たけじいの気まぐれブログ

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葉室麟著 「花や散るらん」

2023年10月09日 15時22分26秒 | 読書記

図書館から借りていた、葉室麟著 「花や散るらん」(文春文庫)を、読み終えた。本書は、先日読み終えた、「いのちなりけり」に続く、葉室麟の「雨宮蔵人シリーズ」第2作目の作品である。さらに、続編に、「影ぞ恋しき」が有り、「雨宮蔵人シリーズ」三部作のひとつ。
読書初心者の爺さん、葉室麟の著作を読むのも、2作目に過ぎないが、なんとなく、作風に惹かれてしまい、次の作品も読みたくなっているところだ。

▢主な登場人物
 雨宮蔵人(あまみやくらんど、主人公)、咲弥(さくや、蔵人の妻)、
 香也(かや、蔵人と咲弥の娘、実は・・?)

 清厳(深町右京)、おくら、
 貫井伝三郎(牢人、元吉良家家臣)、みつ(伝三郎の妻)
 羽倉斎(はぐらいつき)、中院通茂、
 徳川綱吉(五代将軍)、柳沢保明(柳沢吉保、綱吉の側用人)
 桂昌院(綱吉の生母)、信子(綱吉の正室)、お伝(綱吉の側室)、
 右衛門佐(大奥総取締)
 公辧法親王(寛永寺貫主)、
 町子(柳沢保明の側室、正親町権大納言実豊の娘辧子(なかこ))
 正親町公通(町子の兄)
 塚田五郎兵衛(柳沢家用人)
 近衛基煕(関白)、進藤長之(近衛基煕の家司)
 吉良上野介義央(高家肝煎)、富子(上野介の正室、上杉家二代藩主定勝の四女)
 梶川与惣兵衛(大奥留守居役)、
 神尾与右衛門(吉良上野介の家臣、元上杉家家臣)
 尾形光琳(絵師)、中村内蔵助(銀座役人)
 浅野内匠頭長矩(播州赤穂藩藩主)、大石内蔵助(赤穂藩国家老)
 堀部安兵衛(赤穂藩藩士馬廻役)
 大石三平、
 松平紀伊守(京都所司代)
 お初(神田の飛脚問屋亀屋の女主人)

▢あらすじ
 前作「いのちなりけり」で、江戸から京へ上った雨宮蔵人と咲弥は、鞍馬の山裾の村に居を
 構え、静かに暮らしていたが、斬殺された
貫井伝三郎とみつから託された香也を養女にして
 育てているところから、物語が始まって
いる。
 二人は、将軍綱吉の生母桂昌院に、「従一位」の叙位のために、上京し工作をする吉良上野介と
 関わりを持ち、次第に、幕府と朝廷の暗闘に巻き込まれることになるのだった。
 さらに、大奥の勢力争い、側用人柳沢吉明、吉良上野介、綱吉、諸々が絡み合って発生した、
 浅野内匠頭の松ノ廊下の刃傷事件から、二人は、思わぬ展開に引き摺り込まれる。
 まずは、咲弥が大奥へ送り込まれ、京に戻ってこないことから、大石内蔵助に同行を求められた
 蔵人は、香也と、
良き相棒である片腕の僧清厳と共に、江戸へ下り、さらには、赤穂浪士の
 吉良邸討入りに
立ち合うことにもなると言う筋立てになっている。
 九州鍋島藩の内紛から始まった、前作「いのちなりけり」からは、全く想像出来ない展開に
 なっており、本書は、葉室麟版「忠臣蔵外伝」とも言え、葉室麟による、大胆な解釈、発想、
 展開に引き摺り込まされてしまう。

 主人公は、雨宮蔵人であることに間違いないが、咲弥、町子、桂昌院、信子、右衛門佐、お初、
 富子等々、それぞれ、強かな女性が描かれており、本書では、香也も、重要な
存在だったことに
 なる。
 蔵人の腕に抱かれた香也が空を見上げた。

 「お父上、雪が・・・」
 蔵人がつぶやいた。
 「いのちの花が散っているのだ」
 
 花と聞くは誰もさこそはうれしけれ思ひ静めぬわが心かな
 風に散る花の行方は知らねども惜しむ心は身にとまりけり
 今ぞ知る思ひ出でよと契りしは忘れんとてのなさけなりけり
 誰を待つ心の花の色ならむ立ち枝ゆかしき軒の梅が枝
 いかにせん都の春も惜しけれど馴れし東の花や散るらむ
 散るとみればまた咲く花のにほひにも後れ先立つためしありけり

(つづく)

 

 

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筑波嶺の みねより落つる みなの川 こひぞつもりて 淵となりぬる

2023年10月09日 08時56分27秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、2~3年前、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー 「懐かしい小倉百人一首」に書き留めたが、続いて、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにしている。
しばらく中断していたが、秋も深まりつつある季節、再開することにした。


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その29

筑波嶺の みねより落つる みなの川
こひぞつもりて 淵となりぬる

出典
後撰集(巻十一)

歌番号
13

作者
陽成院

歌意
筑波山の峰から流れ落ちる、みなの川のわずかな水が
集まって、川となり淵を作るように
私の恋心も、だんだんと積もり積もって、
今では、淵のように深いものなってしまいましたよ。

注釈
「筑波嶺のみね」=「嶺」と「峰」、同じ意味の語を重ねたもの。
「筑波山」=茨城県に有る、標高876mの山、
山頂が東西に分かれて2峰有り、「女体山」「男体山」と呼ばれる。
古代から、男女が歌を詠み交わし、求婚し合った
「歌垣(うたがき)」の行事で知られていて、
「万葉集」以来、「歌枕」(歌の中に古来詠み込まれた名所)と
なっていた。
「みなの川」=筑波山が水源地の川、
「男女川・水無川(みなのがわ)」と書かれる。
「淵」=川の深い所、浅い所は、「瀬」と呼ぶ
深い恋心を、川の縁語で、「淵」と表現している。

この歌の詞書(ことばがき)には
「釣殿(つりどの)の皇女(みこ)につかはしける」
と有る。
「釣殿」とは、光孝天皇の御所のことで、
「皇女」とは、光孝天皇の長女、
綵子内親王(すいしないしんのう)のこと。
内親王に対する、ほのかな恋心が、
やがて抑えきれない激しい恋心になっていく過程を歌ったもの。
綵子内親王は、後に、陽成院の妃になっている。


陽成院(ようぜいいん)

第56代清和天皇の皇子、
10歳で即位したが、摂政藤原基経との関係がうまくいかず
心の病にかかり、17歳で譲位、
以後、太上天皇(だいじょうてんのう)と呼ばれた。
奇行が多かった人物だったが、
老境に入ってから、文芸上の事績を残している。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)

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