教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

仙谷氏「解散要求、生産的ではない」と批判

2011年02月14日 20時42分01秒 | 国際・政治

『 民主党の仙谷由人代表代行は13日、徳島市で講演し、自民党などが衆院解散・総選挙を求めていることについて、「日本の置かれた状況を考えると、単に『マニフェスト違反だから、解散せよ』で間に合う事態なのか。『首相は辞めろ』『解散だ』ということだけを主張するのは、生産的ではない」と批判した。 社会保障と税の一体改革に関しては、「少々理念から離れたり、現実的に妥協しなければならないとしても、決着をつけて前に進まなければならない時期だ。野党とも十分に話し合いたい」と語った。』2011年2月14日(月)10:50讀賣新聞

『首相は辞めろ』『解散だ』ということだけを主張するのは、生産的ではない」と批判したのは、マルクス経済学の生産と労働の論理か。国会は、物を生産する工場と思っているのでしょうか。マニフェスト違反だから、解散せよで政権公約が法律の規範と言うのなら、忠実に政権公約を見直さずに国民の信頼を裏切ることも無く実行すべきです。生産的で無いと言うのなら額汗して日夜働いている労働者の事を考えるべきです。国家権力を恣意的に行使施政権維持に奔走する元人権派弁護士茂贅沢三昧『1月19日付の日刊ゲンダイに次のような記事が載っていた。 内閣改造後に菅首相がやったことは全閣僚を公邸に集めて勉強会を
開き、これをメディアに流すことだった。 しかし、本当の狙いはその後にあった。 わずか一時間半で勉強会を終え、すぐにホテルオータニ内のすき焼き、しゃぶしゃぶ店「岡半」で仙谷前官房長官の誕生会、慰労会をした、という。 大雪で交通機関がマヒし、センター試験の受験者らが困惑するなかで、一人2万円はする高給店で酒を飲んで大騒ぎする。 その連中の手でスーパーで割引を求める庶民を直撃する消費税増税が強行されるのである。 それを強行する事に政治生命を賭けると国民に喧嘩を売っているのである。 まともな国民なら、ふざけるな、と思わないほうがおかしい。 日刊ゲンダイの一つの記事が全国に流れるならば消費税はたちどころに粉砕されるだろう。菅政権はたちどころに民衆に倒されるだ。ひとつの記事が消費税増税を粉砕することになる。天木直人氏のぶろぐより引用』の現実である。自民党や野党を批判する前に変節した自分自身を自己批判するのが、元全共闘の活動家としてすべきことでは有りませんか。今や学生時代に批判し続けた体制の上に胡坐を掻くプチ・ブル・インテリゲンチャー成れの果て、庶民の生活や労働者の権利を蔑ろにし今度の総選挙では次の無い菅内閣の政権維持しか頭にない元新左翼の閣僚様のお姿です。

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校舎から男女転落?女子学生に刺し傷・死亡

2011年02月14日 19時46分30秒 | 受験・学校
 『14日午後0時10分頃、新潟県長岡市西片貝町の長岡工業高等専門学校敷地内で、同校1年の男子と女子の学生計2人が倒れているのを同校の男性職員が見つけ、110番した。 女子学生は腹部に刺し傷があり、病院に運ばれたが、死亡した。男子学生は意識はあるが、負傷している。 長岡署によると、2人が倒れていたのは、同校4号館裏。4号館は、4階の窓が開いていたといい、同署は2人がこの窓から転落した可能性があるとみて調べている。』読売新聞 2月14日(月)15時57分配信
新聞記事だけでは、本当の爺事実が分かりません。亡くなった女子学生の腹部に刺し傷がありどうも腑に落ちない面も有ります。なぜ2人とも窓から転落したのか、女子学生が亡くなったのですから長岡工業高等専門学校側も独自の調査をする必要が有ると思います。

