「暑さ寒さも彼岸まで」・・・、
今冬、全国的に例年より気温が低い日が多かったようで、北海道や東北の日本海側、北陸等では、記録的大雪に見舞われた地域も多く、未だに雪またじに追われている地方も有るようだ。ここ数日も真冬並みの寒さに戻ってしまったり、それだけ、春の訪れも若干遅れているような気もする。そうは言っても、明日はお彼岸の中日、一気に春めいてくるに違いない。
昭和20年代から30年中頃まで、雪深い北陸の山村で幼少期を過ごした人間、冬から春を迎える頃になると、毎年必ず、その頃の故郷の情景を思い浮かべてしまう。3月頃はまだ、残雪が有ったり、周辺の高嶺は真っ白だったりし、吹く風は冷たく、春は名のみ・・・ではあったが、雪解けが進み、土手や、沢沿いに黒い土が現れ、蕗の薹等を見つけたりすると、春の前触れを感じたものだ。桜の満開も4月中旬、春の花の開花も、4月下旬から5月頃になってからだった気がするが、雪解け水でぐちゃぐちゃの登下校の田んぼ道が次第に乾きだし、道端や田圃の畦等ですみれの花等を見掛ける頃になると、風も心地よくなり、やっと、「春だー!」と実感したような気がする。草花に興味関心等有ろうはず無しの男の子だったが、「すみれ」=「春」という風に感じとっていたようにも思う。雪国のすみれの開花は、もう少し先ではあるが、当地では、そろそろ、あちこちで見掛けられそうな頃になってきた。
我が家の猫額庭でも、1株、開花しているのに気がついた。敷石の隙間から、ひょこり・・。
毎年、この時期になると必ず思い浮かんでくる曲のひとつに「すみれの花咲く頃」が有る。「ブログ内検索」してみたら、5年前、2017年にもブログに書き込んでいたことが分かり、コピペ、リメイク(再編集)してみた。
今更になってネットで調べてみると
「すみれの花咲く頃」の原曲は、1928年(昭和3年)に、ドイツの作曲家、フランツ・デーレが作曲、フリッツ・ローターが作詞で、発表された、ドイツ語の「Wenn der weiBe Flieder wieder bluht(白いライラックがまた咲く時)」という曲名で大ヒットした楽曲だった。翌年、1929年(昭和4年)には、フランス語の歌詞を付けたシャンソン、「Quand refleuriront les lilas blancs(白いリラがまた花咲く時)」が、パリの劇場で歌われたが、パリ滞在中だった、宝塚歌劇の演出家、白井鐵造氏が、この歌を聞き大いに気に入って、日本に持ち帰り、自ら日本語訳詞をつけて、1930年(昭和5年)上演の「パリゼット」の主題歌として使ったのが「すみれの花咲く頃」。「リラ(ライラック)」が日本人はあまり馴染みがない花だったため、「すみれ」に置き換えられたのだそうだ。以後、この歌が、宝塚歌劇のシンボル的ソングとなり、今日まで長きに渡り歌われているわけで、「へー!、そうだったの!」、目から鱗・・・、歌に歴史有り・・だ。
加茂さくら&ボニー・ジャックスの「すみれの花咲く頃 」 (YouTubeから共有)
ダニエル・ヴィダルの「Quand refleuriront les lilas blancs(白いリラがまた花咲く時)」(YouTubeから共有)