まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

墓掃除

2016-08-11 | 暮らし

昨年建てた墓を掃除しに行く。婆さんが、爺さんの新しい下着のシャツを切ったものを用意した。

わたしは、柔らかいスポンジと、歯ブラシと、軍手、ごみ袋、ペットボトル6本の水。お盆を迎えるために、娘や親戚の方が来た時のためにという、まるで人を招くために家を掃除するような感覚である。

爺さんは、まさか自分のシャツで墓石を磨かれるとは思っていなかっただろう。また、「千の風になって」の、歌の影響と言ってはいけないが、昔ほど墓に気持ちが入らないのだ。小さい時は、「おじいちゃん、おばあちゃん」と、信心深い人のように手を合わせているのに、今は殿はこんな暑い日に石の中にいないと思ってしまう。どこにいるかと言えば、寝室の机の上のコーナーである。京都に分骨すべき骨を持ったままだ。その骨も、弓道の中央審査で、西本願寺の聞法会館に連泊して、いつでも納骨できる状況にありながら、それをしない。不信心なのだろうか。

実は、生まれて初めての墓掃除である。時々花を供えに行って、ゴミや花瓶を常にきれいにしていたのでそんなに時間はかからなかった。7時10分に出て、婆さんが楽しみにしている朝ドラまでに間に合うように出かけて正解だった。本当に暑くなる前に帰れてよかった。

そして、家に帰って「ただいま、お墓の掃除をしてきましたよ。」と、報告するのだ。「すまんな。」と、殿は言う。本来なら親の墓を建てて一緒に掃除に行くべき人だったのである。「しゃあないねぇ。」久々の休日で、一緒にオリンピックでも観ましょうか。



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