たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

12年前の今日、10月30日は?

2023年10月30日 21時17分46秒 | ブログ考

年齢差等を言う場合、「一回り」という言葉をよく使っている類で、もちろん、十二支が、1回巡る年数の意味で使っているが、他にも、いろいろ意味が有り、もしかしたら、年代によっては、誤解されるのかも知れないな等と、思ってしまっている。
相手が、「一回りもお若い」となると、ジェネレーションのギャップを感じるし、自分が、その歳の頃は、どんなだったろう・・とも思ってしまう。
「十年一昔」という言葉も有る。
10年前、12年前のことと言えば、つい最近のことであるような、随分と昔のことであるような、微妙な感じがするものだ。
時々、今から10年前の今日、12年前の今日、自分はどんな暮らしをしていたのだろう等と、過去のブログ記事を、クリックしてみることがある。
ほとんど記憶に残っていないことが多いが、写真やブログ記事をみると、
「そう言えば、そうだったなあ」・・・、記憶が蘇ってくる。


12年前、2011年10月30日、
当時は、「OCNブログ人」で、初めてブログを始めてから、まだ数ヶ月の頃で、自営業を続けていた頃だった。月に数件、書き込むのが精一杯だった気がするが、たまたま、その日は、ブログ・カテゴリー「畑仕事・見様見真似の野菜作り」に、書き込んでいた。
畑の写真を見る限り、まだまだ、気力、体力に、多少余裕が有ったのか、きれいになっており、
そうだよな、今より12歳若い自分(一回り違う自分)が、そこにいたんだよなあー
「エッ!、もう 大根が出来上がってたの?」
「へー!、そうっだったかなあー」


振り返り記事
2011年10月30日 「土日好日限定 野菜作り人」
👇
こちら


こんな風に、10年前、12年前の自分を振り返ることが出来るブログ、記憶力減退爺さんにとって、便利で、有難いツールだと思っている。
従来の紙ペースの日記、日誌では、過去を振り返る等、なかなか難しいことだが、ブログであれば、クリック、クリックで、瞬時に見ることが出来るというもの。
ブログを、自分のための日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録、生きている間の「引き出し」として利用している、「常識」な爺さんである。

 

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コマツナ、ごっそり収穫、

2023年10月30日 16時36分22秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

当地、今日は、朝の内は、やや曇っていたが、次第に晴れ上がり、
気持ちの良い秋晴れになった。
最高気温は、23℃前後だったようで、絶好の行楽日和ではあったが、
 もう、5日間も、行ってないし・・・、
 今日は、どうしても・・・、
ということで、
午後になってから、やおら重い腰を上げ、
Go To 畑! と相成った。

(1)コマツナ、3回目間引き、収穫、
   この5日間には、若干お湿りも有り、ぐんと生育、
   ごっそり、採れてしまい・・・、
   どうする、どうする・・・、
   

   コマツナ大量収穫の場合、妻は、一度、熱湯を通してから、冷凍保存し、
   毎日、少しずつ、食材に使っているようだ。

(2)ネギ、収穫
   そろそろ、鍋物にも必要?


畑の周りの叢のカラスウリ、
赤い実(種)を、いっぱい付けている。

 

今日は、収穫だけ、
滞在時間、15分程度、
さっさと引き上げてきた。

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葉室麟著 「秋月記」

2023年10月30日 11時22分48秒 | 読書記

図書館から借りていた 葉室麟著 「秋月記(あきづきき)」(角川書店)を、読み終えた。本書は、本藩・福岡藩から、常に支配策謀を受ける、その支藩・筑前の小藩、秋月藩を題材にした、長編時代小説である。主人公である間小四郎が仲間藩士6人等と共に立ち上がり、専横を極める家老宮崎織部を糾弾、失脚させてしまうが、その背後には、本藩・福岡藩の巧妙な策謀が有ったことを知る。間小四郎は、実在の人物なのだそうで、史実に基づいて、小藩の存立に賭ける武士の矜持(きょうじ)を描いている大作、舞台も、秋月、福岡、大阪と広く、読み応えが有る作品である

