しかし、10/1からの受付で1日は土曜で、2日は日曜なので、月曜がいいかなとFAXしたのが遅かったのだ。
加賀市民はみんなせっかちだなあ。

秋の草

2021-09-07 | 山歩き
草が伸びるのが早く、刈りに行くと秋の草が一面に生えていた。
つゆ草とススキ。



コスモスの種を撒いたはずなのに、雑草に負けて2輪だけ弱々しく咲いていた。

もうちょっとの所で、またまたバッテリー切れだ。
バッタやコオロギが飛び交っていたので、しばらく刈らずにここの草だけ残しておこう。


この後、弟に手伝ってもらい、南天を植えた。宅地用の地面なので石ころが多く、鍬を入れる時ハラハラした。
最近は、山へ行かずやたら草刈りに興じている。



道しましょう

2021-08-07 | 山歩き
月2回の土曜午前中は、お茶の稽古。
今日は「置き柄杓」と、「切り柄杓」を習った。
置き柄杓は、湯を汲んだ後釜の口に柄杓を置くときの扱いで、弓道で「弓に矢をつがえる形」からきている。
切り柄杓は、抹茶を点てる時、茶碗にお湯を半灼入れた後、残りを釜に戻して柄杓を置く際に行う扱いで、弓道の離れの形からきているとされている。
引き柄杓は次回のお稽古に。

先生は毎回、床の間の茶花と掛け軸に趣向を凝らし、夏点前の蓋つきの水差しなども涼しげ。
「今日は立秋ですね。」あ、そうだった・・・まだまだ暑いけれども。
床の間の掛け軸は、「滝」と、言う字が書かれていて、その瀧がずっーーと
流れているようで素晴らしい。
墨のかすれが、水のはじかれた様子だった。
三千丈の滝とのこと。三千・・・・すごい。

今回、お稽古にTシャツでも懐紙が入れられるように、胸にポケットをつけていき、先生に褒めていただいた。
普段着でのお稽古で、ベルトに挟んでもいいのだが、何か工夫ができないかと考えた。



さて、午後は弓仲間と道場へ。
暑いのに和服を着た。襷をかけたら、下着の袖が肌にへばりついて、まるで牛若丸と弁慶のいでたちの、弁慶の袖まくりみたいになってしまった。
この射では、まだまだですな。
それでも、県内の施設の使用制限がある中、なんとか稽古が出来て喜ばなくてはならない。

オリンピックでは、難度の高いいろいろな競技があるのを観るにつけ、弓道はなんと単純で、辛気臭いことか。
その単純さゆえに人が如何に迷い、要らぬ力を加えて複雑にすることか。
改めて、自分の不甲斐なさに冷や汗も加わる。
家にいると何もしたくないほど暑いのに、みんなと道場にいると元気が出るのは何故か。

本日、ふたつの道をしました。





オリンピック台風

2021-07-27 | 山歩き
日々のオリンピックについては、ここで言うまでもない。

それより、「台風がこわいね」と婆さんと話していたら、
「あらぁ~~、もう陸上したんかね・・」
上陸と言いたかったのだろう。オリンピックらしい言い間違い。
耳が悪いので、訂正しなかった。
うんうんと、うなずいているだけだ。
スケートボードも、スノーボードと言っているが、まあ似たようなものだからいいか。
大声を出して訂正する方が疲れるのである。

