明治のころ沖縄学の泰斗伊波普猷(1876年~1947年)は、琉球人について次のように感想を述べている。https://www.aozora.gr.jp/cards/000232/files/60236_73043.html
沖縄人の最大欠点は恩を忘れ易いという事である....御都合主義はいつしか沖縄人の第二の天性となって深くその潜在意識に潜んでいる....彼らは自分らの利益のためには友も売る、師も売る、場合によっては国も売る、こういう所に志士の出ないのは無理もない....この大欠点をうめあわす事が出来ないとしたら、沖縄人は市民としても人類としても極々つまらない者である
こういう批評は、るるぶ系情報しかない現代人にはおおきに首をかしげるようなものとして見えてくるだろう。忘恩、事大主義、ご都合主義、裏切り、密告、志の低さ、などなど。しかしながら、同時に自身もまたそういう精神性に落ちているはずだと考えたとき、33歳の伊波には将来する沖縄の姿が見えていたのかもしれない。勿論戦後間もなく死んだ彼には現在の沖縄のことはまるで知らされてない。
現在の沖縄。コロナ禍の沖縄。国があれだけ嘘とまやかしの「辺野古唯一」を繰り返しても正当に反抗できてない県民性。仲井真や島尻、多くの首長たちの変節、取り込まれ、地元名護市民の挫折、オール沖縄の「河童の川流れ」的腰砕け、......
一方で軟弱地盤、活断層、飛行経路上の障害建造物、大浦湾の生態系破壊、特異な県民意識に対する逆撫で国家行為、戦略上の海兵隊無用論、地政学の大嘘、核の傘は張子の虎、日米安保体制の空洞化、ミサイル諸事情からくる現代戦争における陸戦部隊の存在性、....どう贔屓目に見ても間違った国策に落ちた日本国。従米主義の三流国家、三流民族、その弊害を犠牲の質で身に受ける琉球。
沖縄は全国一のコロナ陽性率で、5月10日も2265人の新規感染者数だった(11日は2702人、12日2330人、13日2242人、東京も大阪も増えている)。数値が表すところはここが観光立県で、GWからみのクラスタが多く発生している現状を示している。なだれ込んできた制約なしの他県観光客が全域でまき散らしたものが数値にはっきりと示される。移住者の目からすると、沖縄の特殊性がこういうところにも如実に見られると慨嘆する以外ない。数値が上がればその効果うんぬんするより先にまずもって規制がかかる。病院や介護施設などは例外なく面会禁止等のバリアが張られ、公共施設や観光施設は軒並み中止や規制でがんじがらめとなり、結局は元の木阿弥だ。この2年以上にわたり同じことの繰り返しで、「ええじゃないか」心性はノーマスクやSDなしの濃厚接触がそこら中蔓延する。米英並みに右倣えが明治以来のこの国の在り様で、そのうち感染者数の公表もなくなるのだろう(既にこうした数値的機械的情報に懐疑的な市民が増えている)。感染リスクの悪しき例(後遺症)が底の方に沈んで、ワクチン副作用(かなりの数の死者で、推定1500人以上とみられる)も無意味にかすむ。
しかし、問題はコロナ禍ばかりで済む話でないことだ。齎された自然界の警告はいつも暫くは人の耳や目をそばだてるがそのうち沙汰止みになり、やがて無限のかなたに忘却し、真逆の方向へ狂気のように走りだす。大震災もゲリラ豪雨も大地震も大洪水も崖崩れも、いつの間にか実感のない過去に追いやられる。地震と津波が齎した原子力発電所の暴発は今後日本国中どこでも起こりうることだとどうしてわからないのか?一時的に停止してほとぼり冷めぬうちに再稼働へ前のめり、結局米国支配の洗脳で、麻痺した為政者たちの飾り物の脳漿では、おのれらが自ら律すべき政治や外交がまるで目に入らず、敗戦処理に過ぎなかった戦後体制を未だに後生大事に抱きかかえ、連合国の「敵国」扱いに永続的に据え置かれては頓珍漢な政治外交に明け暮れている。
ネトウヨ他、現代日本を悪くするだけのモブ(悪質な烏合の衆)たちに決定的に欠けているのは民族的矜持、国士的憤怒、憂国的激情であり、かかる右翼が狂喜しそうな情念の奔騰がそもそもないので、彼らのどうしようもない下卑たレイシズム、便乗的亜流の軍国礼賛、権力阿り、偽悪趣味、あてこすり、空虚な絶叫、劣等児的チンピラまがいのカツアゲ行為、などなど、口にするも憚れる在り様がむしろ公道を我が物顔で野良ついている。
本土復帰、沖縄返還50年、50年記念フェアだって。
伊波普猷が100年以上前に喝破した沖縄人の大欠点は、移住して15年以上が過ぎた人間にも何となくうっすらと見えてくる。彼にあったであろう愛郷心は、愛すればこそ憎まざるを得ない自身の自家撞着に脂汗を流したかもしれない。いやな汗だ。
この移住者が人種的民族的に琉球民族と異なるのなら、ここに住する矛盾はいかに解決するものなのか。わからない。