高千穂観光神楽
高千穂町高千穂神社境内 神楽保存館にて撮影
高千穂神社境内 神楽保存館の場所: 宮崎県 西臼杵郡高千穂町
大字三田井 MapionMap GPS N=32.42.12 /E=131.18.16 辺り
高千穂観光神楽は高千穂町高千穂神社境内にある、
神楽保存館で毎夜20:00より無休でとり行われております。
(神楽保存館の外観写真)
道路事情が悪く、なかなか見られなかった集落の夜神楽を観光客
に楽しんでもらおうと、観光神楽が始まったのは昭和47年10月1日。 神楽は通常33番ある高千穂の夜神楽の中から、代表的な日向神話、天岩戸開きにまつわる 手力雄(タヂカラオ)の舞、鈿女(ウズメ)の舞、
戸取(とどり)の舞の3番と、イザナギノミコトとイザナミノミコトが
酒作りをユーモラスに演じる御神躰の舞、以上4番をダイジェスト
(一番一番も短時間にまとめています)で舞うもので、あくまで
「観光客」を主眼に置いた、高千穂観光協会主催の神楽です。
実際の高千穂の夜神楽は、夜を徹して33番を舞いあげますが、この観光神楽は、高千穂の夜神楽にふれる入門編とでも申しましょうか・・。 とは言え、本物の奉仕者(ほしゃ)どんの舞いと、おなかに響く太鼓の音と笛の音、臨場感もたっぷりです。 町内15地区の保存会が輪番制で行なっているようです。 解説等もあり、高千穂神楽の雰囲気を知るにはとても良く、私も高千穂に行くなら絶対見ておくべき!と、皆様に強くおすすめしております。 予約等は不要、拝観料は大人の場合500円(平成23年10月現在)、
十分その価値あります。年間5万人超が鑑賞。 混雑期は、早めに行くことをお勧めします。 開演時間近くになるとホテル/旅館のマイクロバス等が続々来て、
観客は一気に増えます。 できるだけ前、中央あたりに席を確保して見ましょう。 駐車場の位置は左図を参考にしてください。駐車場から神楽保存館
までは歩いて1分程度でしょうか。夜は、駐車場から
神楽保存館までは松明風のトーチが燃えておりますので、
道はわかると思います。
[ 高千穂神社]以下に説明と舞われる4番の神楽の写真を掲載します。 もっと詳しく見たい方は記載したリンク先の詳細ページもあわせて
ご覧ください。 日により奉仕者(ホシャ)どん、素襖(すおう)、(面様も代わる場合が
あります)も変わり、舞も地区により微妙に違います。
神楽が始まるまえの高千穂の夜神楽の
説明
「 お待たせいたしました。ただいまより、高千穂の夜神楽を
ご覧に入れます。 このお神楽の起源は、いつごろかと申しますと、はっきりした
文献では正和二年、西暦1313年といいますから、今からおよそ
700年の昔に、この高千穂で神楽が行われていたことを示すものが
残されております。 さらに古くは、神亀五年、西暦728年に書かれた神話にも、
高千穂宮藤岡というところに、不思議な音楽を奏でる美しい
女性がいたというような記述がございます。 とにかく歴史の古いことは確かですが、ただいまのように
夜神楽三十三番として演じられるようになりましたのは、
江戸期からではないかと考えられております。
高千穂の人間は生まれながらに、神さまたちとお付き合いをしながら、毎日の暮らしを営んでいるのでございます。 いや、わたくしどもばかりでなく、みなさんもこの高千穂においでに
なりましたなら、古い神話の中に出てくる神々に出会うことが
できるのでございます。 こんなことを申し上げますと、あの男は頭がおかしいのではないか
と思われるかもしれませんが、少なくとも高千穂の者たちは、
ほんとうにそう信じて、この土地に生きつづけてきたのでございます。 そうして、高千穂の里人が太古の神々と年に一度の出会いを楽し
む、待ち遠しい祭りこそがこの、夜神楽なのでございます。 現在の夜神楽は旧暦の12月3日に行われまして、二日一晩を
ついやして三十三番を舞い続けます。 (平成23年現在、毎年11月下旬から翌年2月上旬にかけて、
高千穂町内20の集落で奉納されております。) 猿田彦の彦舞からフィナーレの雲下ろしにいたる三十三の舞いには、
それぞれ大切な意味がございますが、本日はわずか一時間
ばかりでご覧いただくために、その内より四番を選ほんのさわりを
ご覧いただくわけでございます。 まずはじめに、天岩戸神事にちなむ三つの舞い 手力雄(タヂカラオ)、鈿女(ウズメ)、戸取(とどり) を続けて演じます。
天岩戸神事につきましては、たいへんポピュラーなお話で
ございますので、ご存じの方も多いかとは思いますが、
本日はお若い方もたくさんお見えのようでもございます、
かんたんに物語のあらすじをご説明させていただきます。
このお話は、神様がたがこの高千穂にお降りになる前、
天の上の高天原でのできごとでございます。 その頃、神様の中でもいちばん偉い神様は天照大神さまで、
この方は女の神様ですが、弟神がスサノオノミコトと申され、
この方は後にヤマタノオロチを退治するほどの、たいへん武勇
に秀でたお力である反面、なかなかの乱暴者でありまして、