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「民主」では勝てない 政権低迷…相次ぐ「看板」返上

2011年02月14日 16時41分57秒 | 国際・政治

『 菅直人内閣の相次ぐ失政に、小沢一郎元代表をめぐる党内抗争と、ゴタゴタの尽きない民主党に愛想を尽かし、4月の統一地方選で「民主党」の看板を返上する動きが相次いでいる。「嫌気がさした」。街頭でそう叫ぶ候補も出てきた。共同通信の世論調査では、菅内閣の支持率は危険水域の1割台に突入しており、「求心力」ならぬ「遠心力」ばかりが強まる。(加納宏幸)
 ■政権交代で目的終わる
 民主党を離党しました-。千葉県浦安市議の堤昌也氏(35)は最近までこう記したチラシを市内の駅頭で配っていた。
 堤氏は平成19年に民主党公認で初当選。統一選で再選を目指しているが、国政選挙で市議をこき使う「ハイパー・トップダウン政党」(堤氏)ぶりに嫌気がさして離党した。
 「政権交代で民主党の目的は終わった。解党すべきだった。チラシですか? 民主の看板を掲げていたのだから、市民に離党を報告するのは当たり前」
 宮城県議選に出馬する同県七ケ浜町議の遠藤久和氏(51)は、推薦を返上した一人だ。「一括交付金の自由度は高まらず、一番期待していた地域主権が中途半端。結局、民主党は政権交代だけを目的とする政党だった」と断じる。

 ■首相のおひざ元で

 衆院選の「中選挙区制」時代に菅直人首相のおひざ元だった東京都国立市でも同様の動きが出た。
 「菅さんは自分のポストにしがみついているだけ。有権者は政権交代に期待したのに与謝野(馨経済財政担当相)さんを起用し、人のふんどしで相撲を取っている」
 国立市の生方裕一市議(50)は次の市議選では、みんなの党から立候補する。平成10年の新民主党結党以来のメンバーで伸子首相夫人が応援に入ったこともあるが、衆院選マニフェスト(政権公約)をないがしろにする党の姿勢に我慢がならなかった。
 「やりますと言ったことができないのなら説明すべきだ」と生方氏は言う。

 ■逃げる候補者
 統一選での候補者の民主党離れは深刻だ。同党は44道府県議選で約1300人の擁立目標を掲げたが、党本部が何度督促しても公認、推薦は増えず、現在、計750人にとどまる。
 表面化しただけで10人以上が公認、推薦を返上。「尻込みして出馬要請に応じない人や、ポスターから民主党の文字を外した人もおり、100人規模で民主党から逃げている」(民主党関係者)という。
 民主党の生方幸夫選対委員長代理は「既成政党への不信が全国的に広がっているのは確か。早く来年度予算案を成立させ流れを変えたい」と語るが、きっかけがつかめない状態だ。』産経新聞 2月12日(土)19時7分配信

民主党代表選挙に勝ったのを世論や国民の支持を得たと勘違いし、参議院選挙に敗北したにも関わらず退陣せず菅内閣の参議院の 政権公約や消費税増税への否、ノーと言うことを聞かず、沖縄県知事選挙は民主党の独自候補擁立出来ず北海道の衆議院補欠選挙にも破れ、茨城県議会選挙にも敗れ議席を失い、今度は愛知県知事選挙、名古屋市長の鳥ぶる選挙にも敗北し地方の地域の人達は、都市圏との地域格差や地方経済の疲弊と地盤沈下、消費税増税の高負担増よりも行政改革による減税を望んでいる事実菅直人総理大臣には、総理大臣の椅子に簸たすらしがみ付いているので見えないし、民の苦しみが分からず聞こえ無いと言うことです。、聞く耳を持たないのかも分かりません。地域の人達も民主党の政権公約を見直したり、嘗てに菅内閣で見直され破棄されたのでは都道府県の県会議員も府会議員も市会議員も到底選挙で勝てませんし戦えません。地方分権や地域主権実現はどこ吹く風で反故にし、行政改革や情報公開原則を目指す党是も忘れ゛政権維持だけでは、地方の民主党の地方議員は、民主党から去ります。これから行われる春の統一地方選挙も大敗北、衆議院も解散したら手足となつて働いてくれる地方議員は落選して居らず大敗北で今の自民党と同じ議席数になるのではありませんか。民主党の政権公約を守らず国民を馬鹿にし裏切り騙した国民不在の代償と政治責任の結果です。菅直人総理大臣、枝野内閣官房長官、岡田幹事長、仙谷由人次期代表代行の「4人組主導」で民主党政権を実質的に壊したと言うことです。菅劇場も幕引き近しです。
田中秀征 政権ウォッチ
【第50回】 2010年9月16日
田中秀征 [元経済企画庁長官、福山大学客員教授]
  • 選した菅首相に警告する!
    「代表選勝利」は世論の積極的支持によるものではない
 小沢氏は200人の支持勢力を背景にして強硬に菅首相を追い詰めていくだろう。そして、菅首相がそれを拒めば、政策抗争が権力抗争に発展していく可能性もある。求心力のない菅首相が政権を運営していくことはきわめて難しい。

