毎年、この時期になると必ず聴きたくなってしまう曲が有る。
昭和30年代の学生時代に、それまで全く無縁だった、軽音楽やジャズの楽しさを教えてくれた曲、鈴木章治の「鈴懸の径」だ。
これまでも、毎年のように、同じことを繰り返し、繰り返し、ブログに書き込んできているが、今年も・・・。
過去の記事の1つをコピペして・・。
「鈴懸の径」
昭和30年代中頃、M男が、北陸の山村の親元を離れ、地方都市の学生寮に入寮し、生まれて初めて外で集団生活を始めた頃の話である。学生寮に入寮してまもなくのこと、寮の自治会主催の「新入寮生歓迎コンパ」が行われたが、アトラクションの一部に、寮の先輩達が中心メンバーのジャズバンドの演奏が有った。記憶曖昧だが、バンド名は、確か「ブルーサウンズ」だったような気がする。
小・中学校の教科「音楽」は、最も苦手、嫌いな科目だったM男、高校3年間も、音楽とは無縁だったし、北陸の山村のど田舎暮らしには、特に、ジャズ、洋楽等は、別世界の音楽だったはずで、ジャズバンド演奏を目の前で聴くなんてことは、もちろん、初めてのこと、先ずは、まるでプロの如く演奏する先輩寮生がいることにびっくりしたものだ。手慣れた楽器テクニック、そのハギレの良さ、華やかな演奏スタイルに身震いを感じた気がする。それまで、まるで音楽等に興味も関心も無かったM男に、一気に音楽の素晴らしさを教えてくれたのは、あの日あの場所あの演奏だったのではないかと、後年になってからいつも思っている。そのバンドのバンドテーマソングは、「鈴懸の径」だった。当然、その時点では、曲名も何も知る由も無かったはずだが、後年になって、それは、第二次世界大戦中に発売された灰田勝彦の3拍子の歌謡曲で、戦後間もない頃、鈴木章治とリズムエースが、4拍子にジャズアレンジして演奏し吹き込んだことで、大ヒットした曲ということを知ったのだった。そのバンドの楽器編成は、鈴木章治とリズムエースとは、多少異なっていて、確か、スチールギター、クラリネット、ドラム、ギター、ベース、パーカッション・・だったように思う。後年、音楽を親しむようになってから、鈴木章治とリズムエースの演奏を好んで聴くことになり、あのバンドは、そっくりコピーして演奏をしていたこともわかった。音楽技術的にどうだったかは知る由もなかったが、「鈴懸の径」演奏が始まった途端、手拍子で会場が爆発的に盛り上がった情景が未だに浮かんでくる。
M男が音楽の楽しさを初めて知った曲、それは「鈴懸の径」だったという話である。「イントロ」とか、「サビ」、「アドリブ」等という音楽用語を覚えたのも、その後だったような気がする。
「鈴懸の径 」 鈴木章治とリズムエース (YouTubeから共有)
ZUISO
「追想 晩秋の新宿御苑 プラタナス並木」
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