毎年 晩秋の今頃になると、畑地の地主Fさんから
「のらぼう菜の苗、余ってるけど どうですか」と 声が掛かり
遠慮なくいただき、植え付けしているが、今年も 先日 植え付け完了した。
「のらぼう菜(ノラボウ菜)」は、
この地に引っ越してきて、かなりの年月が経ってから、初めて知り、覚えた野菜で、北陸の山村で育った人間にも拘らず、それまで、見たことも、聞いたこともなかった野菜だったのだ。
じゃ、「のらぼう菜(ノラボウ菜)」って どんな野菜?
今更になってネットで調べて見ると、
「のらぼう菜(ノラボウ菜)」は、元々、東京都西部の山沿い(あきる野市、青梅市、檜原村等)や、埼玉県西部(飯能市、小川町等)で、多く栽培されていたアブラナ科、アブラナ属の野菜で、歴史的理由、性質的理由が有って、どちらかと言うと地域限定的な野菜だったようだ。
JAあきる野のホームページに、その歴史等が記載されており、引用させていただくと・・。
「のらぼう菜」の原種は 江戸時代後期、闍婆(ジャワ)を経由してオランダ船が持ち込んだセイヨウアブラナの一種、闍婆菜(じゃばな)という説が有り、関東郡代伊奈忠宥(いなただおき)が 地元の名主小中野四郎右衛門と網代五兵衛に命じて 「のらぼう菜」の種子を江戸近郊の村々に配布し、栽培させたという記録が残っているようだ。耐寒性に優れた野菜で、天明の大飢饉、天保の大飢饉の際には 人々を飢餓から救ったと言い伝えられてもいる。ただ「のらぼう菜」は 収穫後 しおれやすく、長距離輸送や大量出荷向きでなかったため 生産地周辺のみで消費される地域野菜として受け継がれてきたという。そんなことから、全国的には知られていない野菜だったが 最近は 品種改良等もされ 広く知られるようになっているようだ。
「へー!、そうだったのか!」、目から鱗である。
葉茎を 摘んでも、摘んでも どんどん再生する「のらぼう菜」、
確かに 江戸時代の大飢饉等には もってこいの野菜だったのかも知れない。
今年の春、4月頃の「のらぼう菜」
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