「首相がコロコロ代わる」のは
民主党と菅首相自身の責任

 今回の菅氏の勝因は、小沢氏の不人気と「首相がコロコロ代わるのは好ましくない」とする世論が味方したこと。これに異存はないだろう。 しかし、民主党議員が「首相がコロコロ代わるのはよくない」を理由にして菅氏を支持するのは実におかしい。自分たちが立派な代表を選ばなかったから代わるのだということに気がつかない。 特に菅首相がこれに言及するのは不見識この上ない。彼は「1年で3人も首相が代わってもいいんですか」と街頭で絶叫していたが、菅首相が立派に政権を運営しているなら「コロコロ代わる」ことにはならない。コロコロ代わるのは、民主党の責任であり、菅首相自身の責任。有権者相手に話すことではないのだ。 心配なのは、党員・サポーター票で圧勝したことで、首相が世論の積極的な支持を受けていると勘違いすること。それより、遠くの人(党員・サポーター)に支持されて、近くの人(国会議員)の信頼が弱いことに深く留意すべきだろう。今の姿が支持されたと錯覚すれば、政権の前途は決して明るいものではない。

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民主・原口氏が維新の会…橋下知事らと連携へ

2011年02月14日 16時04分56秒 | 国際・政治
 民主党の原口一博前総務相(衆院佐賀1区)は13日、佐賀市内で開かれた民主党県連常任幹事会で、地域主権の推進を目的に掲げた政治団体「日本維新の会」と「佐賀維新の会」を結成する考えを明らかにした。 大阪府の橋下徹知事や名古屋市の河村たかし市長らとの連携を目指すという。 佐賀県内の民主党系議員や首長らに参加を呼びかけ、佐賀維新の会を今月中にも結成、その後、自身が代表となって日本維新の会を発足させ、全国的なネットワークづくりを進めるという。 総務相当時、地域主権を推進していた原口氏は、「地域主権を前進させる人はすべて同志。改革を進める力を結集し、幅広く支援できる団体にしたい」と語った。 読売新聞 2月14日(月)12時3分配信最終更新:2月14日(月)12時3分
地方からの政治改革と行政改革が起こり民主党の政権公約は、守られずに地域の人達の期待に応えず地方分権、地域主権は今頬むりされています。規制の概念に捕われない改革の篝火が上がる平成維新の政治改革の夜明けが地方から始まるになると思います。。情熱有る優れた人材と叡智を集め、佐賀県の明治維新に志士佐賀の七賢人 江藤新平に倣って、地域で暮らす人達の生活を守り、地域活性化と地域経済の発展の視点に立った真の日本の政治の夜明けが実現しますように民主党の原口一博前総務相haraguti.com/ )は、
これから頑張って欲しいと思います。民主党を離党し日本維新の会と言う新しい政党が今後@ 生まれる可能性も有りますね。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
江藤新平
江藤新平
生年月日天保5年2月9日
1834年3月18日
出生地肥前国佐賀郡八戸村
没年月日明治7年(1874年4月13日
死没地佐賀
親族江藤新作

