たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「悲しき口笛」

2023年10月04日 15時32分51秒 | 懐かしいあの曲

数年前からのこと、若い頃や子供の頃に、聴いていたような懐かしい曲を、出来る限り思い出して、ブログ・カテゴリー 「懐かしいあの曲」に、書き留め置くことにしてきた。
かなり、蓄積してきたが、「まだまだ、有るはず・・・」
老脳に発破を掛けるが、そろそろ限界?、なかなか思い浮かばなくなってきている。 
先日、相互フォロワー登録している方のブログ拝見していて、「悲しき天使」が目に止まった。
おお懐かしい!・・・・、早速、「ブログ内検索」してみたら、なーんだ、もう前に書き込んでいたではないか。
「悲しき・・・」、「悲しき・・・」、「悲しき・・・」
そう言えば、あの当時、「悲しき◯◯」、いっぱい有ったなあ・・・、
邦題名を 「悲しき〇〇」とすれば、ヒットしていたような、一時期も有ったような・・・、
「悲しき」で、ネット検索。
これまで、芋蔓式に、次々思い出しのは、オールディーズの数々だったが、
それらとは、全然関係のない、歌謡曲の「悲しき口笛」も、
懐かしい曲の一つではある。
「悲しき◯◯」、
もひとつ、おまけに えんやこら・・・、

今更になってネットで調べてみると
「悲しき口笛」は、1949年(昭和24年)に、作詞 藤浦洸、作曲 万城目正、唄、美空ひばりで、リリースされた歌謡曲で、当時12歳だった美空ひばりが、初めて主演を務めた映画「悲しき口笛」の主題曲だった。同曲は、45万枚以上を売り上げ、大ヒットし、美空ひばりは、この曲により、一躍スターの座に上がったのだという。
当然、リアルタイムで、映画を見たり、曲を聞いたりした類ではないが、子供の頃、ラジオ等から盛んに流れていて、自然に脳裏に焼き付いて離れない曲になっている。
往年の大スター、美空ひばりの存在感は、誰しも認めるものだろうが、子供の頃の美空ひばりの印象が原点にあったことも間違い無いような気がする。
記憶曖昧だが、映画 嵐寛寿郎の「鞍馬天狗」にも、少年杉作役?で、出演していたような気がする・・・・。

(ネットから拝借画像)

「悲しき口笛」 (YouTubeから共有)

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逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし

2023年10月04日 11時19分27秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、2~3年前、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー 「懐かしい小倉百人一首」に書き留めたが、続いて、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにしている。
しばらく中断していたが、秋も深まりつつある季節、再開することにした。


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その28

逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに
人をも身をも 恨みざらまし

出典
拾遺集(巻十一)

歌番号
44

作者
中納言朝忠

歌意
もし、逢う(深い関係になる)ということが
全く無かったならば
かえって、相手(あなた)をも、自分をも
恨まないでいるであろうに

注釈
「逢ふ」=男と女が深い関係になること、
「絶えて」=「少しも、全く」、の意の副詞、
「しなくは」の「し」は、強調の副助詞、
「は」は、接続助詞「ば」を、発音の都合で清音したもの
「なかなかに」=「かえって」の意の形容動詞、
「人をも身をも」の「人」は相手の女性、「身」は作者自身のこと、
「恨み」=相手の冷淡さ、自分自身不甲斐なさに対する恨み、
「ざらまし」の「ざら」は、打ち消しの助動詞「ず」の未然形。
「まし」は、推量の助動詞、


中納言朝忠(ちゅうなごんあさただ)

三十六歌仙の一人、藤原朝忠
三条右大臣藤原定方の次男、
42歳で中納言となり、土御門中納言等とも呼ばれた。
笙(しょう)の名手だったとも言われ、
武官として華やかな恋愛談が伝わっている。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)

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