たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

お天気コロコロ変わり

2022年03月19日 18時07分04秒 | 暮らしの記録

今日の当地、朝の内は、珍しく、視界100m~200mの濃霧だったが、
一気に晴れ上がり、午前中は、好天
午後になると、次第に曇り出し、夕方には、またになり、
コロコロ変わる天気だった。

濃霧

例年より気温の低い日が多かった今冬、放ったらかしの猫額庭の花達も、
開花が随分遅れているような気がする。
いつもだったら、開花し始めている頃の、ユキヤナギも、ユスラウメも、ハナズオウ等、まだ蕾さえも膨らんでいない。
満開になっている頃の、スノーフレークやラッパズイセン、ムスカリ、ポリアンサも、一輪、二輪、チラホラ、・・・・、1週間~10日以上は、開花が遅くなっているようだ。

スノーフレーク、

ポリアンサ、一輪だけ開花

ムスカリも、1本だけ、
サビシーッ!

ハナニラ(花韮)は、やっと、咲き揃いだした、

ラッパズイセン(喇叭水仙)も、一輪だけ・・・、

スミレ(菫)の姿、いずこ?
探して、1株、

アジサイ(紫陽花)の新芽


ヒメオドリコソウ(姫踊り子草)(再)

2022年03月19日 09時57分46秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

◯畑と雑草
この地に引っ越してきてすでに40年の歳月が流れ、環境もすっかり変わってしまった。引っ越してきた当初は、一面畑地で、家の北側には、わずかだったが、水田も有り、夏にはホタルがチラホラ飛んできたり、カエルの大合唱が聞かれた程だったが、現在は、びっちり住宅が立ち並び、我が家もその一画にのみ込まれている。住み始めてまもなくの頃、元々の地元の農家で大地主だったFさんと懇意になり、ご好意で空いていた畑地を広く借りることが出来、野良仕事等無縁だった妻が、無農薬、新鮮野菜に拘り、見様見真似の「野菜作り」を始めたものだったが、それが延々、未だに続いていると言う具合だ。当時は、自営業の傍ら、妻の「野菜作り」の手伝いをする助手、アシスタントに徹していたものだが、完全に仕事をやめてからは、「野菜作り」は、二人の趣味にもなっている。収穫の喜びも有り、傍目には、楽しげに見える「野菜作り」だが、無農薬に拘る限り、毎年、毎年、雑草との戦い、これが大変。年がら年中、草取りの繰り返しとなる。「雑草のごとくたくましく」という言葉があるが、雑草には、踏まれても、刈られても、抜かれても、どんな環境でも生きる力が有る。特に春先、冬の寒さが緩むと一斉に畑地を覆い尽くす、ホトケノザ、ヒメオドリコソウ、オオイヌノフグリ等(勝手に、畑地の「雑草御三家」と呼んでいるが)には、「ワッ!、凄い!」、感動?するしか無い。
近づいて良く見れば、それぞれ可愛らしい花を咲かせる雑草達、抜いて抜いて抜きまくりながらも、ついコンデジで、カシャ、カシャ撮っており、そんな写真を引っ張りだしてみた。


「雑草」という言葉を口にする都度、いつも脳裏を過る言葉が有る。長年、昭和天皇の侍従長だった入江相政氏が、著書「宮中侍従物語」の中で、戦後まもないある夏の日、御座所の庭の草刈りに際して、昭和天皇が、「雑草という草はないんですよ。どの草にも名前が有って、それぞれ自分の好きな場所を選んで生を営んでいるんです・・・・」と述べられた言葉が印象強く残り、そのエピソードを書き留めておられるそうだ。それは単なる雑草のことでは無く、「人間夫々が持つ個性や生命も大切にされるべき・・」という深い意味が込められた言葉なのかも知れないと思ったものだった。


そんな雑草のひとつに、「ヒメオドリコソウ」が有る。
畑だけでなく、庭先でも、道路端でも、空き地でも、どこでも蔓延っているが、実際、「ヒメオドリコソウ」という花名を知り、同定出来るようになったのも、つい最近のこと、花名だけ聞けば なんとも優雅な花が思い浮かぶが、畑地では、邪魔者?、抜いても抜いても、蔓延り力が凄まじい。