初代司法卿
任期明治5年4月25日1872年5月31日) - 明治6年(1873年4月19日

江藤 新平(えとう しんぺい、天保5年2月9日1834年3月18日) - 明治7年(1874年4月13日)は日本の武士佐賀藩士)、政治家である。幼名は恒太郎・又蔵。諱は胤雄、胤風とも、は南白。朝臣としての正式な名のりは平胤雄(たいら の たねお)。維新の十傑の1人。

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生涯

出生

肥前国佐賀郡八戸村(現在の佐賀県佐賀市鍋島町)に佐賀藩士の江藤胤光・浅子の長男として生まれる。江藤家は肥前小城郡晴気保の地頭千葉常胤の末裔を称する。父は「手明鑓」という身分の下級武士であったとされる。嘉永元年(1848年)に藩校の弘道館へ入学し内生(初等中等)課程は成績優秀で学費の一部を官給されたが、父が職務怠慢の咎により郡目付役を解職永蟄居の処分となったため生活は困窮し外生課程に進学せずに弘道館教授で儒学国学者であった枝吉神陽の私塾に学び、神道や尊皇思想に影響される。このころ新平は窮乏生活を強がって、「人智は空腹よりいずる」を口癖にしたという。嘉永3年(1850年)に枝吉神陽が義祭同盟を結成すると、大隈重信副島種臣大木喬任島義勇らとともに参加した。

江戸時代後期の外国船の日本近海への出没やアメリカペリー艦隊やロシアプチャーチン艦隊などが来航して通商を求めるなどの時勢の影響を受け、安政3年(1856年)には意見書である『図海策』を執筆する。安政4年(1857年)に結婚。藩の洋式砲術貿易関係の役職を務める。

志士活動

文久2年(1862年)に脱藩し京都で活動し、長州藩士の桂小五郎(木戸孝允)や公家の姉小路公知らと接触する。2ヶ月ほどで帰郷し通常脱藩は死罪であったが、江藤の見識を高く評価した藩主・鍋島直正の直截裁断により永蟄居(無期謹慎)に罪を軽減されたとされる。蟄居後は寺子屋師匠などを務め、同士との密かな交流や幕府による長州征伐(幕長戦争)での出兵問題では藩主・直正への献言を行うなど政治的活動は続けている。

15代将軍徳川慶喜大政奉還を行って幕府が消滅した慶応3年(1867年)の12月に新平は蟄居を解除され、郡目付として復帰する。薩摩藩長州藩は公家の岩倉具視と結び明治元年(1868年)の王政復古の大号令を行い、新政府が誕生すると佐賀藩も参加し新平は副島種臣とともに京都に派遣される。

戊辰戦争で江藤は東征大総督府軍監に任命され、土佐藩士の小笠原唯八とともに江戸へ偵察に向かう。薩摩藩の西郷隆盛と幕臣の勝海舟の会談で江戸城の無血開城が決定するや、江藤は城内の文書類を接収する。さらに京都へ戻り、大木喬任と連名で岩倉具視に対して江戸を東京と改称すべきこと(東京奠都)を献言する。旧幕臣らを中心とする彰義隊が活動していた問題では大村益次郎らとともに討伐を主張し、軍監として上野戦争で戦い彰義隊勢を上野寛永寺周辺に追い詰め、さらに佐賀藩のアームストロング砲を遠方射撃する戦術などにより彰義隊は瓦解する。明治2年(1869年)には、維新の功により賞典禄100石を賜っている。

明治新政府の官吏として

戊辰戦争が一段落した後、新政府が設置した江戸鎮台においては長官の下の6人の判事の1人として会計局判事に任命され、民政や会計、財政、都市問題などを担当する。7月には江藤の献言が通って明治天皇が行幸して、江戸は東京と改称される。明治3年(1870年)1月には佐賀に帰郷して着座(準家老)に就任して藩政改革を行うが後に中央に呼び戻され、同年11月に太政官中弁となる。12月、虎ノ門で佐賀藩の卒族に襲撃されて負傷する。明治4年(1871年)2月には制度取調専務として国家機構の整備に従事し、大納言・岩倉具視に対して30項目の答申書を提出する。近代的な集権国家と四民平等を説き、国法会議や民法会議を主催して箕作麟祥らとともに民法典編纂に取り組む。