裏庭のひまわりが咲いた。
暑そうだな。一日中太陽と戦っているように見える。













長嶋茂雄さんありがとう

2021-07-23 | 山歩き
ひとりで、世紀のオリンピック開会式を観る。
天皇陛下の入場で、なぜか胸が熱くなる。もともと胸は厚いが。
どうか無事に終わりますように。
厳かに国旗が掲揚される。
オリンピックの意義は?とか何とか言いながら、始まってしまったらわくわくする。
娘達とラインでやり取りし、一緒に観ている感があって楽しかった。
なんか質素やね。仕方ないね。派手に出来んよね。
天皇陛下のお言葉も気を遣って大変やね。
MISIAの君が代素敵やね。
森山未来ってダンサーやったんや??
どうなるかと思ったよね。間際に演出作曲家直前に辞退。。。
そして、入場行進が始まると、口々に「ドラクエや!」と反応が。
ゲームのドラゴンクエストであることは分かるが、曲を聴き分けることはできない。
ここは、娘や孫たちの時代・・FF「ファイナルファンタジーに変わった」「モンハン!!」(英雄の証)etc・・・モンスターハンターやね。
昂揚する曲ではある。
曲が変わっていくのも気づかないばぁば。
いいじゃん。
他愛のないことをみんな茶の間でワイワイ言うのが楽しい。
わたしは、コートジボアールで風呂に入った。
天皇陛下はずっと手をたたいて入場を見守るのも大変だね。
風呂からあがると、中国だった。
なんであいうえお順なんだろう、世界に通用するABCでないところがいいね。
アメリカまだやね。米国やからか?違うやろ。
最後やって・・フランスと日本と。
吹き出しのプラカード「日本」「JAPAN」ユニフォーム日の丸やん。
旗手は八村。桃田選手いた‥良かったね。やっとオリンピックに出られるね。
森さんより橋本聖子さんのご挨拶で良かった気がする。
うひゃ~~動くピクトグラム!!大変そう。

ついに聖火登場。王さんと長嶋さん。そして、長嶋さんの一歩一歩を支える松井さん。
一歩一歩・・。おとうさんがいたら感動するやろね。
泣くわ。
「我らが青春のヒーロー長嶋」
翌日の新聞に王、長嶋、松井さんの記事があって、切り抜いて仏壇へ。
先日、長嶋の本を少し処分したけれど、何冊か残した中に、長嶋さんのサイン入りはがきが出てきた。
脳梗塞で倒れた後、励ましのメッセージを送ったんだろうと思う。
この本を購入して。長嶋さんよりさきに逝っちゃいましたけど。



オリンピック、パラリンピックが滞りなく運営できますよう。
天皇陛下共々祈ります。(雅子)









山遊び

2021-05-31 | 山歩き
ちょっとおしゃれな山着を着ている弟。
「かっこいいね」というと、農業はスポーツだと。
ほんの少し前までは、自動車会社の系列の追いまくられる不断の生産メカニズムの中に組み込まれていたのに。
楽しそうなトラクター運転。
木を伐りだして運ぶ台車も作っていた。
薪小屋を作り、スウェーデントーチもあった。
おしゃれだ!!これを燃やすところを見たい。


土地が広いので、けっこう遊べるのである。
父も『平成庵』なるものを山の上に作ったのだが、弟のように電動工具を持っていなかったので、「ある意味すごいね!」と、言うと「尊敬するわ」と弟も言っていた。



寺尾観音山

2021-04-20 | 山歩き
便利軒さんと、弟と寺尾観音山へ登ろうと、急に話が決まって、仕事が終わってからすぐ夕方5時から登り始めた。
昨年の熊騒ぎのこともあるので、一応熊鈴をつけて行った。

山の名前の話しから、わたしは前に登ったことがあるということと、曽宇町の方々がとてもきれいにしていて、この山を大切にしていることが良く分かるというと、登ってみたいというので即決まり。
父と母が御開帳の時に登ったというので、弟に告げると、
「へ~。登れたんかな・・」と、驚いていたがゆっくりなら高齢でも大丈夫だ。
今の母を見ると想像できないが、平成22年に登ったのである。



標高228m。距離1km。
学童の子供たちを連れて行ったときは頂上まで40分かかったが、元気な大人たちは25分で頂上に着いた。
始めの九十九折のところで、弟は「ここを登ったら頂上か?」という。
そういえば、学童の子供達も初めの急坂で、「頂上まだ~?」と、言っていた。
「小学生か!」まだ5分しか登っていない!!
と、やかましく登りながら、砂利道の林道に出る。
ここからは楽だが、砂利道は歩きにくい。
道端の花が綺麗だ。
ウォーミングアップ程度にちょうどいい山だ。
天気が良いので汗ばむが、頂上は涼しい風が吹き、加賀市が一望できる。
お茶を飲んで、くるりと一回りし、観音堂にお参りして下山。
20分。
小一時間で終了。