▢主な登場人物
間小四郎(はざまこしろう、吉田小四郎→間小四郎→間余楽斎)
吉田太郎太夫(小四郎の父)、辰(小四郎の母)、みつ(小四郎の妹)
間篤(はざまあつし・小四郎の義父)、貞(篤の妻、小四郎の義父)、
もよ(井上武左衛門の娘→小四郎の妻)、
藤田伝助(秋月藩剣術指南、小四郎の師)、千紗(伝助の娘)
伊藤惣兵衛(伊藤惣兵衛→伊藤吉左衛門)、手塚安太夫、末松左内、坂本汀、手塚龍助
坂田第蔵、とせ(第蔵の妻)
海賀藤蔵、緒方春朔(おがたしゅんさく、藩医)
原古処(はらこしょ)、猷(みち・古処の娘)、
宮崎織部、渡辺帯刀、熊平(帯刀の中間)、七與(帯刀の妾)、吉田久右衛門
秋月藩藩主、初代黒田長興(ながおき)、八代長舒(ながのぶ)、九代長韶(ながつぐ)、
十代長元(ながもと)、
村上大膳(福岡藩中老)、姫野三弥(伏影)、姫野弾正(伏影)、
香江良介(福岡藩の医師)、
吉次(長崎の石工)、いと、久助、
沢木七郎太夫(秋月御用請持)、井出勘七(秋月御用請持)
大阪の商人・秋月藩の銀主、油屋可兵衛、葛野五左衛門、奥野善兵衛
杉山文左衛門(福岡藩御納戸頭)

▢あらすじ等
物語は、藩政の黒幕として君臨する間余楽斎(間小四郎、59歳)が、上意により捕らえられ、島流しの刑を言い渡されるという場面から始まり、専横を極めた家老宮崎織部の糾弾、排斥(島流し)を画策した政変「織部崩れ」を主導した清廉潔白なはずの小四郎が、何故、その織部と同じような存在になってしまったのか?、そもそも、織部も小四郎も本当に専横を極めた逆臣だったのか?を問う形で、それに至る小四郎の半生が描かれている。
物語の終盤、政変「織部崩れ」から18年後、島流しから赦免され戻ってきた織部に、小四郎が面会に行く場面が有り、織部が小四郎に語りかけた言葉が心に残る。
「ひとは美しい風景を見ると心が落ち着く。なぜなのかわかるか」
「山は山であることに迷わぬ。雲は雲であることを疑わぬ。ひとだけが、おのれであることを迷い、疑う。それゆえ、風景を見ると心が落ち着くのだ」
「間小四郎、おのれがおのれであることにためらうな、悪人と呼ばれたら、悪人であることを楽しめ。それが、お前の役目なのだ」
原古処の娘、猷(みち)が、江戸から訪ねてきた。
   孤り(ひとり)幽谷(ゆうこく)の裏に生じ
   豈(あに)世人の知るを願はんや
   時に清風の至る有れば
   芬芳(ふんぼう)自ら(おのずから)持し難し(じしがたし)
「間様はこの詩のような方だと思ってまいりました」と言う。
広瀬淡窓の「蘭」という詩だった。蘭は奥深い谷間に独り生え、世間に知られることを願わない。しかし、一たび、清々しい風が吹けば、その香を自ら隠そうとしても隠せない、という意味の詩だった。
宮崎織部、間小四郎(余楽斎)、この二人の武士の、自分の役目に徹し切った生き様を描いた作品になっている。
「秋月藩」、「秋月」、「古処山」、「秋月街道」、「日田街道」・・・、これまで、地名すら知らなかった類だが、随所の風景描写と現代地図を見比べながら、当時、常に、秋月藩を属国化して完全に吸収したいと考えている本藩、福岡藩と、独立自治を死守したいとする小藩、秋月藩の、確執、軋轢、闘争、内紛、暗躍に思いを馳せることが出来、小説の面白さを存分に味わえた気がする。
同じ「秋月藩」を題材にした、続編とも言える、葉室麟著「蒼天見ゆ」が有るという。この際、続けて読んでみたい気分になっているところだ。

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