「中学生日記より」
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。
その58 「田植えの頃」
昭和30年(1995年)6月1日、水曜日、天気 晴
1限目 「音楽」、太平洋、強弱記号
2限目 「図画」、モザイク、
3限目、4限目 「映画」、「月の物語」「運動の法則」「ガラス」「火の歴史」「ニュース」等
1、くりの木にたかる「くりまたばち」、退治してくれと、言われた(頼まれた)
2、田植えが始まったので、今日から昼前限り(授業は、午前中のみ)
3、父が休んだ。(川島の田植えのため)
学校へ、自転車に乗っていった。
4、テキストの帰りにどこかの家に自転車をぶっつけた、
5,始めて(今年、初めて)、ふせばりをかけて見た(みた)
6、うちの田植えは、六日ときまった(決まった)。
帰家(帰宅) 12時10分
どうも、この年の新学期、「国語」担当教師のH教頭から、日記を付けるように言われ、付け始めた最初の日だったようだ。まずは、学校のことを書いているが、
1限目の「音楽」の「太平洋」って、歌の題名・・かな?、記憶が無い。
2限目の「図画」の「モザイク」、これは、いまだに記憶が有る。各自、家から、鶏の卵の殻を持ってくるように言われ、何個かの殻を持参、それを割り砕いて、小さな破片にして、絵の具だったかポスターカラーだったかで、何色か色付けし、その1片1片を あらかじめ下絵を描いた木板に、ノリで張り付け、乾燥した時点で、表面にラッカーニスを塗って出来上がりという授業だったと思う。そのことを「モザイク」と呼んでいて、後年になって、写真や映像をぼやかすことを「モザイクを掛ける」ということを知り、違和感を抱いた気がする。出来上がった「モザイク作品」は、秋の文化祭に展示されたものだ。
3限目、4限目は、映画を観たようだ。1学年1クラスの小さな小、中学校併設校だったこともあり、大教室に全生徒が集合、教育用映画を見る授業が、1年に何回か有った気がする。白黒で、退屈な内容の映画が多かったような気がするが、授業から開放され、ワイワイ、ガヤガヤ・・・、そんな情景が思い出される。
1、「くりの木にたかる」とは、「栗の木に群がる」・・の意。「くりまたばち」とは、どんな蜂だったのか、さっぱり見当がつかないし、記憶が無い。
2、「田植えが始まったので、今日から、昼前限り」
ほとんどの児童生徒が農家の子供だったため、当時、毎年、田植え最盛期や稲刈り最盛期には、1週間程度、「田植え休み」「稲刈り休み」が有ったが、その前後も、授業は、午前中で終わっていたようだ。子供と言えども、家の手伝いをするのが当たり前の時代だったのだ。
3、「父が休んだ。学校に自転車に乗って行った」
当時、M男の家には、父親が通勤で使っていた自転車、1台しか無く、自転車に乗りたくてしかたなかったM男だったが、普段は乗ることが出来なかった。通勤から帰る父親を待ち構えて、自転車を借り、乗っていたものだが、その日は、父親が親戚の田植えの手伝い(結のため)ため休んで 自転車が空いたことで、学校に乗って行ったようだ。
4、「テキストの帰り」?、意味が分からない。「どこかの家へ自転車をぶつけた」・・・、そんな記憶は、全く残っていないが、父親の自転車を乗り回していて、運転未熟?、他所様の家に自転車をぶつけたようだ。
5、「ふせばり」。当時、近所の子供達はつるんで、徒歩20分~30分の川に、夕方出掛け、1m程の棒の先に、釣り糸をくくりつけ、釣り針に、ミミズ等の餌を付け、川べりに大きな石で押さえて仕掛けて帰り、翌朝、ウグイ、フナ、ナマズ等が掛かるのを楽しみにする遊びが流行っていたが、「ふせばり」と呼んでいた。コイ等大物が掛かった話を聞いて、夢中になった時期が有ったが、M男自身、釣れた記憶がほとんど無いので、大した成果は無かったのだと思う。
6、「ウチの田植えは、6日と決まった」
当時、田植えや稲刈りは、親戚や知り合いが、予め打ち合わせ、日を決めて、順番に、お互い家族全員で手伝いに行く習慣が有った。後に、「結い」と呼ばれる習慣であることを知ったが、何日も他所の手伝いをし、田んぼが少なかったM男の家等は、半日程で簡単に終わってしまうのは、割が合わないことだと、子供心に考えたこともあったように思う。6月6日が、M男の家の田植えと決まったようだ。