文部大輔、左院副議長、司法省が設置されると明治5年(1872年)には司法卿、参議と数々の役職を歴任。その間に学制の基礎固め・四民平等警察制度整備など近代化政策を推進。特に司法制度の整備(司法職務制定・裁判所建設・民法編纂・国法編纂など)に功績を残す。政府内における急進的な民権論者であり「牛馬ニ物ノ返弁ヲ求ムルノ理ナシ」として牛馬解放令とも呼ばれた司法省達第二十二号(娼妓解放令)、民衆に行政訴訟を認めた司法省達第四十六号などが知られる。また官吏の汚職に厳しく新政府で大きな力を持っていた長州閥山縣有朋が関わったとされる山城屋事件井上馨が関わったとされる尾去沢銅山事件らを激しく追及、予算を巡る対立も絡み2人を一時的に辞職に追い込んだ。

だが、その一方で欧米的な三権分立の導入を進める江藤に対して行政権=司法権と考える伝統的な政治的価値観を持つ政府内の保守派からは激しく非難された。また急速な裁判所網の整備に財政的な負担が追いつかず、大蔵省との確執を招いた。

下野から佐賀の乱まで

明治6年(1873年)には朝鮮出兵を巡る征韓論問題から発展した政変で西郷隆盛・板垣退助後藤象二郎・副島種臣と共に10月24日に下野。明治7年(1874年1月10日に愛国公党を結成し12日民撰議院設立建白書に署名。

帰郷することは大久保利通の術策に嵌るものであることを看破した大隈・板垣・後藤らの慰留の説得にもかかわらず翌13日に離京。すぐには佐賀へ入らず2月2日、長崎の深堀に着き様子を見る。大久保は江藤の離京の知らせを知った13日には佐賀討伐のための総帥として宮中に参内し、2月5日佐賀に対する追討令を受けている。もちろんこの時点では佐賀側では蜂起の決起さえ、いやそれどころか江藤は佐賀に入国さえしていなかったことに留意する必要がある。2月10日、佐賀へ向い11日、憂国党の島義勇と会談を行い12日、佐賀征韓党首領として擁立された。そして、政治的主張の全く異なるこの征韓党と憂国党が共同して反乱を計画する。

2月16日夜、憂国党が武装蜂起し士族反乱である佐賀の乱が勃発する。佐賀軍は県庁として使用されていた佐賀城に駐留する岩村通俊の率いる熊本鎮台部隊半大隊を攻撃、その約半数に損害を与えて遁走させた。

しかし、やがて大久保利通の直卒する東京、大阪の鎮台部隊が陸続と九州に到着した。佐賀軍は福岡との県境へ前進して、これら新手の政府軍部隊を迎え撃った。政府軍は、朝日山方面へ野津鎮雄少将の部隊を、三瀬峠付近へは山田顕義少将の部隊を前進させた。朝日山方面は激戦の末政府軍に突破されるが、三瀬峠方面では終始佐賀軍が優勢に戦いを進めた。また朝日山を突破した政府軍も佐賀県東部の中原付近で再び佐賀軍の激しい抵抗にあい、壊滅寸前まで追い込まれている。しかし、政府軍は司令官の野津鎮雄自らが先頭に立って士卒を大いに励まし戦い辛うじて勝利する。この後も田手、境原で激戦が展開されるが政府軍の強力な火力の前に佐賀軍は敗走する。

