まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

弓道ことわざ その3

2010-05-16 | ことわざ 昔話

では、第3弾。
楽しんでもらえたら嬉しいです。
この前の試合で、○谷さんに「久しぶりに、出てましたね」と。
この台詞だけで通じてしまう。
このことわざを初披露したのは、彼が金沢大学へ行っている最中、国体強化で知り合って大学の弓道誌に提供したことがあったっけ。

弓を続けていて一番の楽しみは、人とのつながりかもしれないと思うこの頃。
弓引きに悪い人はいないと、亡き北村会長がおっしゃっていた。
確かに癖のある人は多いが、悪い人はいませんね。

会の充実ご存じない (芋の煮えたもご存じない)
 もっと引いて、身体と弓が一体になって、充満する気を感じ、持満の会というものを感じること。これが出来ないんだよねえ。煮上がるまで箸でちくちく芋をいじくるな。矢が勝手に離れるまで伸びあっていろ。と、言いたいのに。今日も4射3ビクだった。ビクがくると自分が芋になった気分だ。

開(あ)いた矢口は的に立たぬ (開いた口には戸はたたぬ)
 また矢口が開いてしまった。こうなっては縮んだ身体はなかなか元へ戻らない。
的に矢が刺さってはくれないだろうことを分かっていながら、離さなくてはならない寂しさ。

離して天に恥じず (仰いで天に恥じず)
 充実して離した時は、どこへでも行け。自分は充分尽くしたのだと勢いよく離れるものだ。充分伸びあったときは、自信満々天に恥じない充実の離れ。しかし、扇い(あおい)で離れてはいかん。

浅掛けの打沈 (朝駆けの駄賃)
 慌てて弓を引くときには、弦にかける妻手にも集中せず、ただ掛けて急いで引けば矢は沈む。ここで言う浅掛けとは、かけを浅く弦にかけることではなく、気持ちが浅く、慌てて掛けるという意味。

あらよの月(雨夜の月) あまよのつき
 あるにはあっても、現実には見えないもののたとえである。金体白色西半月の月とは射で顕わすとどうなるのか、毎回「あらよっ」と離していては見えないのである。

会なくして縁にあてるな (網なくして淵をのぞくな)
 十分な用意をしなくて成功はおぼつかないというたとえだが、会がなくても、的の縁に喰らい込む勢いのある矢がでることがある。この時、儲けたとか成功したと思ってしまう浅はかな自分がいる。


婦人会 存亡の危機

2010-05-16 | 暮らし
今年は役職の大当たりの年だ。
この当たりぐらい的に的中すればよいのに。

会社の女性部の職場役員になり、町内の婦人会の役員になり
加賀の弓道協会の万年事務局。
体育協会の常任理事、会社の弓道部長
県の女性部や競技部と・・。
単なるボランティアで、ただただ自分の時間をひたすら削るだけのものだ。

いちばん間抜けなのは、職場の組合女性部の委員を選出するときに、あみだくじをした。
名前を書いて一本ずつ線を入れていくのだが、自身で入れた線によって墓穴を掘った。

困っているのは、町内の婦人会だ。
120名ほどいる町内の婦人の中で、現在残っているのは30名で、いちばん若い人が昭和41年代生まれなので、おして知るべしである。
何回も役員をした人ばかり残っていて、次に役員を取ってくれる人はいない。

残る道は、解散のみだ。
前年度の役員と、悩みの引継ぎをした後、勧誘や今後の相談を何回もした。
今年は、この決着をつけなくてはならない。
区長と、三役の方も交えて公民館で話し合いもした。
世の中の流れで、婦人会の運営は難しくなっていることを知る。
果たして、今年わたしたちの努力はどういう展開になるのか。