矢摺り籐がちぎれた。手の内が悪いので、人一倍この藤の劣化が激しいかもしれない。
矢が離れるときに、弓に摺れて行くのだ。手の内が悪いので、弓返りもしない。物の本には、弓返りができないと参段の認許は難しいとあった。ううっ。相撲のように角番がないことが救いだ。
新しい藤を買ってきて、一晩水につけて、巻き直した。膨らんだ分、矢は前にそれていくのを懸念して、「前に外れるかもしれない」と言うと、主人は、「そんな、緻密な弓を引いていたか?」と、言う。確かにそうではあるが、アバウトな分、アバウトに前にそれる気がする。
ついでに、弦を新しくした。しかし、しっくりいかない。矢は案の定前にそれ、下に落ち。ついに、弦が切れた。満身創痍である。見事に中たりもない。汗だくになって、何の快感もない弓を引いていると、何のためにこんなことをしているのかと疑いたくなる。
風呂上りに、ビールを飲んだ。うまいっ!
あ、このために汗だくになっていたのね。
それにしても「和弓」って、そんなにも“デリケート”なものなのですね。
確かに、デリケートです。
そして、ひどくアバウトです。
そして、非合理的です。照準もないし。
メンタルで、わたしの性格そのものです。
生きていくのがつらい。
と言いつつ、夜のビールに向かって生きています。