元々は広島県産業奨励館。正式名称は広島平和記念碑と言う。
チェコの建築家ヤン・レツルの設計で大正4年(1915年)に完成。
「二度と同じような悲劇が起こらないように」との戒めと願いを込め、
ユネスコの負の世界遺産に登録されている。
昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、
建物の前に流れるの元安川の本流・太田川に架かる
相生橋を標的に投下された原子爆弾は目標をそれて、
建物の東150m、上空600mで炸裂した。
建物は3階建で5階までの階段が前面にあった。
当時の広島の人口35万人のうち9万~16万6千人が、
2~4か月のうちに死亡し、市にいた56万人が被爆した。
戦争の爪痕と言えばインドのマニプル州のインパールや、
ナガランド州のコヒマを訪ねた事を思い出すが、
75年以上経過しているため、その風景からは、
戦争があった事すら想像できないのであった。
ただただ・・・犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。