春登山

2021-04-08 | 山歩き
昨年の熊騒ぎ、大雪、コロナ・・いろんなことから踏み出せない山。
無理していく必要がないと思っていたのに、今朝の陽気は身体を動かしたい衝動にかられた。
朝食を終えて、出かける準備をした。
誘われたのはお天道様にだ。
昨年の10月の市民登山以来だ。
ゆっくり行こう。9時10分に駐車場を出発。
いつものコースではなく、林道を5分ほど歩くと、いわゆる電力会社の鉄塔コースの登り口がある。
「送電線」と、いう標識が出来ていた。
毎日のように登る「鞍掛山愛する会」の人たちに会う。
ここへ来ると知り合いになっていくのだ。
週3回登山のおじさんの案内で「送電線」コースを一緒に行く。


春の花の移り変わりが早い。1週間前にはタムシバが満開だったそうだ。




ツツジの蕾。山歩きの楽しみは花を見つけること。


咲き遅れのタムシバ。後ろに見えるのは鞍掛山の頂上。
送電線コースは、大回りするようなコースなので、1時間半はかかる。


10時16分に「あせび台」に到着。


アセビの花。



10時39分。お地蔵さん。今日もありがとうございます。
お賽銭が載っている。大雪の時に帽子が飛ばされたので、首にゴムひもをつけてもらったとのこと。
お地蔵さんを持って上がった方の言。


獅子岩10時43分。
岩の先端に立って覗くと足がすくむ。



大日山が近く見える。


後山に到着。10時49分。


昨年出来た山の学校を覗く。


季節の花の写真やパンフレットがある。





頂上到着。ちょいと寄り道したので11時になってしまった。


熱いコーヒーを飲んで、桜アンパンを食べて下山する。
「行者岩コース」から下りることにした。
40分で登り口に到着。


ヤギさんさようなら。




二宮金次郎!

2021-02-21 | 山歩き
見つけてしまった!
長い間観たことがなかったし、孫の小学校にもない。
この頃は、二宮金次郎(二宮尊徳)を見かけない。
仕事の帰りに電話をかけるために、大聖寺新町のJAの駐車場に車を停めて横を見たら、薪を担いで本を読んでいる二宮金次郎。
ここは何回か通っているのに知らなかった。

「二宮金次郎の生涯」と、いう映画があるそうだ。
監督は五十嵐匠だ。五十嵐監督の「長州ファイブ」は面白かったし、勉強になった。きっと、この映画も面白いだろう。2019年に制作されている。

現代では、本を読み読み歩いていたら交通事故に遭うね。
今の子供たちは「二宮金次郎」を、知っているのだろうか。


今の子供たちは、ネズ子を背負っている「竈戸炭治郎」なら良く知っているだろう。
とはいえ、私も良く知らない。名前とお馴染みのスタイルだけである。
早く言えば財政アドバイザーとか。
何十年も生きてきて、知らないことばかりだ。
この後、知っていることも知らなくなるのが怖い。



雪だるま

2021-02-18 | 山歩き
本当のところ、少し雪が降るのは嬉しい。
景色が綺麗になるのと、雪を掻いては遊べるからである。
しかし、仕事へ行く用意をしなくてはならないと、少ない雪でも軽自動車と、私の運転の技量では怖い時がある。
雪かきが翌日の弓に影響するかどうか、中たらない時はつい自分の技術を棚に上げて外的要因を持ち出すのではまだまだ青い!!
青いまま年を重ねても、外見は渋い。



