まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

不思議の中り

2024-03-30 | 弓道
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
と、故野村克也監督がおっしゃっていた。
もともとは、長崎県の平戸藩主であった松浦静山(1760~1841)の言葉だそうだ。
さて、中りも同様で、まぐれ中りがある。
外れは、原因は明らかだ。
最近、中っても先輩に、「それで中るのはいかん!!」と、指摘される。
離れ際に、緩んでいるのだそうだ。他人事のようだが、自分では最後まで必死に引いているつもりなのである。
なので、この刹那のところが、悔しいというか微妙というか。
おまけに、殆ど稽古日は休まないのに、コロナのために10日間道場へ行かなかった。
たぶん筋力が落ちて、まともに引けないのではないか。
久々に上る階段。武道館の3階にある弓道場に到着すると、息切れしてしんどかった。
力が入らないので、かえって良かったのか皆中した。
あれっ?骨で引くってこういう感じなのか?
それとも、まぐれなのか?欲がなくて、中てようという小賢しさがないからか。


不思議の中りだったようで、稽古を続けると外れだした。
また、次の日、始めの6射5中した。
だが、やはり最後のところで緩んでいるようだ。
手首に力を入れないことは大事だが、全部抜くことでもない。
妻手がそのまま飛んでいくといいのだが。

先日、「ヒューマニエンス選」で、運動を司る小脳は、失敗を忘れることで上達するのだという。
忘れるから、上達するって・・。
積極的に忘れなければ、高度な技を身に着けることが出来ないのだそうだ。
運動学習は、失敗をしてエラーが出たら、その動きを捨てるのだそうだ。
弓は、毎回その動きを捨てているのか。
固執したり、そうしないように努力したりしていないか。
失敗したら嫌だと思うことが、失敗を導くような、そんな訳の分からないことを考えていないで、弓を引くべき。
「忘却は記憶の強化」というのも気にいった。
この頃は、忘却を許す毎日だ。
都合の良いように理解し自分を許す、この甘さが、生き抜く力となる。
完璧だと、小さなしくじりに心折れるのだ。
きっと、わたしは長生きするタイプだ。






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2 コメント

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矢取り・矢追い (こまくま2)
2024-04-04 12:09:35
「あたるほど こうべをたれる やおいかな」
矢取りの際、矢渡し束中の二本を抜く前には思わず頭を下げてしまいます。
モノではありますが、的と矢の在り様は心を打つものです。
稽古と云えども、第二介添えの心持で。
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ありがとう (まこ)
2024-04-09 14:37:38
こまくまさん
なるほど、こうべをたれる・・・気持ちはわかります。
2本とも外れると、射手はこうべならず肩を落とす・・。
ひたすら修行あるのみですね。
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