術後、個室にいると、窓からの空しか見えず、動きが取れない管だらけの体と、ホテルのようなきれいな部屋とはいえ、監禁されたような閉塞感。いつもとは違う心境になる。
いろいろな本を読むが、闘病日記のようなものは殆ど読まないくせに、自分では書いている。そして、日頃、俳句や短歌などには興味がなく、当然つくるのも下手くそだが、こういうときは、何か書いていないと、気持ちがもたないのだ。長い夜。長い一日。
秋空に 弓引く雲を みつけたり
ふと、正岡子規の「病床六尺」 が読みたくなる。病室では、携帯でメールも出来るので、全く人との会話ができないわけではないが、動けない時は、頭だけが何かを欲するようだ。金沢にいる義姉が何かほしいものは?と、言ってくれたので、俳句集をもらう。
あの頃の 子規にあげたい 電動ベッド ひとりの夜も やさしく起こし
良い悪いは別として、作れるじゃん。
リンパ節 浸潤の状態 ふたりして これがほんとの 夫婦浸潤
これは、ちょい違うか。
父が仙人のように映っている。86歳の父が軽自動車で金沢まで見舞いに来てくれたのには参った。道を何回も尋ねながら来たという。小一時間ほど話して、暗くならないうちに帰るといった。何が辛いかとというと、正面玄関から病棟まで遠いので、杖をついている父は何回も休んで、たどりついたらしい。母は、栗がとれたので、初物は体に良いというからと、栗ご飯のおにぎりをひとつ、置いていった。
当初、両親には病気のことをなかなか言えなくて、それでも黙っているわけにはいかず、大したことはないからと言いながら、こちらが両親を励ましながら話した。
わたしは、当初から病名を聞いてもあまり重く受け止めていなくて、よしっ!治すことに専念しよう。会社もすぐに後任を探してもらおう。復帰のことは考えない。肩の荷を下し自分のためだけに過ごす日もあってもいいのではないかと思った。
老いた母 遠い道のり 見舞い来て 栗ご飯の にぎりめし置く
この年になって、両親に心配をかけるのもつらいものだが、幸い命に別条はなく、いたって元気だ。日々、注意事項は多いが、それは治療に専念するというわたしの今の仕事として、のんびり気長に対処していくことにした。