江藤は征韓党を解散して脱出し、3月1日鹿児島鰻温泉福村市左衛門方に湯治中の西郷隆盛に会い、薩摩士族の旗揚げを請うが断られた。続いて3月25日高知の林有造片岡健吉のもとを訪ね武装蜂起を説くがいずれも容れられなかった。このため、岩倉具視への直接意見陳述を企図して上京を試みる。しかしその途上、現在の高知県安芸郡東洋町甲浦付近で捕縛され佐賀へ送還される。手配写真が出回っていたために速やかに捕らえられたものだが、この写真手配制度は江藤自身が明治5年(1872年)に確立したもので制定者本人が被適用者第1号となった。4月8日、江藤は急設された佐賀裁判所で司法省時代の部下であった河野敏鎌によって裁かれ、4月13日に除族の上梟首の刑を申し渡された[1]。その日の夕方、嘉瀬刑場において処刑された。判決を受けたとき「裁判長、私は」と言って反論しようとして立ち上がろうとしたが、止めようとした刑吏に縄を引かれたため転んだ。この姿に対して、気が動転し腰を抜かした、と悪意ある解釈を受けた。刑場では、落ち着いて山中一郎や香月経五郎らに微笑して挨拶したといわれている。処刑直前、「唯皇天后土のわが心知るあるのみ」と三度叫んだといわれている。その後、江藤の首は嘉瀬川から4km離れた千人塚で梟首された[2]

辞世は「ますらおの 涙を袖にしぼりつつ 迷う心はただ君がため」。明治22年(1889年)、大日本帝国憲法発布に伴う大赦令公布により賊名を解かれる。大正5年(1916年)4月11日、贈正四位。墓所は佐賀県佐賀市本行寺墓碑銘書家としても知られる副島種臣が手がけた。同市の神野公園には銅像もある。

家族

逸話

  • 江藤は藩校の弘道館に入学した頃、髪の毛はぼさぼさでぼろぼろの服を着ていた。女中がひやかそうとすると高い声で書物を読み上げ、驚かせたという。
  • 明治政府に仕えていた頃、40人ほどの書生の面倒を見ていたといわれ、そのため、死後借金が残った。
  • 江藤が出した意見書は非常に画期的で民主的である。その代表として「国の富強の元は国民の安堵にあり」という意見書の一文がある。他方、外交については積極的な対外進出を主張しており、明治4年(1871年)3月に岩倉具視に提出した意見書には清をロシアとともに攻めて占領し、機会を見つけてロシアを駆逐し、都をそこに移すといった内容のことが書かれている。
  • 江藤が処刑された後、佐賀では「江藤新平さんの墓に参拝すると百災ことごとく去る。」といわれ、参拝客が多かった。そのため、県庁が柵を設けて参拝を禁止した。なので、夜間に参拝する者がいたという。
  • 新平の弟・源作は、佐賀の乱の一報を聞くと兄を救い出すため佐賀に向かったが、諫早で捕縛された。釈放された後は、新平の子、新作や母親の面倒を見ていたが、新作を連れ上京した際、兄の仇を一目見ようと登庁する大久保を待ち伏せした。年も3歳しか変わらず、顔立ちの良く似た源作を見た大久保はひどく驚き、それ以来遠回りである紀尾井坂に道筋を変えた。このことが後の紀尾井坂の変につながったとする説がある。

資料・関連文献

  • 『江藤家資料』
  • 『南白遺稿』
伝記研究
小説
ドラマ

脚注

  1. ^ 礼遇の慣習により武士に対しては梟首にすることは出来なかったため、まず士族の地位を剥奪する必要があった。
  2. ^ 大久保利通は日記(4月13日付)において、江藤について「江藤、醜態、笑止なり」と記している。

