ご冥福をお祈り申し上げます。
作詞、谷村新司、作曲 谷村新司 「いい日旅立ち」 (YouTubeから共有)
有難う、谷村新司さん、
ご冥福をお祈り申し上げます。
作詞、谷村新司、作曲 谷村新司 「いい日旅立ち」 (YouTubeから共有)
有難う、谷村新司さん、
年齢差等を言う場合、「一回り」という言葉をよく使っている類で、もちろん、十二支が、1回巡る年数の意味で使っているが、他にも、いろいろ意味が有り、もしかしたら、年代によっては、誤解されるのかも知れないな等と、思ってしまっている。
相手が、「一回りもお若い」となると、ジェネレーションのギャップを感じるし、自分が、その歳の頃は、どんなだったろう・・とも思ってしまう。
「十年一昔」という言葉も有る。
10年前、12年前のことと言えば、つい最近のことであるような、随分と昔のことであるような、微妙な感じがするものだ。
時々、今から10年前の今日、12年前の今日、自分はどんな暮らしをしていたのだろう等と、過去のブログ記事を、クリックしてみることがある。
ほとんど記憶に残っていないことが多いが、写真や記事をみると、
「そう言えば、そうだったなあ」・・・、記憶が蘇ってくる。
因みに、
12年前の今日、2011年10月16日のブログ記事
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代の記事だが・・、
「しゅんぎく、京水菜 種蒔き」
👇
こちら
今の暮らしとほとんど変わっていないようにも見えるが、当時と比べて、気力、体力が、俄然、減退していることが、垣間見える場合もある。
いずれにしても、従来の紙ペースの日記、日誌では、なかなか難しい過去の様子が、クリック、クリックで、瞬時に見ることが出来る・・、
記憶力減退爺さんにとって、ブログは、便利で、有難いツールだと思っている。
図書館から借りていた 葉室麟著 「影ぞ恋しき」(文藝春秋)を、読み終えた。本書は、先日読み終えた、「いのちなりけり」、「花や散るらん」に続く、葉室麟の「雨宮蔵人シリーズ」三部作の完結編である。580ページにもなる長編時代小説で、最後まで読み切る自信が無かったが、読み始めると、京、江戸、2つの舞台を中心に、幕府内の権力闘争、陰謀と、蔵人、咲弥、香也夫婦親子や清厳等友人との清冽なる絆が描かれ、隠密同士の死闘等、随所に、凄惨、緊迫の場面も有り、一気に惹き込まれてしまい、読み進めることが出来た。
読書初心者の爺さん、葉室麟の作品を読むのも、まだ3作目に過ぎないが、なんとなく、作風に惹かれてしまい、他の作品も読んでみたくなっているところだ。
▢主な登場人物
雨宮蔵人(あまみやくらんど、元肥前佐賀鍋島藩の支藩小城藩藩士、天源寺家に婿入り)、
咲弥(さくや、小城藩の名門天源寺家の娘、蔵人の妻)、
香也(かや、蔵人と咲弥の娘、実は・・?)
清厳(せいげん、元鍋島藩藩士深町右京、円光寺僧侶、蔵人と従兄弟)、
吉良左兵衛義周(吉良上野介義央の養子、吉良家当主)
冬木清四郎(吉良家の家人)
長八、お初(神田の飛脚問屋亀屋の夫婦)
山本常朝(元鍋島藩藩士山本神右衛門)
徳川綱吉(五代将軍)、柳沢吉保(綱吉の側用人)、柳生内蔵助、
徳川家宣(六代将軍、新見左近→徳川綱豊→家宣)、間部詮房(家宣の側用人)、
新井白石(新井勘解由)、辻月丹、辻右兵太、
越智右近(家宣の弟、平四郎→越智右近将監→出羽守松平清武)
磯貝藤左衛門(伊賀同心、公儀隠密)、彦蔵、
萩原重秀(勘定奉行)、幻斎(根来衆)、
望月千代(女忍び「ののう」の頭領)
近衛基煕(関白、太政大臣)、進藤長之(近衛基煕の家司)、中院通茂、
紀伊守松平信庸(京都所司代)
シドッチ
大石りく、大石大三郎、
藤巻主膳
▢あらすじ
