一昨日のブログは、
【春高バレーも開幕】で終えたが。
今日は男女の決勝戦がある。
そんな「春高」を育てた……
いや、春高も勿論だが「日本バレー」
を牽引してきた大立者
松平康隆さんがお亡くなりになった。
報道によれば昨年大晦日。
僕は1966年生まれ。
小学校の卒業を控え、
サイン帳を廻した世代。
あの頃、やたら流行っていた。
三十年以上前の話だが・・・。
生年月日や趣味などとともに記す
「尊敬する人」に、僕は
松平康隆さんの名を書いた。
東京五輪では男子コーチ。
東洋の魔女の陰にかくれがちだが
三位表彰台。
その後監督に就任し、
独自の選手発掘(大古や森田など)や
速攻、時間差、フライングレシーブなど
世界のど肝を抜く戦術や
アクロバティックな練習法を編み出し
メキシコで銀、そしてミュンヘンで
ついに悲願の世界一に輝いた。
金銀銅、すべてのメダルホルダー。
実は「ミュンヘン五輪」は小二で
まだまだライダーやウルトラマンに夢中。
僕がバレーボールに目覚めた1976年、
松平さんは、元監督の立場で
やたら「出たがり」な解説者だった。
勿論これは良い意味で言っている。
小四の子供には解らなかったけど、
のちに彼の一挙手一等投足が
競技人口の拡大や、レベルアップに
大いに貢献したことを知る。
弁舌爽やかで、本当に頭が切れる人だった。
サッカーのキャプテン・川渕さんも
なかなかの「出たがり」だが、
彼よりも、というか、彼のアクションに
「松平イズム」は少なからず
影響を与えていると、僕は思う。
……話しが逸れました。
そんな「偉人」の死を伝えた、
某局の若いアナウンサーは
「僕は存じ上げないのですが…」と
前置きしたあと著書から引用した
言葉に感銘を受けた、と。
そうか。最近はすっかり一線を
退いていたものな・・・。
ご冥福を深くお祈り申し上げます。
【春高バレーも開幕】で終えたが。
今日は男女の決勝戦がある。
そんな「春高」を育てた……
いや、春高も勿論だが「日本バレー」
を牽引してきた大立者
松平康隆さんがお亡くなりになった。
報道によれば昨年大晦日。
僕は1966年生まれ。
小学校の卒業を控え、
サイン帳を廻した世代。
あの頃、やたら流行っていた。
三十年以上前の話だが・・・。
生年月日や趣味などとともに記す
「尊敬する人」に、僕は
松平康隆さんの名を書いた。
東京五輪では男子コーチ。
東洋の魔女の陰にかくれがちだが
三位表彰台。
その後監督に就任し、
独自の選手発掘(大古や森田など)や
速攻、時間差、フライングレシーブなど
世界のど肝を抜く戦術や
アクロバティックな練習法を編み出し
メキシコで銀、そしてミュンヘンで
ついに悲願の世界一に輝いた。
金銀銅、すべてのメダルホルダー。
実は「ミュンヘン五輪」は小二で
まだまだライダーやウルトラマンに夢中。
僕がバレーボールに目覚めた1976年、
松平さんは、元監督の立場で
やたら「出たがり」な解説者だった。
勿論これは良い意味で言っている。
小四の子供には解らなかったけど、
のちに彼の一挙手一等投足が
競技人口の拡大や、レベルアップに
大いに貢献したことを知る。
弁舌爽やかで、本当に頭が切れる人だった。
サッカーのキャプテン・川渕さんも
なかなかの「出たがり」だが、
彼よりも、というか、彼のアクションに
「松平イズム」は少なからず
影響を与えていると、僕は思う。
……話しが逸れました。
そんな「偉人」の死を伝えた、
某局の若いアナウンサーは
「僕は存じ上げないのですが…」と
前置きしたあと著書から引用した
言葉に感銘を受けた、と。
そうか。最近はすっかり一線を
退いていたものな・・・。
ご冥福を深くお祈り申し上げます。