まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

食用菊

2018-10-29 | 料理

婆さんの畑に食用の菊が咲いた。美味しいものではないが、目に楽しい。

12月で89才になる婆さんは、耕運機で畑を耕し、草1本生えるのを許さないくらいの美しい畑だ。

わたしは、それを食す係である。

なめたけと春菊を混ぜて、さっと茹でた菊を上にのせて盃に入れてみた。

いわしのフライをするつもりだったが、和風に替えて塩焼きにした。具だくさんの味噌汁。加賀レンコン。

マーボ豆腐風炒め物。食用菊と春菊の酢の物。イワシの横に、母からもらった「すこ」を添えた。

すことは、里芋の茎を砂糖と酢で作る。わたしは、作ったことがない。八頭の茎を使い、甘過ぎず酸っぱ過ぎないように作るのは難しそうだ。珍しいので一口添える。実はわたしはこの手の、甘くて酸っぱいのが少し苦手であまり作らないのだが、母の作ったのは懐かしい味がして美味しい。

国体や弓道大会で外食の多かった10月だった。地味な食事が美味しい。特に味噌汁が美味しい。

これを手前味噌汁という。

 

 


新しい漢字

2018-10-29 | 暮らし

友達が「駐車場」と、書こうとして「駐」の字のへんを、くるまへんにしそうになったというので、それも有りやねと話した後思った。

自転車を停めるところは「駐輪場」だ。今では馬を停めるということはない。そもそも、馬を停めるところは「馬留め」「馬駐(うまとどめ)」という。そこから「駐」の字が出来た訳だが、言葉づかいは時代と共に変遷していくのに、漢字は新しいものが出来ない。古くて難しい漢字は淘汰されるが、新漢字発表はない。

「主」とは何かということになる。主は動かないことを表す。燭台の上で炎が燃えている様子らしい。なので、じっとしている主の横に木へんがくると「柱」となる。人が動かないところ「住」。同じところに落ちる水は「注」で、そそぐのであるから、注意、注目となる。でも、やはり現代では車が動かないところは車へんにしたいよね。「漢字には意味があります」と勉強しても、「さて、新しい漢字を作りましょう」と、言うのはない。理不尽である。昔の人が知恵を寄せて考えた漢字を知らなくて「こんな漢字も書けないのか」と、言われたりして勉強不足を反省させられる。漢字に関しては完全に受け身である。憂鬱なんぞは、見ているだけで憂鬱である。「鬱」の字を書けることを自慢したら「字も見たくない」と、断られた。「へえー」と言われたくて覚えたが、確かにそういう気がする。この頃は「うつ病」と漢字で書かないのはそういう意味もあると思う。

しかし、昔からある漢字は本当に良く考えられている。にわかに覆せないのである。だからという訳ではないが、最近は漢字よりカタカナが多い。コラボ、シチュエーション、イノ―ベーション、アセスメントなどなど。リフォームが当たり前かと思ったら、リノベーションときた。外注と言えばいいのに、アウトソーシングだって。ついていけないね。

そういえば、弓道で射抜きをすることを、誰かが「弓道のサドンデス」と、言ったら、前会長がすごく怒っていたっけ。怒る人がいなくなるって寂しい。