日頃から姉神の天照大神さまを悩ませておられました。 いまで申しますと、家庭内暴力ということになりましょうか、
とにかく相当な乱暴ぶりだったようで、最後には、天照大神さまが
若い娘さんたちと一緒に機(はた)を織っておられるところに、
生き馬の皮を剥Iがして放り込むという、すさまじいことをいたしまし、
さすがに我慢がならなくなった天照大神さまは、お怒りのあまり、
天岩屋という洞窟にお隠くれになったのでございます。 天照大神さまと申しますのは、日の神様、つまり太陽のことですから、真っ暗闇になってしまいました。 そこで、高天原の神々が会議を開いて、まずスサノオノミコトを
地上界へ追放してしまいました。 そうして、天岩屋の前でウズメノミコトが、いまで申しますところの
ストリップのような陽気な踊りを舞い、大勢で賑やかにはやし立てる
やら、長鳴き鶏が啼くやらの大騒ぎを演じたのでございます。 この騒ぎをお聞きになって、天照大神さまは、天岩戸を少し開けて
外の様子を覗き、いったい何事かと尋ねました。 そのとたん、待っていた力自慢のタヂカラオノミコトが、天岩戸を引き
開け、天照大神さまをお迎えすることができたというわけで、これが
天岩戸神事の概略でございます。
ご覧いただけばお分かりになるとおり、この夜神楽は里人の家で、
里人たちによって演じられるものでありますから、まことに素朴
なものでございます。日本の神々というのは、かように土の
においを感じさせる、親しみやすいものであることをお分かり
いただければ幸いでございます。」
上記文章は 内田康夫著 推理小説 「高千穂伝説殺人事件」
より引用したものです。 小説の中で主人公がこの神楽を見た時の神楽の様子を書かれた
部分ですが、現在でも文言の大枠は変わっていないと思いました
ので、参考に引用記載させていただきました。 上記、小説のテレビ化の話題を書いた当サイト内関連ブログ記事
→ 高千穂伝説殺人事件・歌わない笛
手力雄(タヂカラオ)の舞
天照大神が天の岩戸にお隠れになったので、力の強い手力雄命が
天の岩戸を探し出す為に静かに音を聞いたり、考えたりする様子を表現。
→手力雄の舞 1024Pix拡大画像ページ
鈿女(ウズメ)の舞
天の岩戸の所在がはっきりしたので、岩戸の前で面白おかしく舞い、
天照大神を岩屋より誘い出そうする舞。 →鈿女(ウズメ)の舞 1024Pix拡大画像ページ
戸取(とどり)の舞
天の岩屋も岩戸の戸も所在がはっきりしたので、手力雄命が
岩戸を取り除いて天照大神を迎え出す舞で勇壮で力強く舞う舞。 → 戸取の舞 1024Pix拡大画像ページ
御神躰の舞
一名国生みの舞。イザナギ、イザナミの二神が酒を作って
お互いに仲良く飲んで抱擁し合い、極めて夫婦円満を象徴している
舞です。見物人の中にも入って来る。御神躰の舞
1024Pix拡大画像ページ
観客のカメラが一斉に観客席に下りた神さまに向きますので、
写りたくない、お忍び旅行の方は、ご注意ください。
時々あわてる方をお見かけしますもので・・一応 情報として・・・。
上記の観光向け神楽、各神楽4番説明は当日
いただいた
高千穂町観光協会発行の資料等を参考にしました。 英文・ハングル文に関しては、道の駅高千穂の
高千穂観光案内所
にて頂いた資料を参考に記載・転載しました。
高千穂観光神楽は*年間4万人を集める高千穂町 観光目玉の
一つです (*4万人は5年程前のデーターです、おそらく近年高千穂を訪れる
方も増加し、現在はかなり増えていると思います。) GW・お盆休み等の観光シーズン混雑時期ピークには二回の公演、
20時~・21時~と二回(入れ替え制)行なわれることもありますので、
この時期行かれる方は高千穂町のサイト等で事前にチェックされる
ことをおすすめします。
神楽保存館 神楽保存館高千穂神社につくられたのは昭和47年4月15日のこと
である。 起工式は前年の1O月21日坂本来町長や飯干敬太郎同神社総代
をはじめ地元関係者約三十人が出席して開かれた。 高千穂神楽が国の重要無形民俗文化財に指定されながら、
中心部の神楽殿が古くなっていたため、観光協会が改築すること
にしたのである。 伝統ある高千穂神楽を正しく後世に伝えるための後継者育成と研修、
さらに一般公開の観覧のために総工費七百九十万円をかけて
木造神明造り約二百平方メートルの神楽保存館が完成した。 この建設には町負担以外に旭化成、同神社などから多額の浄財
が寄せられた。 そしてなによりも、高千穂の観光に大きく寄与しているのは、
昭和47年10月1日から神楽保存館で毎晩1時間の夜神楽が
年中公開されるようになったことである。 この年、国鉄高千穂線が開通し秘境ブームもあって前年より十万人も上同る七十万人の観光客が訪れ年々増大の傾向にあった。 宿泊客に「夜の観光」を楽しんでもらうことと、シーズンオフの
解消をめざして夜神楽の年中公演が始められた。 当時の料金は一人百円。学生団体に限り六十円。
神楽の団体貸切は五千円であった。
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