この地に引っ越してきてすでに40年の歳月が流れ、周辺の環境もすっかり変わってしまった。引っ越してきた当初は、一面畑地で、家の北側には、わずかだったが、水田も有り、夏にはホタルがチラホラ飛んできたり、カエルの大合唱が聞かれた程だったが、現在は、びっちり住宅が立ち並び、我が家もその一画にのみ込まれている。住み始めてまもなくの頃、元々地元の農家で大地主だったFさんと懇意になり、ご好意で空いていた畑地を広く借りることが出来、野良仕事等無縁だった妻が、無農薬、新鮮野菜に拘り、見様見真似の「野菜作り」を始めたものだったが、それが延々、未だに続いていると言う具合だ。当時は、自営業の傍ら、妻の「野菜作り」の手伝いをする助手、アシスタントに徹していたものだが、完全に仕事をやめてからは、「野菜作り」は、二人の趣味にもなっている。収穫の喜びも有り、傍目には、楽しげに見える「野菜作り」だが、無農薬に拘る限り、毎年、毎年、雑草との戦い、これが大変。年がら年中、草取りの繰り返しとなる。「雑草のごとくたくましく」という言葉があるが、雑草には、踏まれても、刈られても、抜かれても、どんな環境でも生きる力が有る。特に春先、冬の寒さが緩むと一斉に畑地を覆い尽くす、ホトケノザ、ヒメオドリコソウ、オオイヌノフグリ等(勝手に、「畑地の雑草御三家」と呼んでいるが)の蔓延る様には、「ワッ!、凄い!」、悲鳴的感動?するしか無い。
近づいて良く見れば、それぞれ可愛らしい花を咲かせる雑草達、抜いて抜いて抜きまくりながらも、ついコンデジで、カシャ、カシャ撮っており、これまで撮っていた写真を引っ張りだしてみた。
「雑草」という言葉を口にする都度、いつも脳裏を過る言葉が有る。長年、昭和天皇の侍従長だった入江相政氏が、著書「宮中侍従物語」の中で、戦後まもないある夏の日、御座所の庭の草刈りに際して、昭和天皇が、「雑草という草はないんですよ。どの草にも名前が有って、それぞれ自分の好きな場所を選んで生を営んでいるんです・・・・」と述べられた言葉が印象強く残り、そのエピソードを書き留めておられるそうだ。それは単なる雑草のことでは無く、「人間夫々が持つ個性や生命も大切にされるべき・・」という深い意味が込められた言葉なのかも知れないと思ったものだった。
「畑地の雑草御三家」と呼んでいるそのひとつ、「オオイヌノフグリ」。
春先、畑地だけでなく、庭先でも、道端でも、空き地でも、どこでも蔓延る、誰でも知っている雑草だが、実は、「オオイヌノフグリ」なんていう花名を実際に知ったのも、それ程昔のことではないような気がしている。コバルトブルーの小さな花を付けて、びっちり、ジュウタンのように一面に蔓延る「オオイヌノフグリ」、ちょっと見、お花畑の感じさえしてしまうが、畑地では邪魔物、人間の都合で抜き取るしかない。誰が付けたのか、「オオイヌノフグリ」等という、なんとも、えげつない、無粋な名が付けられており、口に出す度、嫌な気分にもなるが、近付いて良く見れば、小さくて可愛らしい花を付ける雑草、「ホシノヒトミ(星の瞳)」という別名が有るようで、いっそのこと、正式名にしてもらいたいものだとも思う。
オオイヌノフグリ(大犬の陰嚢)
オオバコ科、クワガタソウ属、越年草、雑草
別名 「ホシノヒトミ(星の瞳)」
和名「大犬の陰嚢」は、実の形が、雄犬の陰嚢に似ていることから
付けられたもの。
原産地 ヨーロッパ、
日本には、明治初期に渡来、急速に全国に拡大した帰化植物、
草丈 10Cm~20Cm
葉は、卵円形で、鋸歯が有る、
花色 青色、紫色、白色、
花弁は、4枚、それぞれ大きさが異なり、左右非対象、
開花時期 2月頃~6月頃
花言葉 「信頼」「神聖」「清らか」「忠実」