赤穂浪士の吉良邸討ち入りを目の当たりにしてから4年後の宝永3年(1706年)1月、雨宮蔵人は、咲弥、香也と共に京に戻って、鞍馬山の麓で静かに暮らしていた。そこへ、冬木清四郎という吉良家の家人だった少年が訪れる。清四郎の、主人吉良家当主左兵衛を思う心に打たれて、蔵人、咲弥、香也、清厳は、高島城に幽閉されている左兵衛に会うために諏訪へ向かうが、そこで、咲弥が攫われ・・・、公儀隠密?、刺客?、女忍び集団「ののう」? が・・・、
これが発端となり、蔵人も幕府の暗闘に巻き込まれて行くという筋書き。
蔵人、咲弥、香也は、京に戻ったが、そこへやってきたのは、蔵人と咲弥を帰国させ、肥前小城藩の名門・天源寺家を再興させたい一心の山本常朝。居合わせた清四郎に対し和歌を詠じる。
「恋ひ死なむ 後の煙にそれと知れ 終にもらさぬ 中の思ひは」
わたしは忠義もこれと同じだと思っている。ひそかに、誰にも知られぬ心の中で尽くし抜くことを忠というのではあるまいか・・の意の歌。
咲弥も、静かに詠じた。
「葉隠れに 散りとどまれる 花のみぞ 忍びし人に 逢ふ心地する」
この二つの歌を聴いた清四郎は、その場では何も言わず、隣室に引き下がったが、左兵衛の遺言で、婚約者となった香也を残し、吉良の仇を討つべく、江戸に向かってしまい、将軍綱吉と柳沢吉保と次期将軍家宣と間部詮房との権力闘争に巻き込まれていく。清四郎は、ひそかに蔵人の家を去る際に、
「色も香も 昔の濃さに匂へども 植ゑけむ人の 影ぞ恋しき」
色も香りも昔のままに咲き香っている花を見ると、この花を植えた亡き人の面影が恋しく思われるという意の、古今和歌集、紀貫之の故人を慕う歌を添えて、大願成就の暁には、今一度香也のもとに戻ると末尾に結んだ文を残す。
表題「影ぞ恋しき」は、この歌に由来している。
清四郎は行方不明となり、蔵人は、その清四郎の危機を救う目的で、近衛基煕の護衛として江戸に向かうが、待ち構えるのは、公儀隠密?、刺客?・・・。
本書は、清四郎が、主・吉良左兵衛を慕う純粋な忠義心による仇討ちという行動を中核に据えているが、蔵人、咲弥、香也が、渦中に巻き込まれていき、一蓮托生、「一人であの世に行くな」、家族、親子の絆、死を覚悟して、立ち向かっていく、蔵人の生き様が描かれている。
物語の終盤には、香也のため、捕らわれた清四郎を助けようと、死を覚悟して越智右近と立ち合いをした蔵人、銃弾を受け、瀕死の重傷を負うことに。
蔵人の元へ駆けつけた咲弥は、「お前さまは17年もかけて、わたくしに和歌を届けてくださいました。ですが、わたくしはまだ和歌を差し上げておりませんでした」と、蔵人の耳もとで和歌を詠ずる。
「君にいかで 月にあらそふ ほどばかり めぐり逢ひつつ 影を並べん」
西行法師の月にちなむ歌で、毎夜眺める空の月と競うほどに恋しいあなたとめぐり逢い、蔭を並べていたい、という思いの歌である。それが蔵人に生きぬく気力を甦らせる契機となった。
それは、蔵人が咲弥に届けた、
「春ごとに 花のさかりは ありなめど あひ見むことは いのちなりけり」
春ごとに花は咲くが、その花を愛でることができるのは、命あればこそである、という意の歌の返歌だったのだ。
朝廷と幕府の確執、幕府内の権力抗争、将軍交代期、祈願の「正徳の治」を遂行するために暗躍する者達、渦巻きに巻き込まれた、蔵人、咲弥、香也、清四郎の 運命は?
史実に沿って、実在した人物も多数登場しており、作者の視点で、ものの見事に、その人間性が描かれているが、非情の世界で生きるはずの隠密や忍びの中にあって、風変わりな公儀隠密磯貝藤左衛、女忍び「ののう」の頭領望月千代を、最後の最後まで登場させるあたり、小説の面白さ倍加しているように思う。
巻末、蔵人は、京である男とすれ違う。その男は、
「話さずとも、会わずとも、友は友だ。生きておればそれでよい」
と言い捨て、笑みを浮かべ、馬を進めた。
で、終わっている。
余韻が残る作品である。
(おわり)