まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

引くこと

2013-10-28 | 九谷焼

童子の茶碗の色を塗り始めたが、しょっぱなから色を間違えた。九谷焼の絵の具は、緑は茶のような色だし、黄色灰色に見えるし、とにかく絵の具を溶いたガラス版に書いてあるラベルに頼るしかない。

塗りすすむごとに不安は増していく。スケッチブックに塗った色の通りになるとは限らない。

とにかく緑を塗ったあと、並べたら5客はまるで5人並んだ弓引き、昇段審査のような気がした。

先生の工房の窓からは秋の木々が見える。

弓を引いていて、なかなか満足のいく矢が出ないのと同様、絵付けの線一本も、満足に引けないのである。なんと引くことは難しいか。そう言えば、高い買い物をした時も、なかなか値段を引いてもらえない。簡単に引くのは、亭主の駄洒落くらいだ。


弓道三病

2013-10-28 | 弓道

昔から弓道の三病といわれる癖がある。早気と弛みと(不好き)稽古嫌いの三つをいう。

恐ろしいことに、選挙以来道場へも行かず、弓も引かず、早気は治るはずもなく、家政婦の様によく働きと、言い訳を並べることが稽古嫌いと同じである。と、いう訳で弓を引きに出かけると、道場には真摯に稽古を積んでいる仲間がいるので、仲間はいいなあと改めて思うのである。

武道は敵との闘いではなく、自己研さんである。敵と戦っているうちはまだまだダメらしい。無敵であるということは、敵をつくらないこと。また、老いと闘うのもダメらしい。無敵とは何か。闘わないということ。自分とも闘わないこと。どうすればいいのかと考えている暇に1本でも弓を引きなさいということだ。弓はひとりで引いていると敵はいないが、試合に出ると自分の中で勝手に敵をつくってしまう。

弓を構え、いわゆる執弓の姿勢に入ると、仏が降りてくるような、厳かなきもちになるように。「佛」という字は、まさしく人が弓を持ち、矢を二本携えているのを著わしている。

わたしも、弓を執ると「普通のおばさん」ではなくなる姿に変身しているつもりだけれど、まだまだ「変なおばさん」だ。