◯寮の食事事情
昭和30年代中頃、M男が、北陸の山村の親元を離れ、地方都市の学生寮に入寮し、生まれて初めて外で集団生活を始めた頃の話である。
入寮した翌日から、いよいよ、不安と緊張の内に寮生活スタートだったと思うが、まず第1に驚いたのは、寮の食事事情だったような気がする。寮と学校は、隣接していたため、M男等は、朝食、昼食、夕食共、基本、寮で食事をとっていたと思うが、ほとんど記憶曖昧になっている中で、朝食の記憶だけは、未だに脳裏に焼き付いている。古い木造に暗い食堂の朝食時間、調理場と食堂の境目の棚には、次々と、黄色のアルミ製容器に山盛りの温かいごはんと味噌汁が並べらたと思うが、おかずは無しだった。ご飯の隅に、タクワン2切れと、海苔の佃煮小さじ一杯程度が、ちょこんと乗っているだけという塩梅、これを各自、長テーブルに運び、食する分けだが、タクワン2切れと、海苔の佃煮小さじ1杯程度を、いかにチビチビ食べながら、ご飯の最後まで持たせるかを、常に考えながら食べたものだった。毎食、それが定番だったが、最初は、驚いたものの、人間馴れればそれが当たり前となり、空腹には、温かいご飯が食べられるだけで、有難いものだった。ただ、寮生の生活リズムはバラバラで、指定された朝食時間を随分過ぎてから、ノコノコ食堂に現れる者も多く、そんな連中は、冷たくなったご飯をかきこむしか無いのだった。昼食、夕食については、おかず1品位は、付いていたような気がするが、まるで思い出せない。おそらく、1日、3食の食費合計が、100数十円だったはずで、推して知るべしだが。
◯エッセン・飯盒炊爨
斯々然々、寮の三食は貧弱で、寮生は皆、常に腹を空かせていたものだったが、特に、夜中になるとたまらなくなり、ガスコンロ数台だけの寮の共同湯沸し場で、飯盒炊爨(はんごうすいさん)したりしたものだ。中には、先輩寮生が、バイト先等からもらってきた骨付き荒肉等を洗面器等で煮上げ、皆で突っついて腹を満たしていた者もいた。炊飯器も無し、鍋も無し、料理するような場所も無し、今のようなインスタントラーメン等も無し、貧乏学生の集団だった寮生とて、やたら外食したり、食料等を買うことも出来ず、M男にような農家出身の寮生に、たまたま実家から米や餅等が届くとたちまち、寄ってたかって食べていたものだった。そんな、山賊みたいな夜食をすることを先輩寮生達は、「エッセンする」と言っていたような気がする。ドイツ語で「食べる」「食事」の意味の言葉だが、なんともバンカラ風な行為で、登山、キャンプ気分である。先輩寮生から、飯盒炊爨のノウハウを教わったのも、そんな時だった気がする。中高年になってから、山歩き等をするようになったが、すでに飯盒炊爨しようという時代でも無くなっており、すっかり忘れてしまっていたが、学生寮生活の懐かしい思い出の1ページになっている。
(ネットから拝借した飯盒の写真)
ネットで調べてみると、
飯盒(はんごう)は、今でも、キャンプ等で使う人が有り、
通販でも安く売られているようだ。
(つづく)