リビングから見えるので、婆さんが食事の時にとても喜んでいた。
翌日は良い天気。



夕方、空は真っ暗なのに、白山だけが光っていた。
白山の上は風が強くて雲が飛ばされたのかもしれない。
まるで、のぞき窓から見たような白山だ。



ややピンクになりかけて。



「詩とメルヘン」サンリオ出版 バックナンバー

2021-02-12 | 山歩き
昔々、やなせたかし氏が編集していたイラストと詩の本で、何回か載ったのだが、掲載されたのをスクラップしてしまったので、本が欲しいと今更ながら思った。断捨離しなくてはならないのにである。
やなせさんの評も嬉しいかったので探したらあった。アマゾンではない。
アート ブルーというところ。
ネコポスで、美しいのが送られてきた。満足だ。この本から出たイラストレーターはプロとして活躍している。イラストコンクールの賞金は50万円だった。
詩は1回6000円だったと思う。お金より、プロのイラストレーターに絵をつけてもらえることが最高に嬉しかった。15作品載ったのである。
やなせさんに「おなじみの〇〇さん」と、書かれた時は天にも昇る心地だった。また、何回か絵を付けてくれた「井上直久」さんが、お手紙を下さったのも嬉しかった。井上さんのイラストが宮崎駿の映画に採用された時、すぐに映画を観に行った。「耳をすませば」である。

やはり、残りの人生に少し自分の楽しみを残しておくべきだ。
今でも十分楽しめる内容だ。
あら~こんなのもあったのだ。飛鳥だ。





「中原淳一」に、あこがれたよね~。昔、昔の物語だ。
しかし、何冊かは在庫がなくて、結局購入したのは2冊だけだった。
あの時、わたしも若かった。へんてこなペンネームを使ったりもした。
笑える。そして、その詩は恥かしくて誰にも見せられない。
若い時は、恥ずかしくなかったのだろうな。


今は亡きやなせさんは、戦争の悲惨さを訴えていた。
そして、アンパンマンが今でも生きているのがすごい。
「手のひらを太陽に」も、作詞したんだった。亡くなってからもその功績が生き続けているのは凄いと思う。
さて、バックナンバーではなく、これから先に何かを残せたらいいなと思う。

山と渓谷 新年号

2020-12-31 | 山歩き
『山と渓谷』(12月15日発売)の新年号を発売と同時に買った。
新年号は『深田久弥と日本百名山』別冊付録が2つもついている。
1300円だが、すでにどこの本屋も売り切れていて、ネットを観たら2723円となっていた。
内容も付録も魅力だ。
特に、山の文化館が載っているところも良い。


百名山登山を目指す人も、眺める人も、興味深いだろう。
友達が手に入れそこなってネットで買うか迷っていた。
加賀市の本屋は4軒しかなくて、たいがい『山と渓谷』は売れ残るのに、今回はあっという間に売り切れたのである。

そこで、来月発売の『岳人』を、お勧めする。
特集は百名山ではないが、そこにも加賀市の山の文化館が載っている。
おまけにわたしの写真も載っている。
くれぐれも吉永小百合と間違わないよう。


錦城山散策 三の丸か~下山

2020-11-11 | 山歩き
二の丸のまま止まっている錦城山。
再び歩き出すが、ここで「戸次丸(べっきまる)」と、西丸の分岐で、戸次丸へは行かず、西丸へ向かう。


きれいに整備されていて


大きな樅木がある。昔「樅ノ木は残った」という大河ドラマがあったが、本当に樅木は残ったのだ。ドラマは山本周五郎の作で、「仙台藩伊達家」で、起こったお家騒動をもとにしている。
この錦城山では、戦国末期から関ヶ原の合戦の前哨戦として、戦いは繰り広げられた。ここでも、樅木は残ったのだ。

百両(カラタチバナ)



三の丸


三の丸を通過し、空堀を通過し、西の丸へ。





局谷(つぼねだに)は、本丸と鐘が丸との間にある。大聖寺城落城際、局たちが本丸から身を投げてなくなったと言われ、かんざしを挿した蛇となって現れたという。

「骨が谷」は、鐘が丸を攻められ激戦となり、多数の遺体が骨になるまで放置されていた谷である。
錦城小学校に通っていた私たちは、錦城山に亡霊が出ると言われていた。
この話を聞いただけで出るだろう‥と思う。思わず手を合わせる。
鐘が丸に向かう。