関連項目

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児童・生徒925人食中毒か…北海道岩見沢市

2011年02月14日 14時43分14秒 | 受験・学校
 『北海道岩見沢市教育委員会は14日、市内の7小学校と2中学校で児童、生徒計925人が腹痛などを訴え、欠席したと発表した。うち7人が入院した。 いずれも同市立学校給食共同調理所で調理された給食を食べていたことから、給食を原因とする集団食中毒の可能性があるとみて調べている。 同市教委は14日の授業を午前中で切り上げ、9校については18日まで学校閉鎖にし、そのほかの小中学校では弁当を持参するなどの措置を講じた。同市教委によると、11日から下痢や嘔吐(おうと)、発熱を訴えて医療機関を受診する児童が相次いだという。10日の給食はジャガイモのみそ汁、大根のそぼろ煮、小松菜のサラダなどだった。 同市では小、中学校の給食を同調理所で調理して配食するシステム。同調理所では2種類のメニューを調理しているが、片方のメニューが配られた学校で症状が相次いでいるという。 入院した7人は病院で点滴を受けているが、命に別条はないという。
 9校の全児童、生徒のうち約3分の1が欠席する事態になり、市教委は「安全安心な給食を提供しなければならないのに、このような事態になり誠に申し訳ない。原因究明に努めたい」としている。』 読売新聞 2月14日(月)12時13分配信
北海道岩見沢市教育委員会は、2月14日に、岩見沢市内の7小学校と2中学校で児童、生徒計925人が腹痛などを訴え、欠席したと発表した。うち7人が入院したのは数が多過ぎます。何による食中毒なのか特定する為に医学的に早急に究明すべきです。寒い2月の食中毒の季節ではなくて、室内の暖房の良く聞いた北海道では、調理場の温度も問題になり食中毒が起こるのかも分かりません。925人と入院7人の生徒の乃皆阪の一日もお早い御回復心からお祈り申し上げます。

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高橋洋一の民主党ウォッチ いよいよ民主党の内乱起こりそう 菅・与謝野の「詭弁」に反発

2011年02月14日 11時45分01秒 | 国際・政治

『高橋洋一氏の民主党ウォッチ いよいよ民主党の内乱起こりそう 菅・与謝野
.http:// headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110210-00000002-jct-soci 2011/2/10 17:01より引用

        国会がはじまったが、菅政権はまともに答弁できていない。特に与謝野馨氏が経済財政担当相として入閣して、与謝野大臣に菅総理が引きずられている。また与謝野大臣のこれまでの言動からの変節も目立っている。このままでは、国会で持たないばかりか、身内の民主党内から菅降ろしがはじまるだろう。

         ポイントは増税の扱いだ。政権交代を成し遂げたマニフェスト2009では、増税の気配もない。「税金のムダづかいを徹底的になくし、国民生活の立て直しに使う」とか「税金のムダづかいと天下りを根絶します」とか主張していたが、結局実行しておらず、今から考えるとまったく詐欺のような言葉が何度も出てくる。

      「増税はしない」が法案成立はさせる

         菅政権になって、惨敗した昨10年の参議院選挙の際のマニフェストでは「消費税を含む税制の抜本改革に関する協議を超党派で開始します」となっている。しかし、こうした趣旨の首相発言で参議院選挙は負けたようなものだ。

         菅総理はますます増税に前のめりになっている。11年2月2日、衆議院予算委員会で、江田憲司議員(みんなの党)の質問に対して、菅総理は「基本的には2013年8月までは消費税の増税はしない」と答弁した。ひょっとしたら増税は後退かなと思わせた。

         ところが、与謝野大臣は11年2月5日の会議後会見で「11年度に法案成立させることが内閣の義務だ」と発言した。

         すると、与謝野大臣に引きずられて、菅総理は、2月9日の党首討論で、谷垣禎一自民党総裁に対して、消費税率引き上げを含む税制の抜本改革について「2011年度末までに何らかの法的対応をしないといけない」と述べ、12年3月末までに法案提出を目指す考えを表明した。「増税は後退かな」と思わせた2月2日の江田議員に対する答弁から一転、増税へ向けさらに進んだ。

         与謝野大臣は、09年度の税制改正法付則104条に、「遅滞なく、かつ、抜本的に消費税を含む税の抜本的改革を段階的に行うため、11年度までに必要な法制上の措置を講ずる」と書かれていることを強調している。

         しかし、よく法律を読んでみよう。その付則には「平成二十年度を含む三年以内の景気回復に向けた集中的な取組により経済状況を好転させることを前提として」と書かれている。「平成二十年度を含む三年以内」とは、2008年4月から11年3月までだ。この間にまともに景気回復の取り組みはなされておらず、デフレから脱却できず、経済状況も好転しているとはいえない。ということは、付則の前提条件が崩れている。

         こうした常識にも関わらず、菅総理の言い分は、12年3月までに増税法案を出すが、13年8月までに実際の増税はしないという、いかにも草冠がとれた「菅」総理らしい「官」僚詭弁である。

      2月中に民主党の危機が訪れる?

