麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

眼鏡は生きている

2006年08月04日 | 身辺雑記
 やっとこさ、眼鏡を買った。

 さて「眼鏡が嫉妬する」と言ったら、多くの人は耳に手をそえて「はあ?」とオーバーアクションで言外に否定の意を込めて聞き返すだろうか?

 小学校に上がった頃は両目とも1.5あったのが年々視力が下がり眼鏡を着用するっていう日本人によくあるパターンで、僕の場合それは小学校6年で訪れた。辛うじて授業中メガネだったが。
 中学高校も同様で、だから部活も裸眼でやってた。バレーボールってこともあった。中には眼鏡使用のプレイヤーもいたが、レシーブもさることながら、ネット際での攻防が危険だった。特にブロックね。
 で、浪人の頃から顔の一部と化したのだ。……まあ歴史はいいとして。嫉妬の話だ。

 メガネにも流行はある。ぶつけたり踏んだり、痛んで換えるのと別に、飽きて新しいのを欲するってことがある。
 貧乏性の僕には余りなかったが、例えば友達との待ち合わせまで時間が空いた時、ちょいと服を見るように、買う気はないのにふらりとCD屋を覗くように、「眼鏡族」はメガネ屋さんに入ることがあって、ちょっと変わったデザインなど見るとやはり心は揺れる。「お金を貯めて…」とかも思う。
 そういう時に“正妻”がヤキモチを焼くのだ。

 実例を出すと。
 01年『恋でいっぱいの森』(No.116東演パラータ)の公演の受付のために、半透明の緑のセルフレームを購入した。森林を意識して緑色を、って理由だったのだが、直後“正妻”の2ポイントを破損した。で、仕方なく(?)緑を普段も使うことにした。
 友達のパーティーか何か用に、なんちゃてバーバリー模様の眼鏡を洒落で買った直後、当時の正妻をなくした。
 これは一例に過ぎない。おしゃれな人が沢山眼鏡を持っているように、TPOで使い分けようと試みるたびに、その夢は儚く破れる。・・・これを“嫉妬”といわず、偶然と言うのだろうか?

 朝起きたら体の下でひしゃげていたり、目覚めたら友人宅でどうやらその道すがら落としてたとか、要は酒がらみの不注意であることも多いわけだが……。不思議と浮気心がない時は、枕の下で冬眠する蛙みたいに無事だったり、馴染みの居酒屋から「眼鏡忘れてるよ」と電話があったり・・・だからアルコールのせいばかりではないのである。

 そうそう。芝居の小道具も邪険に扱ったり、どうも気に入らないので「改良型」を密かに作成していると、ふと消えたり、完成前に壊れたりする。
 これがまた、単に不注意とはいえない。毎日が生だから、小道具を落とすことも
ある。普通に床に落ちれば機転を効かせて話をつなげられるが、浮気心があった場合、本番中では取り出し不可能な家具の裏とかに落ちたりするのだ。
 モノには心がある!の一席。

 御心配かけましたが、『大地のカケラ』第2稿は、今朝3分の2が届きました。
 

 
コメント
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