凡(およそ)信義を守ること常の道にはあれとわきて軍人は信義なくては一日も隊伍の中に交りてあらんこと難かるへし信とは己か言を践行(ふみおこな)ひ義とは己か分を尽すをいふなりされは信義を尽さむと思はは始より其事の成し得へきか得へからさるかを審(つまびらか)に思考すへし朧気(おぼろげ)なる事を仮初(かりそめ)に諾(うべな)ひてよしなき関係を結ひ後に至りて信義を立てんとすれは進退谷(きはま)りて身の措き所に苦むことあり悔ゆとも其詮なし
始に能々(よくよく)事の順逆を弁へ理非を考へ其言は所詮践(ふ)むへからすと知り其義はとても守るへからすと悟りなは速(すみやか)に止るこそよけれ古より或は小節(せうせつ)の信義を立てんとて大綱の順逆を誤り或は公道の理非に踏迷ひて私情の信義を守りあたら英雄豪傑ともか禍(わざはひ)に遭ひ身を滅し屍の上の汚名を後世まで遺せること其例(そのためし)尠(すくな)からぬものを深く警(いまし)めてやはあるへき
昔神武天皇躬(み)つから大伴物部の兵(つはもの)ともを率ゐ中国(なかつくに)のまつろはぬものともを討ち平け高御座(たかみくら)に即(つ)かせられて天下(あめのした)しろしめし給ひしより二千五百有余年を経ぬ
此間世の様の移り換るに随ひて兵制の沿革も亦(また)屡(しばしば)なりき
古(いにしへ)は天皇躬(み)つから軍隊を率ゐ給ふ御制(おんおきて)にて時ありては皇后皇太子の代はらせ給ふこともありつれと大凡(おほよそ)兵権を臣下に委ね給ふことはなかりき
中世(なかつよ)に至りて文武の制度皆唐国風(からくにぶり)に傚(なら)はせ給ひ六衛府(えふ)を置き左右馬寮(さうめりゃう)を建て防人なと設けられしかは兵制は整ひたれとも打続ける昌平に狃(な)れて朝廷の政務も漸く文弱に流れけれは兵農おのつから二に分れ古の徴兵はいつとなく壮兵の姿に変り遂に武士となり兵馬の権は一向(ひたすら)に其武士ともの棟梁たる者に帰し世の乱と共に政治の大権も亦其手に落ち凡(およそ)七百年の間武家の政治とはなりぬ
世の様の移り換りて斯(かく)なれるは人力(ひとのちから)もて挽回(ひきかへ)すへきにあらすとはいひなから且は我国体に戻り且は我祖宗の御制に背き奉り浅間(あさま)しき次第なりき降(くだ)りて弘化嘉永の頃より徳川の幕府其政(まつりごと)衰へ剰(あまつさへ)外国(ぐわいこく)の事とも起りて其侮(あなどり)をも受けぬへき勢(いきほひ)に迫りけれは朕か皇祖(おほぢのみこと)仁孝天皇皇考(ちちのみこと)孝明天皇いたく宸襟(しんきん)を悩し給ひしこそ忝(かたじけな)くも又惶(かしこ)けれ
然るに朕幼くして天津日嗣(あまつひつぎ)を受けし初(はじめ)征夷大将軍其政権を返上し大名小名其版籍を奉還し年を経すして海内一統の世となり古の制度に復(ふく)しぬ是文武の忠臣良弼(りゃうひつ)ありて朕を輔翼(ほよく)せる功績(いさを)なり
歴世祖宗の専(もはら)蒼生(さうせい)を憐み給ひし御遺沢(ごゆゐたく)なりといへとも併(しかしながら)我臣民の其心に順逆の理を弁(わきま)へ大義の重きを知れるか故にこそあれ
されは此時に於て兵制を更(あらた)め我国の光を耀(かがやか)さんと思ひ此の十五年か程に陸海軍の制をは今の様に建定(たてさだ)めぬ夫(それ)兵馬の大権は朕か統(す)ふる所なれは其司々(つかさつかさ)をこそ臣下には任すなれ其大綱は朕親(みづから)之を攬(と)り肯(あへ)て臣下に委(ゆだ)ぬへきものにあらす子々孫々に至るまて篤く斯(この)旨を伝へ天子は文武の大権を掌握するの義を存して再(ふたたび)中世以降の如き失体(しったい)なからんことを望むなり
朕は汝等軍人の大元帥なるそされは朕は汝等を股肱(ここう)と頼み汝等は朕を頭首と仰(あふぎ)きてそ其親(したしみ)は特(こと)に深かるへき朕か国家を保護して上天の恵に応し祖宗の恩に報いまゐらする事を得るも得さるも汝等軍人か其職を尽すと尽ささるとに由るそかし
我国の稜威(みゐつ)振(ふる)はさることあらは汝等能く朕と其憂(うれひ)を共にせよ我武(ぶ)維(これ)揚(あが)りて其栄(えい)を耀(かがやか)さは朕汝等と其誉(ほまれ)を偕(とも)にすへし汝等皆其職を守り朕と一心になりて力を国家の保護に尽さは我国の蒼生は永く太平の福(さいはひ)を受け我国の威烈(ゐれつ)は大(おほい)に世界の光華(くわうくわ)ともなりぬへし
朕斯(かく)も深く汝等軍人に望むなれは猶(なほ)訓諭(をしへさと)すへき事こそあれいてや之を左(さ)に述へむ
一 軍人は忠節を尽すを本分とすへし凡(およそ)生を我国に禀(う)くるもの誰かは国に報ゆるの心なかるへき況(ま)して軍人たらん者は此心の固からては物の用に立ち得へしとも思はれす軍人にして報国の心堅固ならさるは如何程(いかほど)技芸に熟し学術に長するも猶(なほ)偶人にひとしかるへし其隊伍も整ひ節制も正しくとも忠節を存せさる軍隊は事に臨みて烏合(うがふ)の衆に同かるへし