         普通の人の感覚は、民主党は4年間増税しないといったのだから、その間は増税法案も出さないと思うだろう。小泉総理も「任期中は増税しない」といって、その通り増税法案の用意もしなかった。小泉総理は、増税の前にやることがあるといって、国の資産売却や歳出カット、埋蔵金発掘をどんどんやって、「国民からもうやめてください。増税してください」とお願いがきたらやればいいし、それまではやらないといっていた。

         それにしても、菅総理は変節の激しい与謝野大臣について行って大丈夫だろうか。与謝野大臣は、2月7日の衆議院予算委員会で、竹内譲衆議院議員(公明党)に対し「子育て世代のほとんどの方はぎりぎりのところで生活されているので、生活にあてられるということが容易に想像できる」と子ども手当が消費に回るとして経済効果があると答えた。

         ところが、与謝野氏の自著「民主党が日本経済を破壊する」の56ページに、「公共事業などを抑制する代わりに子ども手当てなどを手厚く支給する『直接給付』でとたんに家計の懐が暖かくなり、個人消費が急増して景気がよくなるような説明を(民主党は)している。冗談ではない。『子ども手当』と名前をつけてお金を配っても、親がこどものための消費に回す保証などどこにもない」と書かれている。随分と変節するものだ。

         民主党は、マニフェストを改悪し、増税へと突き進んでいる。党内からも待ったが出そうだ。デフレ脱却に向けて日銀法の改正を目指す民主党の「日本銀行のあり方を考える議員連盟(仮称)」(代表発起人・川上義博参院議員ら)が近く発足する予定だ。メンバーのひとりは「今のデフレで財政再建だと言って、税収を上げようというやつは国賊だ」と与謝野大臣を批判。執行部に批判的な鳩山由紀夫前首相も参加を予定している。

        河村・大村コンビが減税を掲げて勝利した愛知のトリプル選挙の影響も大きい。いよいよ民主党の内乱が起こりそうだ。これでは予算成立も危うい。2月中にも民主党の危機が訪れるかもしれない。』

      ※高橋洋一氏の御指摘通、菅内閣も逃菅の終焉の時が来たのではないでしょうか。菅直人総理大臣が、国民の期待を担って出来た民主党政権を自ら崩壊に導いた政治的責任は重いと思います。菅直人総理大臣も与謝野馨経済財政担相同様、君死に賜う無かれで政治生命も共に失うように思います。良識有る国民を裏切ったと言えます。

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      小沢一郎氏には対米関係に関する発言の慎重さをお願いしたい new!!

      2011年02月14日 11時22分42秒 | 国際・政治
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      2011年02月14日

      小沢一郎氏には対米関係に関する発言の慎重さをお願いしたい

        

       小沢一郎氏が2月11日、東京都内で開かれた私塾の集まりでしゃべった
      という。

       「いくら米国が軍隊を何万、何十万投入しようが、アフガンでは戦争に
      勝てないし、民衆を治めることはできない」、と。

       これをルース駐日大使と面会した時主張したという。

       小沢氏の言っている事は正しい。

       しかし、それを、オバマ政権に直接言ってはいけない。

       オバマ政権と米国は今アフガン戦争を必死で闘っている。

       勝てない闘いに気づきながら、それでも米国の覇権と意地をかけて
      闘っている。

       それを正面から批判することは今の小沢氏にとって決して得策ではない。

       政権を手にしないうちにそれを言ってはいけない。

       小沢一郎が置かれている政治状況が山場に差し掛かっている今、それを
      言ってはいけない。

       何よりもこのような発言を得意げになって公言してはいけないのだ・・・

       この続きは今日の「天木直人のメールマガジン」で書いています。

       「天木直人のメールマガジン」はあらゆる政党、政治家から自立し、
      反権力、対米従属からの脱却、平和外交、弱者の視点からメディアが報じる
      裏にある真実を追求して毎日配信しています。

       そのほかにも次のテーマで書いています。

       1.中国は反イスラムで米国と通じている
       2.あえて徴兵制を歓迎する
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