2016年4月16日に、畑地で撮っていた「ヒメオドリコソウ」

2017年3月に、畑地で蔓延っていた「ヒメオドリコソウ」

2020年3月に、畑地で蔓延っていた「ヒメオドリコソウ」

2021年3月に、畑地で撮っていた「ヒメオドリコソウ」

2022年3月2日に、畑地で撮っていた「ヒメオドリコソウ」


ヒメオドリコソウ(姫踊り子草)

シソ科、オドリコソウ属、越年草、
   和名「姫踊り子草」は、日本、中国、朝鮮半島等に分布している
   「踊り子草」と比べて、背丈や花の大きさが半分以下で小さいことから、
   「姫」を冠して付けられた花名。
原産地 ヨーロッパ、北アフリカ、西アジア
    日本には、明治時代中期に渡来し帰化した植物、
    主に本州の草地、道端、畑地等に自生している、
草丈 10Cm~25Cm
花色 赤紫色
開花時期 3月頃~5月頃
     温暖に地域では、年間を通じて開花する、
花言葉は 「快活」「陽気」「愛嬌」「春の幸せ」、


 


学生寮の記憶・その7

2022年03月19日 06時35分52秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

◯寮祭・市内仮装パレード
昭和30年代中頃、M男が北陸の山村の親元を離れ、地方都市の学生寮に入寮し、生まれて初めて、外で集団生活を始めた頃の話である。
入寮してから半年余り経過した秋、M男達には初めてのことであったが、学生寮恒例の「寮祭」が催された。当時はまだ、カメラ等が一般に普及していなかった時代、「寮祭」の写真等も、ほとんど残っていないことも有り、なかなか記憶を炙り出すのも難しいが、その年だけだったのかどうか?、全寮生による「市内仮装パレード」も行われた。その写真だけが数枚、古いアルバムに貼って有る。誰かが写し、焼き増ししたものを買ったのだろう。すでにセピア色化した古い写真ではあるが、写真を見ると、完全に忘れてしまっていた記憶や当時の情景まで炙り出てくるから不思議で、貴重な写真だ。よく見ると、1枚の写真の背景には、旧制高校時代のバンカラが染み付いた古い木造の学生寮の玄関が写っていることに、今更になって気がつき、懐かしくなってしまっている。
「市内仮装パレード」を行うにあたり、どのような相談や打ち合わせが有ったのか等の記憶は全く無くなっているが、当時、既に、「女性上位」、「尻に敷かれる旦那さん」・・等という世相になりつつ有り、それをテーマにしたような仮装パレードとなったのだと思う。
多数の女性役が必要で、最下級生だったM男達が、最も恥ずかしい?女装仮装を強制?されたようだ。当時は、安価な貸衣装店等、多分無かったはずで、女装用衣類やグッズ等は、主に先輩寮生達が、アルバイト先やガールフレンド等、様々なルート、つてを頼って、借り集めたものだったのだろう。寮の集会所で、顔に白い物?をべったり塗られ、あーだ、こーだ、大騒ぎした記憶が有る。その中に、1着、ワンピース?が有ったが、皆、無理、無理・・・。多分、当時、痩せっこけていたM男に、「これ、お前着ろ!」と 先輩寮生に押し付けられたような気がする。
寮の玄関に異様な集団が勢揃い、「えい!、えい!、おー!」、看板を立てたリヤカー先導で、いざ出発、市内繁華街へ繰り出したものだった。よくもまあ、人の迷惑も考えず、街中を伸し歩いたものだと、今思うにぞっとするが、「学生のやることだから・・・」等と、目くじら立てず、笑ってはやしたててくれたのかも知れない。それだけまだ、世の中、のんびりしていたということだろう。女装仮装した事等、後にも先にもその1回だけであり、遠い昔の懐かしい想い出の1ページになっている。 

 

(つづく)