アスレチックがある。鐘が丸の櫓があったであろうところ。





東丸跡から白山が見える。竹が伸びて少し残念だが、ここからの展望が良い。



深田久弥の「日本百名山」の「白山」の一節が刻まれている。


富士写ケ岳の頂上は、大聖寺から見ると双耳峰であることが良く分かる。
私の町からは、富士山のような形である。

東丸から下りると駐車場である。
下山の階段は高い山も低い山も気を付けて。


駐車場から忠霊塔へ。


忠霊塔。




錦城山散策  本丸~馬洗い池~二の丸

2020-11-09 | 山歩き
本丸の土塁を通過。

山口玄蕃の碑。ここで手を合わす。
戦乱の世の中では、命のやり取りは通常に行われていた。
太平の世を願う人々は多かったに違いない。
歩くと想像力を掻き立てられる。



城郭内に防御や物見のために建てられた。


本丸北東虎口跡。
虎口とは、城郭や陣営の門に枡形を造り曲がって出入りするようにした要所の出入り口のことで、狭い道や狭い口という意味がある。


本丸、二の丸分岐。

馬洗い池。
本丸、二の丸、西の丸に囲まれた場所で、周囲と底を掘窪めて造られた人工池で、岩盤を掘削する大規模工事を行っている。
高い位置にありながら夏でも水が涸れることがないといわれ、籠城の際の飲料水を確保するために造られたと考えられる。


二の丸跡
城内最大の曲輪で、台所屋敷とも言われた。ここには、アスレチックがあるが子供たちが遊びに来るには危険な今日この頃。





二の丸から、西丸、戸次丸分岐。
この調子では、下山までまだまだかかりそうだ。


錦城山散策 登山口~本丸

2020-11-07 | 山歩き
自然観察員のMさんと、錦城山へ行った。
錦城山を勉強する会に向けての下調べでもあった。
ひとりで行くのは危ないので、わたしが熊鈴代わりになることをかってでた。
もちろん熊鈴も持っていく。
今のところ、大聖寺に熊が出たとは聞かないが、このところの熊騒ぎである。
気をつけて、誰かと話しながら行くのが良い。
山の文化館駐車場に車を置いて、長流亭を眺めながら錦城山を目指す。


標高63mの錦城山に大聖寺城が築城された。
この地は古代より水陸交通の要衝であり、越前と加賀の国境に近く重要な軍事拠点でもあった。
豊臣秀吉の家臣の溝口秀勝が天正11年(1583)大聖寺領主となった。
慶長3年(1598)溝口秀勝は越後新発田に転封した後、小早川秀秋の重臣であった山口玄蕃頭宗永が領主として入城した。
加賀市と新発田市が姉妹都市となる所以である。

慶長5年(1600)金沢の前田利長は徳川方につき、山口玄蕃は豊臣方として敵対し滅びた。
山口軍1200に対し前田軍は2万5千。

さて、登山口10時24分出発。
この箱の中に、散策コースのパンフレットが入っている。




ほんの少し行くと、贋金造りの洞穴がある。
明治の『パトロン事件」である。



さて、分岐で本丸の方へ行く。



しばらく階段を登ると再び分岐。


結構、息が切れるのでゆっくり上ると、『馬出曲輪跡』がある。


錦城小学校が見える。


再び階段。歩幅が合わなくてつらい。



敵が攻めにくいように造られているので、結構登りはきついのだ。
敵もつらいだろうが、味方だってつらい。
『本丸南虎口跡』


本丸手前に、休憩場所。


『大聖寺城本丸跡』
敵の侵攻を防御するために高く盛った堤防上の土手を「土塁(土居)」と呼び
曲輪を囲うように配置されている。