抑(そもそも)国家を保護し国権を維持するは兵力に在れは兵力の消長は是(これ)国運の盛衰なることを弁(わきま)へ世論に惑はす政治に拘(かかは)らす只々一途に己か本分の忠節を守り義は山岳よりも重く死は鴻毛(こうもう)よりも軽しと覚悟せよ其(その)操(みさを)を破りて不覚を取り汚名を受くるなかれ
一 軍人は礼儀を正くすへし
凡(およそ)軍人には上(かみ)元帥より下(しも)一卒に至るまで其間に官職の階級ありて統属(とうぞく)するのみならす同列同級とても停年に新旧あれは新任の者は旧任のものに服従すへきものそ下級のものは上官の命を承ること実は直(ただち)に朕か命を承る義なりと心得よ己か隷属する所にあらすとも上級の者は勿論停年の己より旧きものに対しては総(す)へて敬礼を尽すへし
又上級の者は下級のものに向ひ聊(いささか)も軽侮驕慢(けいぶけうがう)の振舞あるへからす公務の為に威厳を主とする時は格別なれとも其外は務めて懇(ねんごろ)に取扱ひ慈愛を専一と心掛け上下(しゃうか)一致して王事に勤労せよ
若(もし)軍人たるものにして礼儀を紊(みだ)り上を敬はす下を恵ますして一致の和諧(くわかい)を失ひたらんには啻(たゞ)に軍隊の蠧毒(とどく)たるのみかは国家の為にもゆるし難き罪人なるへし
一 軍人は武勇を尚(たふと)ふへし
夫(その)武勇は我国にては古よりいとも貴へる所なれは我国の臣民たらんもの武勇なくては叶ふまし況(ま)して軍人は戦に臨み敵に当るの職なれは片時も武勇を忘れてよかるへきかさはあれ武勇には大勇あり小勇ありて同からす血気にはやり粗暴の振舞なとせんは武勇とは謂ひ難し
軍人たらむものは常に能く義理を弁(わきま)へ能く胆力を練り思慮を殫(つく)して事を謀るへし小敵たりとも侮らす大敵たりとも懼(おそ)れす己が武職を尽さむこそ誠の大勇にはあらされは武勇を尚ふものは常々人に接(まじは)るには温和を第一とし諸人の愛敬(あいけい)を得むと心掛けよ
由(よし)なき勇を好みて猛威を振ひたらは果(はて)は世人も忌嫌(いみきら)ひて犲狼(さいらう)の如く思ひなむ心すへきことにこそ
一 軍人は信義を重んすへし
凡(およそ)信義を守ること常の道にはあれとわきて軍人は信義なくては一日も隊伍の中に交りてあらんこと難かるへし信とは己か言を践行(ふみおこな)ひ義とは己か分を尽すをいふなりされは信義を尽さむと思はは始より其事の成し得へきか得へからさるかを審(つまびらか)に思考すへし朧気(おぼろげ)なる事を仮初(かりそめ)に諾(うべな)ひてよしなき関係を結ひ後に至りて信義を立てんとすれは進退谷(きはま)りて身の措き所に苦むことあり悔ゆとも其詮なし
始に能々(よくよく)事の順逆を弁へ理非を考へ其言は所詮践(ふ)むへからすと知り其義はとても守るへからすと悟りなは速(すみやか)に止るこそよけれ古より或は小節(せうせつ)の信義を立てんとて大綱の順逆を誤り或は公道の理非に踏迷ひて私情の信義を守りあたら英雄豪傑ともか禍(わざはひ)に遭ひ身を滅し屍の上の汚名を後世まで遺せること其例(そのためし)尠(すくな)からぬものを深く警(いまし)めてやはあるへき
一 軍人は質素を旨とすへし
凡(およそ)質素を旨とせされは文弱に流れ軽薄に趨(はし)り驕奢華靡(けふしゃくわび)の風(ふう)を好み遂には貪汚(たんを)に陥りて志も無下に賤(いやし)くなり節操も武勇も其甲斐なく世人(よのひと)に爪(つま)はしきせらるゝ迄に至りぬへし
其身生涯の不幸なりといふも中々愚(おろか)なり此風一たひ軍人の間に起りては彼の伝染病の如く蔓延し士風も兵気も頓(とみ)に衰へぬへきこと明なり
朕深く之を懼れて曩(さき)に免黜(めんちゅつ)条例を施行し略(ほぼ)此事を誡(いまし)め置きつれと猶(なほ)も其悪習(あくしふ)の出んことを憂ひて心安からねは故に又之を訓(をし)ふるそかし汝等軍人ゆめ此訓戒(をしへ)を等間(なをざり)にな思ひそ
右の五ヶ条は軍人たらんもの暫(しばらく)も忽(ゆるがせ)にすへからすさて之を行はんには一の誠心(まごころ)こそ大切なれ
抑(そもそも)此(この)五ヶ条は我軍人の精神にして一の誠心は又五ヶ条の精神なり心誠ならされは如何なる嘉言(かげん)も善行も皆うはへの装飾にて何の用にかは立つへき心たに誠あれは何事も成るものそかし況(ま)してや此五ヶ条は天地の公道人倫の常経なり行ひ易く守り易し
汝等軍人能く朕か訓に遵(したが)ひて此道を守り行ひ国に報ゆるの務を尽さは日本国の蒼生挙(こぞ)りて之を悦(よろこ)ひなん朕一人の懌(よろこび)のみならんや
明治十五年一月四日
御名
御璽
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